第3話 正しいロバの使い方

「お疲れさまでした」

 本日のアルバイトは終了の時間となる。

「はい、おつかれ~歯磨いて寝ろよ~」

 歯を磨くのは当たり前だが、何故、帰り際に毎回言うのか太一は理解できない。

 店主はいい加減そうな性格に見えるが根は以外にもしっかりしていた。

 私が法律だと公言しようと、働いたら働いた分だけしっかり払う。

 雇用された当初は不慣れ故のミスを起こせば原因をしっかり説明し、二度目がないよう注意を促す。

 アルバイトが仕事に慣れれば――ほとんどの仕事をお任せする店主の出来上がりである。

 信頼なる言葉、重く、酷であると実感するのは当然だが辞める気はない。

 理由は――よくわからない。

 むしろ、辞める理由はない。なんだかんだで馴染んでいた。

「今、どこにいる、と」

 太一は店から出るなりスマートフォンに単文を入力して送信する。

『いつもの図書館』

 数秒も間を置かずして返信あり。

 これまた送り返された単文であった。

 ただこの短い文により太一は送り主の機微を感じ取る。

「そうか、今日はおばさん、夜勤だから昼間は家にいたんだった」

 アルバイトに汗を流すばかりかまけて家のことを失念していた。

「こりゃ早く行ったほうがいいかな」

 メールの送り主は不機嫌極まりないはずだ。

 向かう先は市内にある市立図書館。

 一〇年前の灯京大火により一時は焼失するも、支援により新しく建て直された。

 蔵書量も寄贈により大学にある図書館と負けず劣らずであることから勉強はおろか調べ物に利用する人々は多い。

 急いで歩くこと一〇分、太一は目的地である図書館へと辿り着く。

「あら、篝さん。こんにちは」

 くぐろうとした自動ドアは内側より出る者により開かれる。

「あ、こんにちは、え、えっと、確か……」

 太一は現れたワンピース少女の顔と名前を一瞬だけ思い出せなかった。

 黒縁眼鏡に三つ編みと絵に描いたような文学少女だが、弦楽器のような流暢な声音は心をくすぐる不思議さがある。

 だからか、この声音で太一は誰か思い出す。

「思い出した。三組の舞浜まいはまさん」

「はいそうです。お隣のクラスの舞浜瑠璃るりです。もう学校ではちょくちょく会っていたではありませんか」

 彼女は高校の同級生であり、クラスは違うも何度か立ち話をするほどの知り合い。

 正確に言えば友達の友達といったところだ。

「彼女でしたら熱心に読書中ですよ」

 出入り口に立ち続ければ他の利用者の邪魔となる。

 だからか、瑠璃はそう一言添えてゆっくりと歩き出した。

「ありがとう」

「どういたしまして。あ、それと篝さん」

 思い出すかのように立ち止まった瑠璃は、三つ編みを揺らしながら振り返る。

「女難の相が出ていますよ」

 人差し指を艶やかな唇に当て、穏やかに浮かべる微笑みは嵐の前の静けさだった。


 改めて自動ドアをくぐり抜ける太一。

 静寂をページめくりの音が破る中、目的の人物を探し出した。

「……いた」

 とあるテーブル席に本を山積みにして食い入るように読みふける少女がいた。

 片側にあるノートとシャープペンシルは日光浴中だ。

 少女の名は涼木未那(りょうぎみな)。

 年齢は太一と同じ幼なじみ。

 高校も同じであるが一年生時のクラスは別々であった。

 肩を越えるほどある長い髪はバレッタにより後頭部で束ねられ、やや切れ長の目は知識の飢えを隠しもせず本に釘付けである。

 口元は脳裏に何かが引っかかりを与えているのか、への字と不機嫌気味だ。

 折角、洒落たブラウスの上から春らしい色のカーディガンにスカートと似合っているのに表情が台無しにしている。

 口に出せば怒り出すので太一は伝える愚行はしない。

 気づかれているのを承知で少女と対面する形で椅子に座るのであった。

「アルバイト、おつかれ」

 少女は本から顔をあげることなく太一を労った。

「タ・イ・チ~」

 間を置かず顔を上げずに少女は猫なで声で太一を呼ぶ。

 声音からして内面――それも空腹に傾いているのを太一は経験則から聞き取った。

「私は今、無性にお腹が空いています。家でお昼を食べてから図書館で勉学に励もうかと思ったのですが、トラブルのせいでお昼を食べ損ねてしまいました。しかも財布を忘れてしまうという大失態です」

 少女が本から顔を離さないのは、不機嫌面を太一に見せないため。

 同時に本を読み続けるのは、食物ではなく知識を詰め込むことで空腹を紛らわすためである。

「よって隣人であり幼なじみであり家族である太一に、私を満足させる美味しい夕食をリクエストします」

「例えば?」

「牛丼食べたい。豚汁とサラダ付きね」

 つまりは牛丼チェーンでの外食を希望していた。

「ん~未那には悪いんだけど牛丼はまた今度で」

 男の食べ物とイメージが強いせいか、女一人で牛丼店は入りにくい。

 だからこそ、男という水先案内人が必要となろうと太一はその申し出を断った。

「なんでよ!」

 読んでいた本を倒した未那は声を腫らして太一に抗議した。

 静寂破る声は必然と利用者の目線を集わせる。

「あのね、一昨日、テレビに出ていたタンドリーチキン見るなり、食べたいから作って~と人にすり寄ってきたのどこの誰でしたか?」

 太一の指摘に思い出した未那は気まずそうに本で顔を隠した。

「昨日の夜にそのチキンに下ごしらえをして冷蔵庫に保存しているんだよ。あとは冷蔵庫から出して焼くだけ」

「な、なら牛丼はまた今度で」

 未那は顔隠す本から納得の声で返す。

 集う視線も興味を失うかのように散り散りとなり元の静寂さを取り戻していた。

「入り口前で舞浜さんと会ったよ」

「こっちから見えたから知ってる。それで、瑠璃と何話してたの?」

 本から覗く未那の目が洗いざらいに吐けと力強く訴えてくる。

「大したことじゃないよ。挨拶して、未那がここにいるってことだけ話して別れた」

 隠し事をする必要などないため、太一は包み隠さず打ち明ける。

「それだけ~?」

 疑いの視線が太一の良心に無形の刃となって突き刺さる。

 ただ未那の友達と挨拶と立ち話をしただけで疑いを持たれるなど男としてつらい。

「そ・れ・だ・け」

 女難の相とはこれのことなのか、太一は内でぼやく。

「ならもう限界近いから今すぐ帰るわよ」

 広げていた本を畳んだ少女は声を振り絞るようにして言う。

「わかったから、その前に読んでいた本を片づけないとね」

「太一は座ってなさい。この程度、自分一人でやるから」

 テーブルの上にはハードカバーの本が山積みとなっている。

 ゼロから始める魔女史学、戦争と魔女、魔女が統治する国、魔女はどこから来てどこへ行くのか、などの魔女を題材とした本ばかり。

 どれも学者が編纂した本であった。

「こんな広辞苑並のサイズ、よく一人で持ち出せたね」

「このぐらいなんでもないわよ」

 チリチリと静寂の中、いくつもの視線が太一に突き刺さりだした。

 身に馴染みすぎた視線だ。

 一方、視線を他所に未那は透明なリュックに本を一冊入れては背ではなく胸元で背負う。

 次いで壁に立てかけてあった一対の松葉杖を手に取った。

 中学時代に遭遇した事故の後遺症で未那は右足を動かせず、歩行には松葉杖を必要としていた。

 太一の左こめかみにある傷もその時の事故でついたものだ。

「そういうことね」

 松葉杖の持ち手を握る以上、両手は塞がってしまう。

 塞がってしまうからこそ透明なリュックの出番である。

 本を手に持てば松葉杖を持てない。

 肩から鞄をかければ左右の身体バランスが崩れやすい。

 だからこそのリュックである。

 加えて透明なのは身の潔白へと繋がり中身の有無が容易い。

 未那はこの図書館の常連、職員共々事情は理解してくれている。

「ふっふっふ、カンガルーみたいでしょう?」

 不敵に笑う未那だが、袋の中身は子供ではなく本であるため太一は苦笑する。

 そのまま未那は松葉杖を突きながら右足を引きずるようにして本を戻しにいく。

 職員が心配そうな顔をしているが顔見知りだけに手を出そうとしない。

 正確には

「手伝わないなんて薄情な男だ」

 太一にとって耳慣れた言葉が静寂の中、矢のように飛んできた。

 手伝わないのではなく、手伝わないようにしているだけだが、事情を知らぬ者からすれば薄情と映るのは当然だと理解している。

「足は調子いいの?」

 返却棚とテーブルを往復する未那に太一は大き目の声で聞いていた。

「まあまあね。懸念されていた術後の障害もないし後はリハビリと時間だけかな」

 休憩と言わんばかり未那は太一と対面する形で椅子に座る。

 すぐ立てるように松葉杖は壁にかけず、透明なリュックも胸元にかけたままだ。

「それは良かった」

 安堵しようと太一を糾弾する視線は消えることはない。

「ねえ太一。ロバ、ううん、牛でも馬でもいいわ。その動物と夫婦の話、聞きたくない?」

 聞かねばならないだろう。太一は目線逸らさず耳を傾ける。

「夫婦はロバを売りに行くけど、ロバの使い方を知らないとバカにされる。なら夫がロバに乗ってその横を妻が歩いていればそれを見た人は妻を歩かせて自分だけ楽するな、ひどい男だと言われたそうよ。今度は妻をロバに乗せて夫が歩いたら、夫を歩かせるなんてひどい妻だと言われるの」

「それなら夫婦でロバに乗れば解決だろう」

「うん、だからこそ夫婦は一緒にロバに乗るけど、今度はロバに人二人を乗せて歩かせるなど虐待だと騒ぐのが出てきた。かといって夫婦揃って最初みたいにロバに乗らず歩けばロバを歩かせるなと来る始末」

「クレーマーだな、もう」

「太一、この話で気づくことはないの?」

 未那が話す以上、休憩がてらの世話話ではない。

 何かしらの意味があるはずだが、太一は両手をあげて降参のポーズを取る。

「答えは万人から同じ賛同を得るのは難しいってことよ」

 ここに来て未那がロバと夫婦の話をするのか、現状況を鑑みれば単純であった。

 図書館利用者からすれば太一は足の悪い未那の手助けをしない男だ。

 飛んできた声は足の悪い女に重い本を運ばせる薄情な男だとの非難。

「確かに右足が動かないのは不自由だけど、別に不便じゃない。動かないなら動けないなりに動けばいいの」

 静寂を突き抜ける視線の矢は未那の話で幾分か減ったがなくなったわけではない。

 この視線こそ、万人を理解させる難しさと不条理さの現れであった。

「よし、終わりっと」

 テーブルと返却棚を往復すること七回、テーブルの本全てが返却棚に並べられていた。

「あ~お腹すいた」

「なら帰ったらすぐご飯だね」

「美味しいのよろしくって、あんたにいうだけ無駄か」

 期待しないのではなく期待するという逆の意味で、である。

「あんたの作るご飯はなんでも美味しいもの」

 少女を苛んでいた不機嫌さはすでに失せていた。

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