第52話 一つの終わりは新たな始まり

 ここはあの世でも、この世でもない。

 あちらでもなければ、こちらでもない。

 太極の一端にある場所に作られたガゼポに黒縁眼鏡の少女が訪れていた。

「あらあら、みなさんお疲れ様です」

 テーブルの上に力なく突っ伏するベリアルとバエルを労った。

「あんたは~今更、どの面下げて来てんのよ~!」

 ベリアルは顔を上げるなり、威嚇するように白い歯を剥き出しにする。

 混沌により境界が崩れつつあった太極は、生きていた篝太一がベレトと共に混沌を解いたことで事なきを得た。

 一人でも人手が欲しい時に現われもしない故、ベリアルが怒るのは無理もなかった。

「見るだけで見て楽しむ、あなたが言わない」

 椅子の背もたれに力なくうなだれるバエルが言う。

 その声から疲労が滲み出ようと今まであった悲観はなく、嬉しさで弾んでいた。

「私の苦労が分かったでしょう?」

「ぐぬぬぬぬっ!」

 ベリアルは歯を剥き出しにして噛みしめるしかない。

「とりあえず安心しました。まさか境界を修復し、混沌を鎮めるなんて流石です」

 黒縁眼鏡の少女とて、どんでん返しに興奮を忘れられないほどだ。

 ただ、何故、死んだはずの篝太一が生きていたのか、腑に落ちない面もあるが結果こそ全て。

 彼が生きており、混沌に呑み込まれ憤怒の化身となったベレトの目を覚ました。

 何より喜ばしい誤算は親友が無事であることだ。

「これから現では忙しくなります。<M.M.>に保護されたお二人を開放しませんといけませんから。後は政府に掛け合って警察にも手を引いてもらわないと」

 篝太一と涼木未那は、あくまでも負傷者として都内の某病院に搬送されている。

 人道に基づいて、体調の検査が行われる運びとなっていた。

「まあ、人間どもがいくら身体を調べても無駄でしょうね」

「ええ、だってもう修復は済んだんですもの。お二人に力の一欠片もありません。仮に解剖したとしてもただの人間としか結果は出ないでしょう。ただし……」

 椅子に腰かけた黒縁眼鏡の少女は、ダイエットコークをティーカップに注ぐ。

「座にあった<指輪>が自ら飛んで行きました」

「え、マヂっ!」

 ベリアルは表情を驚きのあまり固まらせてしまう。

 多忙故に、そこまで目が行き届かなかったのだ。

「飛んで行って、そのまま彼の上に落ちたようです。彼を所有者として認めたのでしょうね」

 今まで人間により妨げられた境界の修復を篝太一は成し遂げた。

<指輪>が主として反応するのは当然だろう。

 ただ、問題は、彼はその<指輪>がなんであるのか、知らないことだ。

「今度、会う時にでも教えますよ」

「あれはただの指輪じゃない。使い方次第では国どころか世界を作ることだってできる強大な力」

「今は七二のうちの一しかないでしょう? まあ、あんたがやるんならいいとしてさ……その女なによ?」

 テーブルに頬杖をつくベリアルは、熊にベアハッグで抑えられた女を指さした。

 熊は黒縁眼鏡の使い魔だ。

 魔女の中には自分を守る盾として獣を使役する力を持つ者もいた。

 女はタンクトップにカーゴパンツと軍人スタイルで、名は蔵色優衣だ。

「折角のハッピーエンドに水どころか狙撃で刺そうとしたので、黙らせて連れてきました」

「連れてきたって、あんた、ここは素質ある者しか……ってそういうこと」

「ええ、まさかの大当たりです。ただちょっと中身が狂い壊れていますけど」

 敬愛する先輩だけに妄念に囚われ、壊れてしまった姿は悲しい。

 友を殺そうとした行動は怒りよりも憐れみしかない。

「それで、その女、どうすんのよ? 殺すの?」

「仮にも敬愛する先輩ですよ。殺したら殺したでお二人が悲しみます。ですから――」

 黒縁眼鏡の命令を受け取った熊は、片手で優衣を掲げるなり、ボールのように放り投げる。

 優衣は悲鳴さえ上げることもなく、漆黒に呑み込まれていた。

「ちょっと座の方に落として反省を促します。要は頭を冷やせ、ですね」

 素質はあるのだ。

 太極に呑み込まれることなく、無限に等しき時間の中で寝ても覚めても世界の成り行きを見せ続けられるだろう。

「ったく、鬼畜なことするわね。流石、腹黒」

「誉め言葉として受け取っておきます」

 素質がある故、精神が壊れることはないだろう。

 苦痛なだけだが、早ければ、二、三週間で現に戻されると予見していた。

「お二方の元気な姿を見られたとして、そろそろ私はお暇しますね」

「ったく、今度は何企んでんのよ?」

 ベリアルは黒縁眼鏡を少し苦手としている。

 敵として認識された以上、あらゆる行動、思考はこの黒縁眼鏡には筒抜けなのに起因していた。

「何を企むなんて、ちょっとした国際問題が起こるだけですよ」

 脚本は既に書き上がっている。

 舞台の幕が上がるのは篝太一が解放された時だ。

 当然のこと、解放させるのが黒縁眼鏡の役目ということになる。

「では、ごきげんよう」

「はい、ごきごき~」

「まあほどほどにしなさい」

 魔女二人に別れを告げ、現へと戻っていく。

 トンネルを抜けるように、光ある場所に戻ってきた彼女は黒縁眼鏡を外していた。


 そこもまたガゼポだった。

 ただ異なるのは太陽の光射す場所にあるガゼポだ。

「お帰りなさいませ、姫様」

 燕尾服姿の初老の男性が恭しくお辞儀をして出迎えた。

 そのまま無駄のない動作で椅子を引き、少女を着席させる。

「彼らの動向はどうでしょうか?」

「白ばかりで嘆いています。ただ涼木未那に至れば、動かぬ右足が完治した原因を調べるため、という名目で検査入院を続けるつもりのようです」

 当然だろう。

 切り札と期待して確保したはずが、何を検査しようと白ばかり。

 魔女として保護した涼木未那も同様。

 反応のなさに何故だと首を傾げているのが目に浮かぶ。

「では予定通り人権団体に彼らの情報をリークしてください。魔女裁判で罪無くして裁かれた者たちの子孫が立ち上げた団体です。彼の団体なら<M.M.>も無視するわけにはいかないでしょう」

 人権を重んじる国連組織だからこそ、人権を武器に戦う団体とは相性が悪い。

 白しかないのだから、黒にしようならば批判は免れないだろう。

<M.M.>がどう出るか、楽しみである。

「はい、もしもし。ええ、こちらにおらっしゃいます」

 テーブルに置かれた電話機が鳴り、男性が応対する。

「姫様、首相からお電話でございます」

 恭しく受話器を差し出した。

「はい、もしもし、代わりました。この前の晩餐会以来ですね。奥様はお元気で? うふふ、ええ、この節は大変お世話になりました」

 電話の主はこの国の首相だ。

「第二次灯京大火と呼ばれた今回の魔女災害。奇跡的に犠牲者はゼロです。ただ都民全員を避難させたお陰で、経済的損失は大きいようですが、まあこの国ならすぐに立ちなおせるでしょう」

 第二次灯京大火と呼ばれる魔女災害の終息宣言が出されて早三日。

 誰もが元の生活に戻りつつあるも混乱から完全に立ち直るまで時間を必要としていた。

 混乱の原因は二つ。

 魔女が討たれたとの情報が何一つないこと。

<M.M.>が何者かの襲撃で壊滅状態に陥ったこと。

 ただ人は移ろい易い。

 日々の糧を得るためには働かねばならず、魔女が消えたのならば好都合なのだ。

 よって時と共に混乱は鎮まりつつあった。

 後、数日もせず都民の誰もが前のような生活に戻るだろう。

「何をおっしゃいますか。一〇年前と異なり今の政権はこちらの話をよく聞いてくれて助かっています。前の政権は話すら聞かず突っぱねてきましたから。あなた方とは今後とも、より良い関係を築き続けることが出来れば幸いです」

 男性が取り出したタブレット端末に表示されるデータに目を配りながら少女は続ける。

「では近いうちに会談の場で。ええ、件の採掘権ついてです。後日、こちらの高官が紙の書類をお持ちしますので、チェックをお願いします。何分、多忙なので、、目を通したらシュレッターで破棄してください」

 都合の悪い情報など処分するに限る。

 どちらのかは、言わぬが花だ。

「では失礼します」

 通話を終えた少女は受話器を男性に渡す。

 男性は受話器を戻すなり、手慣れた身のこなしでポットに紅茶を注ぎ、少女に差し出していた。

「じいや、ダイエットコークじゃないの?」

「一国の姫であるあなたに飲むにふさわしからぬものです」

「葉っぱのだし汁なんて美味しくないわよ」

「なんとも嘆かわしい。女王陛下のお耳に入ればどのような顔をされるか……」

 男性はハンカチを取り出しては涙ぐむ。

「しかも、干渉のし過ぎでお叱りを受けたそうではないですか」

「結果として彼は生きたまま修復を終えた。それで充分なのよ。それに、次の件は全てわたくしに一任されています。自由に動けと、お墨付きを頂きました」

「正直、姫様を危険に晒す行為は賛同しかねます」

「女王陛下――お母様も、そうだったでしょう? 境界の修復を経て王配となるお父様と出会ったのですし」

 嘆息しながら少女は紅茶を口にする。

 香りは王室ご用達の一品であって格別なのだが、個人的にはどうも好きにはなれない。

 一部の者は俗世に染まりすぎたと嘆いているようだが、個人的には世間を知れたと思っていた。

 何より大きいのは、親友が出来たことだ。

「では、じいや、行きますよ」

 カップの紅茶を飲み干した少女は椅子から立ち上がる。

「何処へ?」

「親友の開放に決まっています」

 演技だったとはいえ拒絶した。

 心になんらかの傷を負っているからこそ、傷つけてしまった身として解放せねばならない。

 もし親友が一国の姫君だと知ればどんな顔をするだろうか?

「決まっています」

 親友だからこそ断言できる。

「彼女は変わらず接し続けるでしょう」

 ガゼポから出た彼女の姿が変わる。

 黒髪は青みがかった銀髪となり、瞳の色は蒼に、肌も白みを増す。

 今の姿は東洋系ではく、北欧系の姿になる。

 舞浜瑠璃はこの国で学ぶための仮初の姿だ。

 魔女の力を応用すれば認識を阻害することで偽りの姿を取ることができた。


 彼女の本当の名は、ル=リア・バラガディム。

 北欧ヨーロッパにあるセイファ王国、第二王女であった。


 彼の国を人々はこう呼ぶ――『魔女が統治する国』と。

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