第1話 再会-オシバイ

 篝太一は中央線を走る電車内でスマートフォンの設定を終えた。


 件名:退院したら!

 送信者:麗しき女店主。


『少年、ま~た出かけてくる! 退院したら留守番、よ・ろ・し・く!』


 再登録した直後に届いたメール。

 太一のアルバイト先であるアンティークショップ<レンカ>の女店主、南良夏杏からであった。

 またしても仕事でお出かけのようだ。

 どこに行くのか、いつ帰ってくるのか、詳細は見事に省かれていた。

 経験則に基づき、ビール関連の祭りではないかと類推する。

「やれやれ」

 嘆息しながら太一は社交辞令として、お気をつけて、とだけ返信しておく。

 数秒もせず新たなメールが届く。


『勤勉少女を勤勉非処女にした?』


 表情を軋ませた太一は指を走らせ速攻で削除した。

 横やり入れた人物である故、確信犯としてからっているのが明白だからだ。

「さて、帰ってどうする、かな?」

 座席に背中を預けながら太一は天井を見上げる。

 高遠によれば優衣との戦いで破損した家の個所は既に修理が施されているとのことであるが、スマートフォン同様、盗聴器の類が仕込まれていないか、訝しんでいた。

「あのおっさんのことだ。絶対、何か仕掛けてるぞ」

 囮にしたスマートフォンが新品同様で戻ってきたのは嬉しくも、あの<M.M.>の高遠である。

 魔女殺しという、魔女を殺せる英雄を首輪なしで解放するはずがない。

 自分一人だけ退院に不信を抱いた太一はスマートフォンを初期化する手を打った。

「もしかしたら未那のにも仕込んでるだろうな」

 グラスに毒を混ぜられようと、中身を捨てて綺麗に洗ってしてしまえば毒に侵されることはない。

 設定を0からやり直すことになるが、首輪が消えると受け止めれば楽なものだ。

「あ、でも、SIMに仕込んでいたら、どうするかな……」

 SIMカードは通信通話に必要な端末用ICカードのことだ。

 人が皆違うように、SIMもまたそれぞれの固有IDが振られている。

 その端末に装着して初めて誰の端末か特定ができ、使用できる。

 あの高遠のことだ。

 三手先まで仕込みをしているだろうと、太一は予測していた。

「なら、思い切って買い替えるか」

 第二次灯京大火と呼ばれた魔女災害。

 追手から逃げ続ける中、未那に新しいスマートフォンをプレゼントすると約束した。

 貯めに貯めたアルバイト代で二台ほど購入できる。

「ん……待てよ」

 買い替えるのは容易い。

 ステップは三つ。

 1、千草に事情を説明。

 2、役所で住民票を習得。

 3、専門ショップで購入。

 問題は――購入時だ。

「仕込まれたら意味ないじゃん……」

 どこでどう動きを把握してくるか分からない。

<M.M.>は魔女に対する一種の超法的機関だと太一は嫌というほど味わった。

 ショップ店員に理由をつけて、新しいスマートフォンにマルチウェアを仕込ませる可能性も捨てきれなかった。

「堂々巡りだ」

 一番の解決策は、スマートフォンを持たない。

 だが、スマートフォンはあって当たり前のなくてはならないツール。

 なければキャッシュレスで会計できず、公共交通機関にだって乗れない。

 電車など改札口で端末をかざして乗るものだと思っていた。

 まさか、切符という紙一枚で乗れると知った時のショックは今も忘れない。

「とりあえずは様子見か」

 魔女が現れぬならば魔女災害が起こらない。

 故に追跡されていると判明するまで静観することに決めた。

「まったく魔女のせいで大損だよ」

 ふと電車の走行音に混じって男性の声が太一に届く。

 声の主は右斜めに座るスーツ姿の二人組のうちの一人だった。

 着込むスーツと風貌から実業家か何かだと類推する。

「この前の魔女災害か?」

「ああ、命あっての物種とかいうけどよ。魔女のせいで取引はパー! 大損だ」

 第二次灯京大火は第一次と異なり死者はゼロだが、経済的被害は大きかった。

 魔女災害が生んだ経済的損失により破産した者も少なくはない。

 政府が経済復興のための緊急予算を投入するニュースを、電車内に設置された液晶パネルが流していた。

「お袋の家なんて、避難中に泥棒入られて根こそぎ持って行かれていたんだ」

「今度の魔女は人じゃなくて経済を殺しに来たのかよ」

 太一は自分が眉根をひきつかせていることに気づく。

 何も知らない人間が魔女を知ったかのように語るのが許せないのだ。

 だが、怒鳴るように抗議する子供ではなかった。

(七二の方位を守護する魔女か……)

 魔女は世界に厄災をもたらす――それが世界の誰もが抱く認識である。

 魔法たる力で不条理な災害を引き超す悪魔。

(けど、実際は混沌によって引き起こされる災害を防ぐのが魔女だ……)

 世界を災害から救おうと、世界に住まう人々の意識は変わらない。

 魔女は悪。魔女が悪い。魔女のせいだ。

 魔女のせいにし続ける人間が生きるロクでもない世界だ、と何度思ったか。

 自分たちが生きているのが当たり前で、大地に感謝のかの字もない。

(小さいな……)

 ロクでもない世界を救った男として、太一は己の小ささを思い知る。

 人一人では世界は動かない。

 けれども、大勢の人でも動かない場合もある。

 歴史を動かした偉人もあるが、一人ではなく、運もあろうと当時の環境や周囲の助けで成した結果だ。

(仮に魔女災害は、歪んだ境界より生まれた混沌が原因だって言っても変人扱いされるだけだ……)

 目に見えない物ほど人から理解されない。

 いや、目に見えたとしても己が理解を超えていれば理解できない。

 仮に混沌を誰もが認知できるようになったとしても、そこに魔女がいるのならば、結局は、誰もが魔女のせいとする。

(あ~もう、いかん、いかん!)

 悪い癖が出てきた。

 未那と隣り合い、共に歩いていくと決めたのだ。

 あれこれ悩んでは停滞するだけで先に進まない。

 今、太一が成すべきことは、如何にして未那を病院という監獄から解放させるかである。

「ただの人間に何ができるか、だな」

 ただの人間で良い。

 飢えても、渇いてもいい。

 満ち足りぬからこそ、夢を追い、満たそうともがく。

 魔女を殺せる男とか関係ない。

 公務員になって家庭を築いてと、今の太一には以前にはない確固たる目標があった。

「……国際公務員は絶対嫌だ」

 国際連盟で働く職員は国際公務員だと高遠は脅迫時に言っていた。

 入院中、検討を、と関連資料を渡したのは嫌がらせだと思っている。

 何しろ、国連で働く=外国で働くこと。

 それだけは嫌だ。

 幼き頃より両親が出張に向かう背中を見送り続けた身。

 将来、生まれてくるであろう子供を親の留守が多い家庭で育てたくない。

「……ごほん!」

 何を想像した篝太一!

 まだ決まっていなければ、得てすらいない。

 捕らぬ狸の皮算用の未来ではないか。

(魔女に選ばれるのは将来、子を産み、母となる少女なんて……あれ?)

 唐突に芽生えた違和感は疑問となる。

 誰に聞いた?

 誰に教えられた?

 ベリアルか?

 バエルか?

 いや、彼女たちではない。

 聞かされた記憶はあろうと、誰との記憶が曖昧だ。

「……ラーメン食って帰ろう」

 空腹が生んだ疑問だと太一は片づけた。

 下宿先に帰っても誰もいない。

 気分転換に美味しものを食べて頭を切り替えるのがベスト。

 ラーメンだと思い立ったのは、気軽に食べられるからだ。

「どこで食べようかな」。

 灯京は有名ラーメン店が軒を連ねているため、選り取り見取り。

 スマートフォンに指を滑らせんとした時、真横からの慣性が身体を滑らせた。

「ぬあにっ!」

 横に身体が倒れた太一は素っ頓狂な声をうっかり上げてしまった。

 幸いなのは車内に響く金属質のブレーキ音に声が上書きされたことだろう。

「え、事故?」

 しばらくして車掌のアナウンスが入る。

 架線トラブルによる緊急停車とのこと。

 人身事故ではないようだが、乗客の誰もが停車した事実に不満を口に出している。

「ふざけんなよ、取引相手が待ってんだぞ!」

「いいから、早く出せよ!」

 将来、働く身となれば、時間に縛られ、予期せぬトラブルで不平不満を口に出すようになるのだろうか、太一自身、よくわからない。

 確かなのは、動かなくなった箱に閉じ込められたという点であった。

「トラブルですか、困りましたね~」

 弦楽器のような流暢な声音が太一の鼓膜を通じて心を揺さぶった。

「あれ?」

 聞き覚えのある声音の方へ顔を向けた太一は、隣の車両に舞浜瑠璃の座する姿を目撃する。

「あらあら、篝さんじゃないですか」

 偶然の再開を喜ぶかのように、瑠璃は柔和に微笑んだ。


 ここはあの世でも、この世でもない。

 あちらでもなければ、こちらでもない。

 あるからあって、ないからない。

 太極と呼ぶ陰と陽で分かたれた世界、その端にベリアルたる魔女はいた。

 ベリアルはガゼポと呼ばれる西洋風あずまやで現の様子を覗き見ていた。

「何が、篝さんじゃないですか、よ。猿芝居してんじゃないわよ」

 偶然でもなんでもない。

 篝太一が何時何分に病院を出て、どの車両に乗るか、そして、如何様な出来事が起こるのか、全て把握したうえで彼女は行動しているのだから、猿芝居と呼ばずしてなんと呼ぶ。

「覗き見なんて趣味が悪いわよ」

 バエルの嘆息をベリアルは適当に聞き流す。

「今回は現に出ると、良いように利用されるオチしかないからね。ここで大人しくデバガメさせてもらうわ」

 快楽は大好物だ。

 けれども、快楽の種にされるのは大っ嫌いだ。

 舞浜瑠璃と名乗る黒縁腹黒眼鏡は油断ならない。

 彼女の一族には何度も痛い目にあってきたからこそ、今回は覗き見たる形で静観すると決めていた。

「太極の様子はどうよ?」

「すこぶる良好よ。これなら余程のことがない限り、二〇年ほど境界は安定するでしょうね」

 人間たちが魔女災害と呼ぶ災害の原因。

 発展による陽が境界を軋ませ、陰と混ざり合い混沌を生む。

 そして、混沌が現に漏れ出し不条理な魔女災害となる。

 つまるところ、陰と陽を分かつ境界が安定していれば混沌は生まれず、現に災害が起こることはない。

「余程の、ことね」

 含みのあるベリアルの発言に、バエルは表情を強張らせる。

「あの指輪がどう動くかどうか、じゃないの?」

 篝太一の手元に渡った指輪は特殊だ。

 使い方一つで国を作るどころか、世界させ作ることができる代物。

 ただ、今は使い方を知らぬが故、変哲もないただの指輪となっていた。

「使い方教えたところで、篝太一は使わないと思うけどね~」

「でもこれからの状況が彼に指輪を使わせる」

 使用に至らせるのは魔女ではなく人間なのだから滑稽だ。

「まあ、何であろうと見守るだけよ、見守るだけ~」

 ベリアルは楽しく謡う。


 では、今回の逃走劇を始めましょう。

 同じ筋書きだろうと魔女が違う。

 始まりスタートから終わりゴールまで彼の魔女は全てを見通している。

 西の兵の策謀など彼女には無駄なこと。

 策謀をあしらわれる滑稽な姿は、面白いと思うわ。


 え? 混沌がないのに現れた魔女の目的がなんだって?


 そりゃもちろん……篝太一の子を孕むことよ。

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