第39話 ハガツサ―垣根の上の魔的な女

 一人の女が倒れた太一を見下ろしている。

 顔を上げた太一は知らない女だと呟いた。

 歳は太一の少し上か。

 露出度の高い扇情的な白い装いであり、腹部と太ももが晒されている。

 目線誘うのは青い手袋とブーツではなく、左胸に淡く輝く印章だった。

 魔女、だと直感する。

 女は太一が目覚めたのに気づき、ただ冷めた目で問いかけくる。

「あなたは治す方、それとも殺す方?」

 その声音には諦観が宿っていた。

 まるで太一と未那の行く末を暗示させるような灰色の色彩であり声音だった。

「きみは、誰……?」

 漠然とした声で問えば女はやや間を置いて答える。

「さて、誰でしょうね」

 白い衣の少女は白と黒で隔てられた境界を歩いていく。

 太一に興味がないのか、再び問いかけても目もくれない。 

 ふと太一は白と黒の世界で異物を見つけた。

 白と黒が捻れて混ざり合い、灰色の渦を描いている。

 白き衣の少女はその渦を見つければ、歩み寄り手をかざす。

 灰色の渦は絡まった糸が解かれるように白と黒に分かれていた。

「あなたは自分で自分の身体を治療できるかしら?」

 憂いを秘めた目で太一に問いかける。

「薬とか呑む程度なら」

「そう、それが限界。だから病気や怪我をすればお医者さんのところに行くの。治そうとする自分の意志でね。でもね……」

 白き衣の少女は新たに現れた渦を白と黒に別けていく。

「完全な健康なんてない。誰もが大あれ小あれ病気や怪我をする。それはこの大地も同じ。大地はね、生きているの。生きているからこそ怪我もすれば病気もする」

「大地? この白と黒の世界が……まさかっ!」

 大地、白と黒、これらのワードにより太一の記憶に符合する概念があった。


「た、太極……?」


「正解~♪」

 柱のような場所に座るのは赤い衣の少女だった。

 声はどこかご機嫌に弾み、連動して両足をぷらぷら動かしている。

「コングラチュレーション、おめでとう。あなたはこの座に来た――あ~数えんのめんどいからカット」

 仰々しくカンペらしき用紙を放り捨てる。

「座とか太極とか、あの世じゃないのは確かなようだな」

 相手が相手だけに自然と太一の声音に険がこもる。

「そうね、あの世でもありこの世でもある。現と違う世界、ならあの世と表現するれば当てはまるけど、そうであってそうでない。高い天に底があるように、地の底に頂があるのと同じ」

 謎かけがすぎる。

 答えるだけ面倒だが、相手にするのもさも面倒だ。

「まさか、お人形さんに勝つなんて、本来なら、そこで死んでいたのよ」

 予想外の展開を目撃したことでどこか上機嫌と来た。

 相反して見せ物にされた不快感を抱くのは太一だ。

「それぐらいにしておきなさい。話が進まない」

 見かねた白き衣の少女が呆れながら割って入る。

 赤い衣の少女は、演技臭く、は~いと両手をあげては静かになった。

 ただ、両足はぷらぷらと暇そうに動かし、なにかしらの弾みで口を開こうと待ちかまえている。

 太一は率直に、自分は話題というぶら下がった餌だと直感した。

「ここに僕を連れてきたのはあなたなのか?」

「違うわ。ちなみに、そこの赤ロリも一二〇%怪しいけど違う」

「怪しい赤ロリとか言うな~!」

 赤い抗議の声は無視するに限った。

「あなたを呼んだのはこの大地。いえ、正確に言えば、相反する感情に板挟みになりながら克己を越える境地に至ったあなた自身」

「あ、相反する感情?」

「人間ってのはね、常に希望と絶望、二つの感情がせめぎ合っているの。この陰と陽がいがみ合い、隣り合う太極みたいにね」

「あなたは、人形と戦う際、彼女を殺させない。けれども身内を殺さないという相反する感情を抱えていた」

「矛盾に板挟みとなった思考が身内への甘さを生んじゃったのよ」

 思考停止を起こさなかった結果、矛盾を両立させた。

 未那を殺させず、優衣を殺さない。

 双方が死なぬ結果を残した。

「あ、そうそう、あなたが投げ飛ばしたお人形さんには退場してもらったから、もう追いかけられることはないわよ」

 退場の発言に太一は不信感を募らせる。

 赤い衣の少女の今までの言動により、あの世からの退場を意味するのだと勘ぐってしまう。

「ゲスの勘ぐりはやめてよね。演じ終わったのになお演じようとする役者を楽屋に押し戻しただけよ。は、生きているわよ、は~」

 大事なことなので二度言おうと、五体満足で、なのか気にかかった。

「赤いのがいうと信憑性に欠ける」

 事が全て終われば見舞いに行こうかと思おうと、望まずして殺し合った身。

 出会い頭に銃弾が撃ち込まれる可能性があった。

「赤いのとか言うな」

「僕はあんたの名前を知らない。赤いのでいいだろう」

 厄介ごとしか持ち込まぬ相手の名など知る必要がない。

 ただ、厄介な赤と覚えるだけで充分だ。

「呆れた。あなた、彼に名前を教えてなかったの?」

「どうせ死ぬんだから教える意味ないと思ってたのよ。結果はこれだけど」

 飽きた玩具は二度と遊ばれない。

 死ぬ運命だったからこそ、楽しむだけ楽しむ魂胆が丸わかりだった。

「彼女の名は――」

「待ちなさい。ただ名乗るのは面白くないわ」

 伝えかけた白い衣の少女を赤い衣の少女が遮った。

 二度、三度と目配せすれば、白い衣の少女は呆れながらも観念したか、赤い衣の少女に合わせた。


「「我らは境界を渡る女、垣根の上の魔的な女ハガツサ、混沌が陰と陽に分かたれた創世より大地の境界を修復する役目を与えられし七二の柱の一人。人は境界の御子と呼び、混沌の災い起こす魔女と呼ぶ」」


 そして、赤と白はそれぞれ名乗る。


「我は無価値にして六八の方位を守護せし者、第六八柱ベリアル」


「我は主にして一の方位を守護せし者、第一柱バエル」


 名乗り終えると同時、白と黒の世界を取り囲むように幾本もの柱が出現した。

 彼女たちはそのうちの一本にそれぞれ腰を降ろす。

 目を凝らせば、柱の上には何人もの少女が立っている。

 だが、幽鬼のように輪郭は曖昧であり、中には空の柱すらあった。

「まあ、こんな感じでしょ」

 赤――基、ベリアルはご満悦に対してバエルは嘆息していた。

 呼吸からしてつきあいが長いのだろう。

 これまでのやりとりで振り回されているのが安易に見えた。

「あ、開いている席とか、ただ突っ立っているのは気にしなくていいわよ」

「魔女になろうと魔女になる前に殺されたことで生まれた空席。長い時により肉体は消失し魂だけになろうと自らの意志で柱として支える者たち。生きていながら死んでいる。死んでいるから生きている。矛盾が両立する世界だからこそ、彼女たちは今なお存在し続けている」

 彼女たちの意志だとしても死なずして生き続けるなど地獄だと思った。

 確かなのは魂になろうと、支え続けている強靭な意志を持つ事実だ。

「なら魔女災害って……」

「陰と陽は隣り合っても混ざり合ってはいけない」

「光と闇は別に敵対するために分かたれたわけじゃないわ。世界を形成するために内包された多くの事柄を分ける必要があった。一つ一つだと孤独となり無意味故、互いに隣り合う。けど、生きているからこそ隣り合う境界に綻びが生じ、一つに解け合おうとする。用は病気や怪我みたいなものね。解け合った結果、生まれるのが――」

「……混沌」

 境界を渡る女、垣根の上の魔的な女の意味を理解した。

「混沌が生まれれば陰陽のバランスが崩れてしまう。崩れたことで生じるのがあなたたちの現を騒がす魔女災害」

「けど、魔女は治す側であって壊す側じゃない。勘違いも甚だしい~」

 ベリアル曰く、魔女災害とは第一目撃者を犯人として疑っているうちにできあがった概念。

 未知、不条理、不可解、人智の及ばぬ力に人は必ず恐怖する。

「さらに混沌発生を加速させるのが人間だから皮肉よね」

 人々は太極なる大地の上で暮らしている。

 今と異なりかつては自然と共に生き、時に恐れ、敬ってきた。

 だが文明が発展するにつれて人類は自然への感謝と畏怖を忘れていく。

 自然を開発しては大地を舗装し、建造物を築きあげる。

 雨風を凌げる場所、水に流されぬ建物、嵐に折れぬ塔、寒さと暑さから身を守る家を築き続けた。

 それは単に生きるためだ。

 厳しい自然環境から生き抜く知恵を形として築いただけだ。

 生きるという行為に善も悪もなかった。

「太極とは陰と陽、双方のバランスが均等になっているからこそ太極の意味を成す」

 文明の発展は陽に属することから過剰な発展が陰と不釣り合いな状態を生み出していく。

 不釣り合いは境界を軋ませ、混沌を生み出すきっかけとなった。

「でも人間は魔女を災害の権化と断定した。自分たちの発展と願望が遠因であると気づくことなく境界の歪みをさらに加速させる」

 ふと、アルバイト先での出来事が太一の脳内で再生される。

「……羅盤」

 お値段五〇〇〇万もしたアンティークの話だ。


『話を戻すが根幹は一つの混沌、その二つに分かれたのが陰と陽の太極なのは説明したな少年? この羅盤を見てくれ、中央は二つに別れているのに、外へと広がるにつれて種類が四つ、そして八つと二進法で増えているのがわかるだろう。これはその陰陽をさらに四つに分けた四象、その四つが八つに分かたれた八卦となる。これらは細分化された事物事象を現している。当時の人々はこの羅盤を元に荒ぶる自然を鎮め、逆に穏やか過ぎる自然を活性化させたとされている。今と違って電気もなければインターネットもなく、医療技術ですら未発達だった。自然と隣り合う生活が必然であった以上、この羅盤は自然に敬意と畏怖を抱いていた証明なのさ』


 七二とは東西南北の四方向を七二の方向に分割した数であり、全ての方位を示していた。

 太極を支える柱にはバエルやベリアルという名がつけられている。

 柱を我が名とした歴代の魔女たちは混沌を陰と陽に分かち、境界を修復する。

 修復を目撃した人々はその力を魔法と呼ぶようになった。

 災い起こる地に現れるのは、その地にこそ混沌による境界の歪みがあり、不条理な災害が発生するのを未然に防ぐ、発生した災害を鎮めるためだ。

「人類は間違えた」

 病の原因が取り除かれれば病にならぬように、修復さえ済めば混沌による災害は起こらない。

 それが今どうだろうか。

 バアルの諦観する声音の意味に太一は気づく。

「文明が発展するに連れて魔女は殺される。境界の修復は妨げられ災害なる形で具現化する。太極の限界は近い。このまま境界が歪み続ければ混沌は増え――世界は混沌に消える」

 人は大地に立って生きている。

 大地が混沌に消えれば、当然のこと生きとし生けるあらゆる生命は混沌に回帰する。

 混沌が陰と陽に分かたれ、新たな世界を形成するか、しないのか、それは魔女たちにすら分からない。

「でもあなたは逃げなかった。魔女と隣り合う資格をただ持つだけで技術の産物と死の運命に打ち勝った」

 隣り合う資格とはなにか――問おうとバエルは答えてくれなかった。

「今回も一〇年前の繰り返しと思ったからね。結果はこの通りだけど」

 当時のことを思い出したのか、ベリアルは頷いている。

「一〇年前――灯京大火……なら、ベリアル、あんたは!」

「とんだ冤罪だわ。当時は私、別のところで遊んでいたから、塩の一つまみも関わってないわよ」

 太一が抱く疑念にベリアルは観念してとばかり、困惑した表情で両手を上げる。

「そりゃ、大昔は頽廃たいはいさせた二つの都市に石ころ落として滅ぼしたことあったけど、それはもうむっか~しだから」

 魔女が災害起こす概念を生んだ元凶は、このベリアルではないのか、疑念は濃く染まっていく。

「ちょっとなによ、その疑いの目! ねえ、バエル、あんたもなんか言ってよ!」

 助け舟を求められたバエルは嘆息することなく語り出す。


「……あの時の魔女の名は第二三柱アイム」


 灯京大火の真実を――

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