第51話 真なるアルス・ノヴァ

 投射された太一は未那の元へと降下していた。

 その浮遊感は恐怖心を生み、意識を潰えさせようとする。

 だけども、太一の中にある強固たる熱が意識を燃やし潰えさせない。

 失わせない。

 殺させない。

 ましてやこの手で殺さない。

 願望を為そうとする感情から生まれた熱。

 消してはいけない。

 しかし燃え尽きてもいけない。

 焦らず、呑まれず制御せよ。

「そうだ、お前は僕の中より生まれた」

 左胸の心の臓に手を触れ、高まる鼓動に言う。

 今、太一の中には二つの異なる熱がいがみ合っている。


 未那を救いたい熱。


 未那を失うかもしれない熱。


 それはあたかも陰と陽で現される太極のような熱。

 だけど太一は片方だけの熱に支配されない。

 いがみ合う二つの感情を持ってその中間の道を歩み続ける。


「あんたは!」

 憤怒に歪む未那は地表より炎と氷の柱を顕現させて太一に放つ。

 当然、直撃しようと太一の体質故に一切通じず距離は縮まり、二人の身体は激突した。

「離して、離しなさいよ!」

 激突の衝撃が太一の肺腑から空気を吐き出させ意識を途切れさせる。

 だが、離さぬと本能のまま未那の身体を力強く抱きしめていた。

 どうする――未那の理性を如何にして取り戻す。

 呼びかけても通じない。

 姿を見せても意味はない。

 殴るなんて論外。考えろ。思考しろ。

「な、なんで、効かないのよ!」

 氷のナイフが太一の背中に幾度となく刺さろうと傷つけることはない。

 刃先が触れる度に、粒子となって消え、刃先は再生されてまた粒子となるが繰り返される。

「死ね、死ね、死ね、死ね、死んでええええええええええ!」

「女の子がそんな言葉使っちゃダメだよ」

 憤怒のせいにしてはならない。

 魔女のせいにしてもならない。

 未那は魔女ではない。

 人間だ。

 夢追う少女だ。

 太一はわがままを貫き通して未那を取り戻すと決めた。

 だが、覚悟を決めてたどり着こうと未那を呼び覚ます決め手が思いつかない。

(待てよ!)

 太一の思考に電撃が走る。

 魔女とは太極が選んだ境界の修復者。

 太極――そう太一が知る太極に答えはあった。

「目を覚まして、未那!」

 深く、深く、息を吸い込んだ太一は未那の唇へと己の唇を加減もなく接触させ、吸い込んだ息を少女の中へと注入した。

 太極拳は深い呼吸に合わせながら四肢を弧のように動かす拳法である。

 今日では公園で行う健康法として定着していた故に、たどり着いた答えだった。

「んぐっ!」

 唐突に唇を塞がれ、息を吹き込まれた未那は瞼を大きく開かせ、瞳孔を震えさせる。

 太極拳の動きは呼吸法によって変わる。

 未那は陰で太一は陽。

 憤怒が未那の陰陽のバランスを崩しているのならば、太一の陽を直接取り込ませればいい。

 確証もない。

 かといって他に手もない。

 まさに賭けであったが、賭けるに値するだけの賭けでもあった。

「た、た、たたたたたた、たい、たたた、太一!」

 未那の理性を縛る憤怒の鎖は、太一の口づけで砕け散る。

 耳まで顔を真っ赤にした未那の唇と太一の唇との間に透明な糸が光り、そして切れた。

「お目覚めかな未那」

「な、なんてキスすんのよ、あんたは!」

「これしか思いつかなかった」

「このバカ、痴漢、変態、童貞、強姦魔、時と場所を選びなさいよ!」

「お叱りはベッドの上で好きなだけ聞くよ、でも今は……」

 大地が揺れ、連動するように灯京タワーが鳴動する。

 太極の境界が限界を超えて歪み、生まれた混沌が災害として現世に顕現しようとしていた。

「行こう、未那、太極の境界を修復する」

「で、でも、どうやって、私は!」

「僕がサポートする。這い出るのは混沌。ならば混沌を陰と陽に分ければいい。そのための魔法なんだ!」


 何故、魔女が魔女と呼ばれるのか。

 何故、魔女が魔法を使うのか。

 何故、境界の修復に魔法が必要なのか。


 今の太一にならば理解できた。

「私は……――分かった」

 迷い一つない真剣な太一の瞳に未那は覚悟を抱く。

 だがその手に震えはなく、しっかりと太一の手を握りしめていた。

 信頼しているからこそ信じられた。

「昔からあるからこそ灯京タワーが太極の境界であり混沌の噴出口となっている」

 灯京タワーは本来、火を与えた天を称え、祭るための塔だ。

 昔の人々は、自然を敬い、そして恐れてきた。

 境界より漏れ出した混沌を陰陽として整えるために塔を建てた。

「一人ならダメかもしれない。けど、二人なら、未那とならなんだってやれるんだ!」

「太一!」

 灯台京タワーが今一度激しく鳴動し、境界より氷結の熱波と火炎の寒波が間欠泉のように噴き出した。

 本来、氷はものを燃やさない。炎はものを凍てつかせない。

 陰陽混じった混沌故に、矛盾を肯定させる現象を引き起こしている。

 それこそが魔女災害と呼ばれる混沌の災害。

 氷はものを凍てつかせ、炎はものも燃やす、本来の自然の形に戻し鎮めればいい。

 その力こそ、魔法であり、魔女であり、真なる力は隣り合う男がいてこそ発揮される。


 ならば唱えよう。

 世界を変える言霊を!

 彼女は救った。少年は救われた。

 次に救うのはこのロクでもない世界だから。



 哀しみ嘆く憤怒は、僕の口づけで目を覚ます。


 ああ、熱き渚は凍えた私を包み込んだ。


 されど伝わる熱が問いかける。

 切なく揺れる心で未来さきを進めるのかと。


 私があなたを支えましょう。だから、あなたが私を支えて欲しい。


 共に歩こう。愛しききみの全てが欲しい。


 私はあなたをもう追わない。愛しきあなたの隣を歩く。


 きみの贖いと嘆けを全て受け入れる。

 隣に立って微笑んで欲しい。


 盲目の憤怒はもういらない。

 あなたの困った顔が見えないのだから。


 僕たちはまだ何一つ始まっていない。

 生涯みらいを進むために、混沌よ、あるべき姿に戻れ!


 これぞ、真なる叡智アルス・ノヴァ――


 ホルンよ、響け!

 其の音色は凍熾の獄閉じるフィナーレなり。


「「開錠する真なる叡智アルス・ノヴァ! 二律背反の凍熾真世界ハイデス・ケラハット・エメト!」」


 灰は灰に、塵は塵とあるように、氷は凍れ、炎は燃えよ。

 一組の隣り合う男女から放たれた魔法は灯京タワーより噴き出す混沌と激突する。

 地は鳴動し、灯京タワーは周辺建造物を巻き込んで激しい明滅を繰り返す。

 白、黒、灰、白、黒、灰、白、黒――激しい三色の明滅は時と共に黒と白の二色に塗り替わっていく。

 炎は溶け、氷は潰える。

 焼かれた者も、凍った者も、まるで映像の逆再生のように本来あるべき姿へと戻っていく。

 そして、今までにない眩い光が灯京タワーより満ち溢れ、周辺を呑み込んだ。

 中心地にいた男女は――


「空が、青いわね……」

「青いね……」

 手を繋ぎ合う形でアスファルトに背をつける男女がいた。

 男の名は篝太一。

 女の名は涼木未那。

 男は魔女殺しと英雄視され、女は魔女と呼ばれ世界から否定された。

 逃げ続け、抗い続けた結果、彼女を殺すことなく災害を鎮めることに成功した。

「終わった、のかな?」

「うん、終わったんだよ」

 どのくらい倒れていたのか、二人には分からない。

 確かなのは、まるで悪夢を見ていたかのような気分であることだ。

 空は青く、灯京タワーはなお高い。

 掌より伝わる彼女の体温が悪夢ではなく現だと教えてくれる。

「これから、どうする?」

「未那はどうしたい?」

「そりゃ、あんたの隣を歩きたいに決まっているでしょうが」

 顔を太一へと傾けた未那は笑ってみせる。

 自然な笑みに太一の心拍数は必然的に上昇する。

「というか、あんた、なんで生きてたの? 生きてたのなら生きてたって教えなさいよ」

「それはさ……あれ? 僕は誰に助けてもらったんだ?」

 パズルのピースが一欠片足りないように、記憶から誰かが欠落していた。

 誰かに助けた貰った。その人が傷を癒し、ここまで飛ばしてきた。


 ビールが一瞬だけ浮かぶ。


 未成年に浮かぶべきものではないと、頭を振った。

「まあいいじゃない。生きていたんだし、助かったんだし、何よりも……」

 未那はもう鍵装ゲーティアなる魔女の装いを纏っていない。

 境界の修復を終えたからこそ、魔女から解放され、ただの少女に戻った証だった。

「とりあえず、家に帰ろう」

「また、バイクでも盗む?」

「いや、もしかしたら不快的な空の旅になるかもね」

 空を見上げればローター音を響かせ、ヘリコプター三機が編隊を組んで接近している。

 真上に滞空するヘリコプターの風を受ける太一は、そのふとましさから人員輸送タイプだと映画の知識から引き出した。

「あ、降りてきた」

 ヘリコプターより幾本ものロープが垂れ下がったと思えば、スロープのように無駄のない動作で兵士たちが降下してきた。

「確か、ああいうの、懸垂降下って言うんだっけ?」

「あんた、お気楽すぎ」

 吐息零すことさえ面倒だと未那は呆れていた。

「対象を確保!」

 降下した兵士の一人が無線通信で何処かへと叫ぶ。

「はいは~い、逃げませんよ」

 観念したのではなく、達成したからこそ太一は抵抗しなかった。

 何より背中を押したのが、銃口を突き付けられなかったことだろう。

「魔女反応なし! また魔女殺しからもそれらしき反応がありません!」

 兵士の一人がスピードガンに似た機材を取り出し先端を太一と未那に向けて報告している。

「篝太一さん、あなたを一時的に<M.M.>で保護させていただきます。当然、涼木未那さんあなたもです」

「……魔女じゃないんだから、解放してやってよ」

 保護など建前故に太一はぼやくしかない。

 ただ、未那の名前が出たことで存在は元に戻ったのだと把握する。

「そうはいきません。魔女の隣に現れるのが魔女殺しだからこそ、その逆も然り。もちろん、人道に反する行為は及ばないと国連の名の元、お約束します」

 太一に拒否権はないだろう。

 ただ選択権はあった。

 サイレン鳴らしたパトカーが護送車を連れて五台ほど駆けつけてきた。

「待て! そいつの身柄はこちらが預かる! 国連所属とはいえ、横暴がすぎるぞ!」

 パトカーより飛び出してきた男の顔を太一は知っていた。

 フォークリフトで検問を破った時に振り回した男だ。

「<M.M.>の活動は国連加盟国において黙認するものと定められている。警察が干渉する権限はない!」

 国連軍と警察が道路の真ん中で睨み合っている。

「貴官たちの仕事は、暴動に参加した者や、参加した身内を確保することではないのか?」

 皮肉を乗せた兵士の発言に警察は押し黙っていた。

「挙句、拳銃を奪われ、暴徒が発砲した。これは由々しき事態だ」

 今なお倒れ伏す暴徒たちを警察官たちが一人、一人確保していく。

 ケガらしいケガなどなく、確保された者の中には太一を撃った男もいた。

「魔女のせいだ。魔女の、魔女が悪いんだ……」

 なにやらぶつぶつ呟いているようだが、連行される姿は哀愁を誘う。

「未那……?」

「大丈夫。あんたがいるから、前も向けるし、しっかり歩けるから」

 強がりではない純粋な言葉に太一は笑みを零す。

 ただ、立ち上がった未那に太一は違和感を覚えた。

「未那、足は?」

「足? なにって、あるじゃない、二本と、も……あれ?」

 左は動く。右は動かない――はずが、動かせていた。

「え、嘘、な、なんで、どういうことなの!」

 ボルトで固定されているはずの右足を不自由なく動かしている。

「ああ、そういうことか」

 太一は一人、納得した。

 太極が未那の願いを叶えたのだろう。

 恐らく、未那の願いとは太一の隣を歩くこと。

 だが、右足が不自由では隣を歩かれても、隣を歩けない。

 境界を修復し混沌を鎮めたお礼として、未那に再び歩ける足を与えたのだ。

「ちょっと、なに一人で納得してんのよ。説明しなさい!」

 不快と困惑を入り混ぜた表情で太一の首根っこを掴んでは揺さぶってきた。

「後で話すから――痛って!」

 頭頂部に硬い衝撃が走る。

 視界端を何かが走り、咄嗟に手を伸ばして掴む。

 硬い金属質の感触が掌より伝わってきた。

「指輪?」

 手を広げれば、装飾のないシンプルな鈍色の指輪だった。

「なにそれ?」

「さあ~?」

 未那共々、太一は不可解だと首を傾げるしかなかった。

 ただ、指輪持つ太一の中に文字化けしたワードが流れ込む。


 ――ゼ%^@[.7\~{)=の指輪と。

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