第4話 彼女が不機嫌である理由

 太一は隣家である涼木家のキッチンに立っていた。

 隣家なのは、家主から一人の食事よりも大勢のほうが良いと提案されたからだ。

 両親は海外出張、未那の母親も仕事で家を空けることが多い。

 必然と料理当番は太一が行っている。

 未那とて料理できる身であるがキッチンに立つ機会は少ない。

 足の不自由さではなく、単純に料理の腕は太一の方が上であるためであった。

「太一、私お風呂に入って来るから~♪」

 冷蔵庫からチキンの入ったタッパーを取りだした太一は弾む声に目線を向ける。

「覗いたら許さないからね」

 にんまり笑顔でどこか期待する未那との毎度のやりとりに太一は辟易すらしない。

 異常だと一〇代の年齢として理解している。

 未那は太一の幼なじみであり物心つく前から一緒である。

 男と女。

 その身体の違いも理解している。

 思春期特有のエロスすらしっかりと隠し持っている。

 好意を抱いているのは否定しない。

 否定しないも異性よりも家族寄りの度合いが強かった。

「……料理しよう」

 思考する太一を引き戻すのは開けっ放しを知らせる冷蔵庫のアラート。

 気を引き締めて料理を再開しようとするも開こうとしたタッパーに瞠目した。

「こ、凍っている……」

 冷蔵室に入れていたタッパーの中身は凍り付いていた。

「風の当たりすぎかな? でも、温度はそんなに低くないし、なして?」

 タッパー内のチキンはカチンコチンの鈍器状態である。

 確かに冷蔵室であろうと冷風の気温が極端に低く、常時当たり続ければ食物は凍るのだが、温度設定は省エネにされており凍るほどではない。

「仕方ない。解凍しよう」

 温度調節と時間さえ間違えなければそれほど気にする問題ない。

 遠くでサイレンが鳴り響きだしたのは同時だった。


 ――あんま燃えないわね……


 声が聞こえた、気がした。

「ん……? ボヤ騒ぎ……またか」

 ニュース番組の緊急ニュース速報でサイレンの原因を太一は知る。

 ここ数日、灯京の各所でボヤ騒ぎが頻発している。

 原因は事件か、事故か、調査中とのこと。

 火のない所に煙は立たぬというように、火の気がない場所から出火していることから放火の線が濃厚だとされていた。

 火の用心だと料理する太一は己に言い聞かせる。

「まあ、熱は出るけど火は出ない」

 フライパンに乗せたチキンを焼いていく。

 灯京大火の影響により火を忌避する流れが生まれたことで各家庭のオール電化が進み、ガスコンロの使用率は0に近い。

 IH(induction heating)と呼ばれる電磁調理器が主流となり、実際、チキンを焼くのはガスの炎ではなく電力にて生まれた熱だ。

「あ~さっぱりした」

 香ばしい匂いが漂う中、松葉杖の未那が右足を引きずりリビングへと入ってきた。

「ん~ん、食欲を刺激する香り。ますますお腹がすいてきたわ~」

「もうすぐできるから――パジャマ着て!」

 フライパン片手の太一は振り返らずして未那の恒例姿に注文を付ける。

「ん~欲情した? したでしょう? しないはずないもんね~?」

 椅子にどっしりと腰を落ち着けた未那は仄かに声を緩めている。

 風呂上がりの服装はタオルを首にかけ、着用する布地はショーツのみ。

 男が目の前にいようと恥じらうどころか、挑発するかのように首にかけるタオルを取り去っていた。

 グレープフルーツ二つ分の重さを持つ母性の象徴が晒けだされようと未那は一切の恥じらいを抱かない。

 頬をほのかに上気させているのは単に風呂上がりだからだ。

「おじさんも見てるよ」

 太一はテーブルの写真立てを指摘しようと既に未那の手により写真立てを倒されていた。

 見ていないなら問題ないとの勝った顔のおまけつきだ。

「おじさん!」

 天国にいる未那のお父さん。

 あなたの娘はあなたが願った通り大きく健やかに育っております。

 健全の意味でも、ゲスの意味でも……。

「お父さんが生きていたら、それやれ、押し倒せとかしか言わないわよ」

 事実であるため太一は悔しさで唇を噤むしかなかった。

 特別救助隊――レスキュー隊が未那の父親、学人の仕事場であった。

 普段は豪快崩落な性格ながら災害現場では冷静に対処する高い判断能力を持ち、各隊員から慕われるなど人望にあつい。

 ただ未那の父親は三年前、救助中の事故で亡くなっていた。

 葬儀の際、太一は泣いたのを覚えている。

 友人の子であろうと我が子のように面倒を見てくれた。

 非番の際はよく遊んでくれた。

 人を助け、守るという心構えを教えてくれた。

 何よりも灯京大火の時、炎から逃げ惑う太一と未那を助けてくれたのは他でもない学人だ。

 太一にとってもう一人の父親のような存在だからこそ、喪失は何よりも大きい。

「それで、太一、私の裸を見て、どう?」

 太一は目線を男の性で逸らしては戻してしまう往復を繰り返すだけで返答に窮していた。

「あんたね~仮にも幼なじみであろうと男と女よ。押し倒したいとか、吸いたいとか、それどころか今すぐ貫通して出したいとか、ないわけ? 出すしかないでしょう!」

 ないと完全否定できぬ太一は口を噤む。

 未那は女の身体で、太一は男の身体を持つ。

 異性に痴情を抱くのは本能だ。

 だが太一を抑圧するのは、その時ではないと囁く理性だ。

「ふん、まあ、あんたは自信――それも目標がないから、それが見つかるまで手出さないいうか、出せないからね~」

 失望ではなく理解の言葉だろうと、受け手の太一からすれば失望同然の言葉であった。

「あんたさ、家事スキルは私より上なんだからもう主夫しなさいよ。私が外で稼ぐからあんたは家で働く。それで万事OKでしょう」

「勝手に僕の人生を固定しないで」

 夫婦になることを前提に言われようと早々賛同できる太一ではない。

 人によっては悪くはないが、太一からすれば己の進路を勝手に決定づけられた不快感がある。

 同時に決められていないからこその善意とも理解していた。

「固定か……あんたはいいわよね。自分の進路は自由に決めろのお墨付きとか、うらやましいわ~」

 地雷を踏んだと痛感した時には遅かった。

 先ほどまで湯上がり上機嫌だった未那の表情は暗く沈み、瞳の奥底には怒りが渦巻いている。

「本当に、世の中、万人に理解してもらうのって難しいわ~!」

 その独白は未那の抱える問題であった。

「おばさんだって未那の身を案じているんだよ」

「案じてか……女が魔女の研究をすれば魔女になるとか、根拠ないでしょうが。なに根拠のない噂、信じてんのよ、あの母親は!」

 今なお目標を見つけられない太一と異なり、未那は魔女の歴史を研究する魔女史学の学者になることを目標としていた。

 大学によっては専門の学部もあり、学術的観点から魔女の謎を紐解かんとする研究すら行われている。

「ただ歴史を研究することで魔女災害に何らかの対処法を見いだす学問でしょうが!」

 魔女が女であることから、一つのジンクスが囁かれていた。


『女が魔女の研究をすれば魔女となる』

 という科学的根拠のないジンクスが。


「魔女関連の資料読んだら魔女になるから止めろとか、女人禁制の山入ったら石になる迷信信じているみたいなもんでしょう。現に私は問題なく私のままよ!」

 動く左足の踵をバンバン床に蹴りつけて未那は内なる怒りを吐き出している。

「未那、あまり足に負担をかけない方がいい。左足だって一年前に動くようになったばかりなんだ。これ以上はいけない」

「……う・る・さ・い!」

 不機嫌な顔で未那は太一を不快に睨みつけた。

「この私に進路に関してあれこれ言いたいなら自分の目標を持ってからにしなさいよ。言う権利、あんたにはないでしょうが!」

「権利か……母娘おやこ揃って言われたけど、誰だってあるし誰だってないんだよな」

 進路を巡って度々衝突する母娘の仲裁に太一が入ろうと、目標を持たぬ故に助け船にすらならないのが現状であった。

 隣家で、両親同士が友人で、子供は幼なじみであろうと詰まるところは赤の他人。

 赤の他人が抱く問題故、介入するべきではないが繋がりがあるからこそ仲介せねばならぬジレンマがある。

「着替えてくる」

 不機嫌さを一切隠さない未那は松葉杖を不快に突きながらリビングから離れた。

「ねえ、おじさん」

 太一は写真立てを起こしながら写る未那の父親に話しかける。

「もしおじさんが生きていたら、おじさんは未那の背中を押したのかな? それとも身体を張って止めたのかな?」

 返答などあるはずがない。

 写真にはレスキュー隊員の服を着込んだ学人が笑顔を浮かべている。

 自信に溢れながら己に傲りを抱かず、レスキュー隊の仕事に誇りを持ちそして散った男。

 その背中に憧れを抱いた。

 大人としての器に幼き自分もそうなりたいと願った。

 成長した今では将来の目標を抱けず、ただ学業とバイトに費やす日々。

 友人の息子にどのような感情を抱くのか、これまた返答はなかった。

「安定なんてどこにもないんだ……」

 無論、目標はあった。

 幼き頃は出張の多い両親の姿に、地方に飛ばされることも出張もあまりなく給与の安定した公務員になる夢を抱いていた。

 入れ知恵は他でもない学人。

 何しろレスキュー隊は消防庁所属の地方公務員だからだ。

 だが、一〇年前に首都を襲った大火が夢を焼き尽くして現実を露わとした。


 安定など幻想である。


 如何なる堅牢な建物であろうと、安定した職場であろうとあの大火の前には無意味であると幼きながら現実を知り幻滅してしまったのだ。

「でも焼かれなかったものもあった……」

 燃え盛る猛火をものともせず幼き子供を助け出した機械の鎧。

 憧れであり、侵されざる聖域であり、何より折れぬ象徴であった。

 その名もオーバーシェルギア。

 人々を守り、救う堅牢な鎧だ。

「もしかしたらアルバイトをするのも気を紛らわすためなんだろうね」

 ただ幼なじみが確固たる目標を持って進む姿は太一に劣等感を与えてくる。

 進む姿が太一に出遅れという焦りを生ませ、誰もが持つ目標を持たぬ自分は偽物であると内なる自分が痛烈に語りかけていた。

「……まあおじさんのことだ。安定が見つけられないなら、安定を作ればいいとか言い出すよね、きっと」

 その安定の骨組みすら太一は組み切れていない。

 安定とは何か――なる疑問、考えるだけできりがない。

 だからといって目標探しに足を止める気などない。

 あの時、自分を助けたオーバーシェルギアのように堅牢な意志を持って目標を探し続けていた。

「今はとりあえず進んで、進んで、進む。そうすれば通った跡に目標のきっかけがあると思うんだ。だから二人を見守っていてください」

 写真に語り終えた太一は顔を引き締めては次なる行動に移る。

 まずは夕食を完成させること。

 次なることはその次になってから考える。

 どうにかしようと行動すれば割とどうにかなるものだと経験が知っていた。

「太一、ご飯できた?」

 不機嫌さをやや潜めた未那がパジャマを着込んで戻ってきた。

「うん、ちょうどできたよ」

 太一はこんがり焼いたタンドリーチキンを平皿に乗せながら答えた。


 件名:お腹すいた

 太一くん~ごはんある~?


 脱力の宿ったメールが太一のスマートフォンに届くのであった。

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