第18話 いい加減な道案内で道に迷う

「すいませんね、千草さん、こんな朝から」

「いえ、こちらこそお忙しい中、ご足労ありがとうございます」

 夏杏は少年の保護者と駅前の喫茶店で対面していた。

 午後には出国する夏杏として交通の便に秀でた場所で会うのは妥当な流れであった。

「んじゃ早速、本題に」

 ブラックコーヒーを口に含みながら夏杏は話へと移る。

 暢気に世間話をするために少年の保護者と会う時間を作ったわけではないからだ。

「やっぱり魔女史学の道に進ませるのは不安ですか?」

「え、ええ、なにしろ魔女絡みの学問ですからね、保護者として当然ですよ。なにかしらの弾みで魔女と関わってしまうと思い浮かべるだけで恐ろしいことです」

「まあ気持ちは分からないことではないですが、見かけによらず芯はしっかり強固ですから、なんであろうと跳ね除けるだけの度量はありますって」

 一つ屋根の下で暮らしていると聞いているが心配性のようだ。

 いや、子を持つ身ならば誰であろうとその身を案じるだろう。

 男を(物理的に)掴む未来はあっても、夫を持つ予定のない夏杏が思考する箇所ではないと切り替えた。

「小さい頃は旦那の入れ知恵で公務員になるとか言っていたんですけど、あの灯京大火に遭ってから目標を持てなくなったんです」

「……それは、それは」

「ですけど、じっと引きこもらず、手助けをしたいからと、中学の頃は同級生に乞われる形で女子テニス部のマネージャーを始めていました」

 助けられたからこそ、誰かを助けたいと願うのは人間の性だ。

「女の中に男一人ですから、周囲からの批判やいじめの不安はあったのですが、あの子の人柄ですか、部どころか周囲全体にも受け入れられていたから安心しました」

 あの事故が起こるまでは、と千草は表情を曇らせた。

「事故、ですか?」

「中学二年の時に、ながらスマホの自転車に衝突されたんです」

「もしやテニス部の大半が駅の改札口近くで重軽傷を負った、あの事故ですか?」

 ワイドショーか、新聞か、情報源がどちらか思い出せないが、事故の内容は思い出せた。

「ええ、当時のテニス部は破竹の勢いで全国大会の切符を手に入れていたんです。試合会場にバスで向かう途中に、そのバスがエンジントラブルとパンクを起こしたみたいで、場所が駅近くと時間が押していることもあって急遽、電車での移動になりました」

 切符を購入する間、他の利用者の通行の妨げにならぬよう一カ所に整列していた部員たちの列に、わき見運転の自転車が突っ込んだ。

「確か、その駅はバリアフリーだったこと、駅の前には緩やかな坂があって、その坂にあった信号が青だったこと、何より衝突した自転車の乗り手がスマホ操作のわき見運転をしていたことで起こった事故でしたね」

 一カ所に並んでいたからこそ部員たちはボーリングのピンのように自転車に弾き飛ばされた。

 後はどうなったか、悲劇の想像は容易い。

「事故に遭ったと一報を受けた時、信じられませんでした。他の子たちは骨折や打撲など、回復が見込めるレベルでしたが、真正面から受けたあの子は……」

 徐々に重くなっていく空気を夏杏はコーヒーで嚥下する。

 よくよく思い返せば胸糞悪い事故だ。

 何より事故を起こしたのは事もあるに人の命を救わんとする医者の卵――医学生。

 それも大学病院の医院長の息子ときた。

 わき見運転の理由は、ソーシャルゲームのランキング争いのお熱だからなお救われない。

「幸いにも命は助かりましたが、医者から二度と歩けぬと伝えられたあの子の顔は今でも瞼に焼き付いて離れません」

 少年が今当たり前に自分の足で歩けているのも、成功率の低い手術とリハビリを乗り越えた結果だろう。

 何であろうと諦めず、絶望しない姿が自然と浮かんでいた。

「目標も見つからぬままあの事故でしたから、落ち込むと思ったら、ある日ですね、魔女史学の道を進むとか言い出して、もうびっくりしました。生まれてこのかた女の子とつきあったことのない大人しい草食系だと思っていたあの子が突然別の目標を語り出すなんてもう蒼天の霹靂です」

 重い空気を拭い去るチャンスだと夏杏は言った。

「あ、魔女史学を学んでも公務員の道はありますよ?」

 史学だけに当然、歴史絡みの研究を行う。

 中には魔女災害を紐解くための研究機関が民間ではなく官営の機関としてある。

 夏杏は詳細を打ち明ければ千草は驚いた様子でも一字一句聞き逃さず聞いてくれた。

「そんな機関があるんですか?」

「ええ、対象が対象だけに余程の物好きか、指命に燃える人間しか入りませんけど、魔女史学を学んだまま、その知識を活かせる公務員になれる。これ就職じゃ結構重要ですよ?」

 学校で学んだことが社会人となって役に立つとは限らない。

 一つの学問をがむしゃらに専攻しようと就職先で露にも役に立たぬなどよくあることだ。

 だからこそ学んだ知識を活かせる職に就くことは助けとなるだろう。

「もちろん公務員ですから試験や資格も問われますけど、勉強次第でどうにかなります」

「あの子のことですからきっと喜んで進みますよ。それに旦那が生きていたら気にせず進めと喜んで背中を押すでしょうし」

「失礼ですが旦那さんは?」

「仕事中の事故で、三年前に……」

「あ~それは申し訳ない」

 時期的に事故に遭った頃ではないか。

 地雷を踏んでしまったと夏杏はコーヒーとは違う苦さを噛みしめる。

「いえ、慣れたといえば嘘になりますが、もし私に子供がいれば楽しさと忙しさが倍だったでしょうね」

「再度失礼ですがお子さんは?」

「いえ、親友は子供に恵まれたのですが私たちは子供に恵まれなかったんです。忙しい合間を縫って不妊治療もしたのですが……あ、気にしないでください。あの子のお陰で毎日楽しくやっていますから」

 取り繕うように千草が言うため夏杏もまた気にせずコーヒーの苦みを堪能する。

 一瞬、夏杏の脳裏に松葉杖が浮かぶもカップをソーサーに戻した時には浮かんだことさえ忘れていた。

「少年の両親とは仲がよろしいようで」

「ええ、あの子の母親とは幼なじみなんです。旦那同士も中学以来の親友でして。あの二人の馴れ初めもケガで入院した旦那の担当看護師に私がなったのが発端でした」

 聞きもしないことを千草は語って来たが、場の重い空気を和ますには必要だと夏杏は真摯に耳を傾ける。

「互いに一目惚れしてから交際が始まりまして、それで各親友に紹介したら、親友同士互いが互いを一目惚れ、もう揃って結婚は秒読みでしたね」

 出会いはどこにでも転がっていると聞くが話を聞く限り本当のようだ。

「ただあの二人の出張が多かったせいで、あの子を小さい頃から家で預かっては旦那も我が子のようにかわいがっていたんです。今と違ってもう活発で、ちょっと目を離していたら家の薄い壁を破って、トンネル開通とかやって遊んでいたんですよ。もう主人は主人で叱るどころか嬉しそうに笑っていて、代わりに私が叱ったほどです」

 子宝に恵まれぬならば自然とそうなるだろう。

 夏杏は少年の両親が幼き頃から出張の繰り返しで家にあまり居ないのを採用時の面接で口を割らせている。

 隣家に住まう親友とはいえ赤の他人に我が子を託すのは強固な信頼がある証だ。

 だからこそ夏杏は推すように言う。

「少年の魔女史学への進路、少年を信頼してみてはどうですかね? あれこれ心配しすぎると心労が重なりますし、なによりそれが少年への枷となり思わぬ方向に進む可能性もあります」

「思わぬ方向、ですか?」

「ええ、いい加減な道案内で道に迷う。あとは望まぬ進路を進み、望まぬ生活を繰り返して、世を呪う人生の出来上がりです」

 万人、望んだ道を進めるとは限らないが可能性があるならば進むべきだ。

 進もうと動かなければ結果は来ず、後悔なる言葉は行動してから使用するもの。

 行動せずして悔やむのは後悔ではない。

 ただの言い訳だ。

「そうですね、一度、あの子と話し合ってみます。成績も今のところ問題ないようですし」

「ええ、そうすべきです。それにアルバイトばかり精を出すのも学生にはよろしくない。社会勉強と聞こえはいいですけどやはり知識は取り込める時に取り込むべきです」

「あの子のことですから一度火がつけば後は大丈夫だと思うんですよ」

「確かに、少年の根気はこの私でも認めることですから」

 ストレス発散で幾重にも竹刀で打ちのめそうと辞めるとは言ってこない。

 少年の他にバイトとして雇った者は四人ほどいたが誰も彼もが、ちょっと叱りつけた、接客をミスった、木刀で頭部を殴打したetc……誰もが辞表を出しては三日も働かず辞めていく。

 少年は辞めるのが下手ではない。

 ただ単に気骨があり、胸の内にある虚無感を埋めようと足掻いているだけなのだ。

 その根幹にあるのは、なんであろうとも諦めぬことを諦めない意志。

 諦めぬ意志一つ持つだけで世界は変わる。

 不条理な壁だろうと、理不尽だろうと、叶わぬ烙印を押されようと諦めない。

 意志あるところに道があるならば、必ずやその意志は可能性なる道を作り出す。

 ただし、それは、の話だ。

 意志があろうと見誤れば少年の世界はままならぬまま閉塞するだろう。

「あとは経験と知識と実力の三つが揃えば、少年を止められるのは誰だろうといませんよ」

「旦那も太一くんのこと、物事の本質を直感的に見つけられる男だと期待していたんです」

 しばしの間、会話は続き、夏杏は店でしか知らぬ太一の話を千草から知ることができた。

 からかいの種が増えたと顔には出さず、心の中で喜びの笑みを浮かべるのであった。

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