第12話 隠蔽ーキグルミー
「ふはっはっはっ! はーっはっははっ!」
南良夏杏はすこぶるご機嫌である。
右手に握るのはビールジョッキ。
左手に握るのもビールジョッキ。
共通して空っぽであるも、各々異なるビールが並々と注がれていたのはほんの数秒前。
空となったジョッキは死屍累々のようにテーブルに並べられている。
「へい、次くれ、次!」
泡のついた口元を手の甲で拭いながら新たなビールを注文する。
「いや~ビール様々だよ、本当にもう~」
新たに注がれたビールは一抹の泡のように夏杏の胃に消える。
周囲の人々はジョッキを手にしたまま、その呑みっぷりに驚嘆としていた。
「ビールフェスタが中止にならず開催なんてもう最高だね!」
第二次灯京大火の悪影響で開催が危ぶまれたフェスタが開催された。
何でも、主催者側が停滞する経済を回すために開催を決定したそうだ。
会場は真宿のとあるビル。
ビールだけでなく、各飲食店が出展しており、ビールに合う食事が提供されていた。
「美味い!」
夏杏は肉汁滴るソーセージを丸かじり。
絶妙な塩気はビールを喉から欲して止まぬほど求めさせる。
「ぷふぁ~! サイコーしか言葉が出ないね、これは!」
ビールの美味さは語彙力低下を誘発させる。
一方、ビールを堪能する夏杏の背後で、山積みとなったジョッキをスタッフ総出で慌ただしく片づけていた。
「おんや~」
スマートフォンに着信。
ご近所さんからのメールであり、ご丁寧にURLが添付されている。
閲覧すれば、アルバイトが人助けをしたようだ。
「うんうん、人の役にたって何より! 雇い主の私の鼻は高いぞ~!」
鼻よりも長いソーセージを丸かじり。
そして、泡立つビールで流し込む。
そのまま流し目で眼下の歩道を覗き見るもすぐ目線をジョッキに戻す。
「あ、これもよろしく!」
新たに一〇の空ジョッキが追加された。
「どうする?」
太一は自問する。
第二次灯京大火では正義と悪意に追いかけられた。
今回は、善意が包囲網となり太一とル・リアを追いつめている。
ただ移動という形で逃げるのは容易くも、周囲の目は執拗に善意で追いかける。
居場所を把握され続ければ、<M.M.>西太平洋支部に拘束される未来はそう遠くはない。
「どうしましょうかね?」
困った顔で頬に手を当てるのはターゲットであるル=リアだ。
ただ、発言に軽さがあり、どこか他人事のように感じるのは気のせいだろうか。
「動くしかないか」
選択などあってないようなもの。
第二次灯京大火で嫌なほど味わったはずだ。
絶望で膝を折る暇も、生の渇望を口に出す暇もなかった。
ただ、ただ状況に飲み込まれぬよう、生きるためにもがき動き続けるしかなかった。
「ですが、普通に動いては見つけてくださいと言っているようなものですよ?」
動かなければ拘束される。
逆に動かなくても善意の目が太一とル=リアを捕捉する。
左こめかみにある傷跡が目印のように、どこに行こうと必ず発見される。
「ん? 傷跡、どこにいても?」
太一は無意識のまま傷跡に触れていた。
対抗策が閃けば案外単純であったりする。
「姿があるから見つけだされる。なら、姿がないのなら、見つけだされない」
「太一さん」
ル=リアが太一の呟きに眉根を寄せて困惑している。
いや、口端にどこか笑みを宿しており、次に起こる行動を期待していた。
「あれなんてどうですか?」
ビルの裏手に消える影を指さし、ル=リアは提案する。
「行けるかも」
その提案に太一は即乗らぬ理由はなかった。
「どういうことだ!」
ジャン・キリンガーの張り声が移動司令室に響く。
確実に機能していた善意の包囲網が突如として機能しなくなった。
各地に設置された防犯カメラの映像を照合しようと、対象の顔が一つもヒットしない。
平たい顔ばかりだろうと、時間と共に集積されていく情報は精度を上げている。
正誤率九八,八%のはずが、誰一人としてマッチしない。
自然と声を荒げてしまうのは必然の流れだった。
「最後に確認したのはどこだ!」
映像ではとあるビルの前で確認されている。
「ビルの中は……いたな」
二人揃って一目から逃れるようにビル裏手から中に入っている。
何かしらのイベントが開かれていることから、人混みに紛れてやり過ごす腹積もりだろう。
「だが、入った場所が悪かったな」
自らが袋の鼠となった。
現在、件のビルでは未成年禁足のイベントが絶賛開催中だ。
アルコール関連のイベントだからこそ、会場に入るには成人の証明が必要となる。
未成年が入場できるのは精々エントランスまで。
奥へと進もうにも進めない。
「待機中の各員に次ぐ」
ジャン・キリンガーは無線を開き、現場で待機中の各隊員にただ一つの指示を飛ばした。
「確保しろ」
エントランスへと踏み込んだ私服軍人は周囲を見渡した。
少々大きめなキャリーバックを引く姿は端と見て外国人観光客。
誰もがビル内のイベントに足を運んできたとしか思われない。
表には四人、裏からは五人が踏み込んだ訳だが、周囲を見渡そうと誰もが対象と接触せずにいた。
「いたか?」
「いえ、どこにも」
「トイレにもいません」
「あ~スイマセン、ネー」
口々に報告を行う中、その内の一人が誰かと背中から接触してしまう。
咄嗟にカタコトで謝罪して振り返るも、相手の姿に声を潰えてしまった。
「O~Oh、ユルキャ~ラ」
演技臭い声を漏らして誤魔化した。
背中と接触したのはクマとビール瓶を掛け合わせたような着ぐるみであった。
頭から目、口と丸っこい愛嬌があろうと、大人三人でようやく抱きしめられる寸胴な胴体がどこかビール呑みに警鐘を与えてくる。
手に持つのはイベント宣伝の団扇が入った紙袋。
ビール瓶の底のような丸っこい手で団扇を器用に掴めば、各隊員に差し出した。
拒めば怪しまれると感じたのか、隊員の一人が人数分をまとめて受け取った。
「オ~アリガトー」
カタコトでお礼を言えば、着ぐるみは大きく手を振って返し、ビルの外へテクテク歩いていく。
そのまま道行く人に団扇を配りだしていた。
「だが、どこに行った?」
隊員の心の慌ただしさを団扇持つ手が代行する。
隠れ潜む場所などあってないようなもの。
だからこそ自問する。
顔を動かさず、眼球をつぶさに動かしながら周辺情報を得ようとする。
いない。どこにもいない。
誰も彼もが平たい顔をした黒髪種族。
確保対象の銀髪は一毛も見えず、傷あり未成年は影すら見えない。
「本当にこのビルに入ったのか?」
「作戦本部からの情報ではそうだが……」
隊員たちの冷静を装う顔は時と共に焦燥により剥がれていく。
すれ違った記憶はない。
ならば、ビルの奥へと上手く忍び込んだと考えるのが妥当。
隊員の一人が勝手の知らない外国人の振りをして奥に入り込むも、案の定、警備員に止められている。
どうやらその奥にはイベント関係者の部屋があるようだ。
「シツレイシマシタ」
片言の日之元言葉で誤魔化しながら隊員が立ち去ろうとした時、奥からの話し声が耳朶に届いた。
「お~い、着ぐるみが一つないけど、お前知らないか?」
「え? さっき外に出て行くの見ましたけど?」
「ああ、そうか、交代の時間だったな」
短い会話だったが、どこかひっかかりを与えていた。
そして、次なる話し声がひっかかりを確信に変える。
「あれ、お前、着ぐるみどうしたんだ? 中は暑いからって脱いで帰って――来たわけじゃないな。汗かいてないし」
「い、いや、着るはずの着ぐるみがいつの間にか、なくなってて」
まさかと、表情を軋ませながら急ぎ足で仲間の元へと急ぐ。
「さっきの着ぐるみを追うぞ!」
ただこの一言で誰もが状況を把握した。
「まさか、一つの着ぐるみの中に二人隠れてやり過ごすとは、だがあの大きさなら二人入るのは可能か」
隊員は感嘆しながら襟首に隠した咽喉マイクを起動。
このマイクは喉仏付近の振動を利用した特殊マイクだ。
周囲の騒音が酷かろうと音声を確実に送ることができる。
「作戦本部、大至急周辺情報の洗い出しを頼む」
顔認証システムは顔を認証する文字通りのシステム。
顔どころか身体まるごと覆い隠されていては、認証しようにも行えないシステム上の避けられぬ問題がある。
防犯カメラ経由の映像を利用している故の問題でもあるが、図太い着ぐるみならば、目立つ容姿故、容易く追跡できた。
『こちら作戦本部、対象の足取りを確認した。データを転送する』
オペレーターの事務的な声に次いで手元の携帯端末に情報が転送される。
翻弄されている間に、現在地から西へと離れているようだが、追跡対象は着ぐるみ。
駆け足で充分追いつける。
「ずんぐりむっくりの中に男女二人。さぞ、密着状態を堪能しているんだろう」
作戦行動中にも関わらず、ついつい不敵な笑みを零すのは隊長から伝染したからだろう。
女の色香は男を惑わせる。
一つの着ぐるみの中で密着し、互いに身体を預け合っている状況ではなおのこと。
「一、二、一、二」
「一、二、一、二」
ル=リアと声を揃えながら太一は交互に足を出しては進む。
狭い着ぐるみの中、ル=リアが太一を背中から抱きしめている。
自然と着ぐるみ内で籠もるのは熱だけではない。
男の理性を惚けさせる女の色香が太一の理性を惑わせる。
色香だけでなく、否応にも太一の首筋にかかる乙女の吐息、背中に密着する二つの果実もまた太一を惑わすのに拍車をかけていた。
(い、今は息を堪能――違う! 息を合わせて進むことに集中しろ!)
理性を溶かされぬよう、本能で強く持ちこたえる。
二人三脚など体育祭で経験済みだが、縦並び及び密着状態での二人三脚は初体験。
着ぐるみが人二人収納できるサイズは幸運だろうと、色香のデメリットを太一は把握できていなかった。
「太一さん」
弦楽器のような柔らかな声音が太一の耳朶を間近で打つ。
「体調はよろしいのですか?」
「うん、力を使ったはずなのに、意識ははっきりしてる」
太一は今一度ル=リアの魔女の力を使用した。
一度目は使用後に意識混濁となったものの、二度目は軽いめまい程度で済んだ。
理由は未だ釈然としないも、高速での移動ができたお陰でビル内へと忍び込み、着ぐるみを一着拝借することに成功した。
「まさか、ここに来て、着ぐるみを着た経験が役に立つとは……」
太一は自嘲気味にぼやいた。
「アルバイトで、ですか?」
察したル=リアが囁くように聞いてきた。
「うん、バイト先の近所にケーキ屋がオープンした時にね」
ご近所の人手が足りないからと、夏杏からクマの着ぐるみを手渡される。
蒸し暑い、手足は重い、動きにくい、子供蹴るな!
など、散々であったが、夏杏はキッチリと労に見合った給与を渡している。
ただビール一ケースでアルバイトを売ったのは今でも腑に落ちない。
「今のところ追跡はないみたいだ」
過去の回想を打ち切り、太一は現実に意識を戻す。
身体全体を覆い隠す着ぐるみだからこそ、道行く誰もがただのマスコットが歩いているとしか認知していない。
精々、物珍しさにスマートフォンで写真を撮る程度。
よもやその中には人間の男女二人がいるのだと思いもしないだろう。
ただ、イベント関係者と<M.M.>西太平洋支部に把握されるのは時間の問題だった。
「そろそろばれているだろうし」
しっかりと覗き穴から視線を逸らさず太一は返す。
篝太一の現在地は把握されずとも、着ぐるみの現在地SNSで把握されている。
下手をしたら既にもう追っ手が放たれている可能性があった。
「このまま進めば遅くても三〇分ほどで大使館にたどり着けると思いますが、そのまま敷地内に入ろうならば拘束は避けられないでしょう」
太一はただ同意するしかない。
怪しさ満載の着ぐるみである。
大使館が治外法権であるからこそ、不法侵入での拘束は止む得ない。
着ぐるみに爆発物があると判断して射殺も辞さないだろう。
当然、中身が本国の王女様であると判明すれば解放されるだろうが、追跡者は<M.M.>西太平洋支部。
大使館周囲に人員配置を完了しており、獲物が来るのを待ちかまえているはずだ。
「ですので、ここで提案です」
太一の耳元に囁く甘い声が心を惚けさせんとする。
「この近くにセーフティーハウスがあります。一端、そこで身を潜めましょう」
「セーフティーハウス?」
戦争やスパイ映画でよく聞く部屋の名前だった。
ただ、ここに来て取って付けたようなル=リアの提案に太一は眉根をひそめてしまう。
一物の企みを本能で直感したからだ。
「三〇分もこの着ぐるみで歩き通しでは途中で倒れる危険性もありますし」
「ん~」
選択肢などあってないようなことなど今更なこと。
ル=リアが抱く企みに敢えて乗ろうと決めたはずだ。
「大使館が治外法権といえども、一歩敷地から出れば外国たる火ノ元です。いくらこの国が他国と比較して平和だろうと、何も起こっていないの裏返しではありません」
太一は無言で首肯するしかない。
魔女のせいとして逃亡する輩がいる一方、己のプリミティブな衝動に準じて凶悪犯罪を犯す輩もいる。
ただ他国と比較すれば凶悪犯罪の発生件数は少ない。
殺してでも奪い取るという犯罪に頼る発想が国民には希薄なのだ。
「まあお陰でその手の犯罪に対する国の対策は遅れているぽいですけど」
留学先の国を否定するル=リアに太一は黙過する。
セーフティーハウスも要人の避難と安全確保のため、火ノ元政府にも極秘で用意していたのだろう。
一国の姫君――それも王位継承者。
用意せぬほうがおかしいも、護衛を誰一人連れていないのは、なおおかしく、理由を看破できていない。
「あ、そこを左に。次に右です」
ル=リアの囁き声に促されるまま、着ぐるみは狭い路地に入り込む。
人一人が余裕で通れる幅であろうと、ずんぐりした着ぐるみは壁面をこすりつけるように接触しながら奥へと進んでいく。
「あっ」
進軍は左右から来る衝撃で中断された。
原因は道幅の狭さ。
着ぐるみ特有のふとましさが仇となり、胴体がひっかかっていた。
「仕方がない。ここで脱ごう」
引っかかったのは不運だが、人目の希薄な路地裏なのは好都合。
ル=リアが内部にあるファスナーに手を回す。
滑るような金属音が響くと同時、外気が着ぐるみの中へと入り込み、表皮に流れた汗を撫でる。
「あ~もう、汗でベトベトです」
ル=リアは外に出るなり、汗で頬に張り付いた髪を煩わしそうに剥がしている。
次いでシャツの襟元を指で掴んではパタパタと動かし胸元に風を送り込めば、視線逸らす太一にほくそ笑んだ。
「どうかしましたか?」
ル=リアが嬉々として目を細めては聞いていた。
発汗必至の着ぐるみの中にいたからこそ、衣服が汗で肌に張り付くのは当然の結果。
薄手の生地だからか、汗によりうっすらと下着が浮き出ている。
太一はエロスの権化であるほど猛り狂っていないが、発汗による喉の渇きが生唾を呑み込ませる。
視線逸らしたのはただ単に理性が本能を制御しているだけだ。
「と、とりあえず、そのセーフティーハウスに向かおう」
言葉で現状と視線を濁すことでやりすごす。
「はい、ではご案内いたしますね」
ル=リアの浮かべる屈託のない笑み。
それは、追われる者ではなく、追いつめる者の色彩が宿っていた。
もっとも視線逸らした太一が把握することはなかったが。
「おっと」
「どうしたの?」
「いえ、なんでもありません」
口元を手の甲で拭うル=リアは咄嗟に誤魔化せば、道案内を開始するのであった。
(獲物の前で舌なめずりは三流未満ですし、はしたないですよね
<M.M.>西太平洋支部がル=リアを獲物として狙うように、ル=リアもまた狙う獲物があるのだから。
(三〇分もあればいいですかね?)
後方より覗く追っ手の視線を把握しながら、ル=リアは今一度ほくそ笑んだ。
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