第12話 魔女は一体何者なのか
移動先は図書館に併設された喫茶店だった。
木組みの内装が特徴的な店内にて対面する形でテーブルにつく。
注文の品が届いたのを頃合いに夏杏は言う。
「結論からいうと当てにはならん」
「え?」
結論から言い放つ。
お陰でアイスティーのストローに唇を近づけかけた未那は手を止めてしまった。
「だから、私の話は当てにならんってこと」
「どうしてですか?」
「事情も状況も異なるからさ」
ブラックコーヒーを口に含みながら夏杏は目尻険しく、鋭利な言葉を突き立てる。
「私が魔女史学を専攻したのも当然、興味という熱を持ったからだ。しかもきみぐらいの歳には親なし家なしでね、親の遺産や奨学金をやりくりして大学に通っていた」
冒頭だけで当てにならぬ意味、未那は気づいて奥歯を噛みしめた。
「少年の身内だけあって勘は鋭いようで何より。もう一度結論からいうと――止めておけ、きみでは到底無理だ」
初対面の人間に否定されるなど、身内にあれこれ指摘されるのと比較して腹に来る。
それでも未那は相手が忙しい合間を縫って会いに来てくれた手前、自制心を保ち続ける。
「きみは家族もいればしっかり学校にも通えている。加えて図書館でゆっくり勉学に励む時間さえある。勉強というのは一種の贅沢品だ。勉学に励む姿勢は否定しない。否定しないが――胆力だけで渡っていけるほど魔女史学の世界は優しい世界ではない」
散々言われたことが未那の耳を痛ませる。
「守られ、助けられているのを自覚できるきみだからこそ言わせてもらうが、本当の独りになれば当然のこと誰も助けてくれないぞ。きみの幼なじみだって四六時中側にいるわけでもない。魔女史学の世界に飛び込むとはそういうことだ。加えてきみは右足がどうも悪いようだ。それなら自力で逃げ切ることさえ難しいぞ」
「ええ、中学の頃、事故で……」
切れかけていく堪忍袋の尾をどうにか補強しながら未那は平坦に返す。
「人間はね。一つでも欠点、欠落があると分かるなり傷口にたかるハエのように中傷を楽しんでくる。私は大学時代、親なし家なしって理由だけで散々嫌がらせを受けたよ。大学は金と学力、両方あっていける場所だ。きみは誰ひとり頼らずやっていけるのかね?」
夏杏の重みある言葉は未那の反論を喉奥にまで抑え込んでくる。
ジンクス云々の問題ではない。現実の問題だ。
大学で経験したからこそ言える重みがあり嘘の匂いがない。
この人は手強い。
母親とは違う匂いを未那は感じ取り生唾を無意識のうちに飲み込んだ。
「確かに今の私は頭あっても自由に動かせる足はありません。だからといって自分が特別だと思ったのは一度もありません」
「そういうことを言うことが自分を特別だと思っている証拠だよ。悪いこと言わないから他の学問に移動しちまいな。そうしたほうが親御さんや幼なじみも安心するだろうよ」
そろそろ限界が近かろうと今すぐ破裂させるほど未那は子供ではない。
「……私はお父さんのようになりたいんです」
レスキュー隊に所属していたこと。
救うことを信条とし何であろうと諦めず、胸に抱く信念を曲げなかったこと。
救助中の事故で亡くなったことを告げた。
「憧れを抱くのは否定しないよ。でもね、勤勉少女、きみには一つ知らないものがある」
「なんですか?」
「このブラックコーヒーのように、にっが~い~ままならぬ現実をね」
夏杏は言うなりコーヒーをビールのように飲み干していた。
自分に都合のよい出来事など、二次元世界でない限り起こりえない。
幻想にもなれず、永遠にもなれないままならぬ苦さが現実であった。
「だったら学べばいいだけです。学ばなきゃ前に進めません。今の夏杏さんがいるのだって色々なこと、良いことも悪いことも全部経験したからいるんですよね?」
「まあそうだね~」
夏杏は演技臭い顔で肩をすくめている。
どこか失敗したかな、と聞こえぬ声を聞いた気がした。
「
足が不自由だから心まで不自由とは限らない。
心と視野を広く持ち、自らを萎ませてはならない。
萎ませた先にあるのは自らを恨むよりもこの世の恨みながら死んでいく結末である。
誰かの、何かのせいにして生きていくことを未那はしたくなかった。
「意志は固いか……まあ及第点かね。あ、コーヒーおかわり、ホットでブラックね」
天を仰ぐように呟いた夏杏は、近くうを通りかかったウェイターにコーヒーを再度注文する。
「及第点って……もしかして試したんですか?」
「当たり前よ。いきなり現れて、お母さん、この子は勤勉に励んでいます。だから魔女史学を学ぶのを認めてくださいとかいったって尻の毛一本も説得力ないって。私なんかよりきみの幼なじみが孫の顔を見せるので娘さんと子作りさせてくださいと、説得したほうがまだ効果はある」
やり方は腑に落ちないが先輩であるならば腑に落ちる。
けれども蛇足がありすぎる。
覚悟を抱こうともその領域に踏み込んでいない以上、結果など分からない。
過去が過ぎ去ったと書くように未来とは未知が来ると書く。
誰であろうと未来は分からず、これから。
可能性とは未知なのだ。
「まあ覚悟があるなら進めばいい。ないなら別の道を選べばいい。選んだなら挫折だろうと後悔だろうと進み続けることだね。要はなんであろうと諦めず折れない心だよ」
ぽんと自らの胸を夏杏は叩いた。
「自分のことを自分で決めるのはなんたって心の鍵だ」
「鍵、ですか?」
「そう鍵。心を閉じる、心を開く、それを開けるのも開くのも鍵だ。何かを決定づける肝心要のもの――なんであろうと無くすんじゃないよ」
「無くしませんよ」
つい先ほどまで切れかけた堪忍袋の緒はいつの間にか袋そのものが消え去っていた。
話してみれば悪い人ではない。
それに未那は夏杏を説得する材料として見ていた己を恥じた。
いくら魔女史学の博士号持ちだとしても、夏杏は夏杏であり未那は未那である。
他人の力で得たものに価値はない。
自ら得てこそ本当の価値がある。
そうでなければ物事の本質を見抜けないだろう。
「ああ、そういうことか」
未那は亡き父親が抱いていた信念に気づく。
父親が諦めることなく救助し続けたのは、その胸に折れぬ克己の心を持ち続けたからだ。
すべての人を救助できたわけではない。
助けたとしても遅いなどの理由で感謝どころか非難する。
自業自得で遭難しても助けてもらうのは当たり前だとする輩をも父親は助け続けてきた。
いかなる批判を受けようとレスキュー隊としての誇りを失わなかった。
だからこそ娘として父親に憧れを抱けたのだ。
「ありがとうございます、夏杏さん。先は厳しいかもしれませんが何か見えた気がします」
憑き物が落ちたかのように、未那は心が晴れた気分になるのを久方ぶりに感じていた。
「ほ~それならわざわざ仕事抜け出して来た甲斐があるってもんよ」
「え……ぬ、抜け出したってなら、お、お店は?」
「当然、働き者のアルバイトに任せてある」
つまりは太一に店番をさせている。
どのような店か、未那は太一の口から万どころか億単位の品があるとある程度聞かされていた。
その店を高校生一人に任せるのはどう聞いても荷が重すぎる。
「いいんですか、お店、太一一人に任せて?」
「問題ないって、あの少年は見かけによらず働き者だ。気を紛らわす側面が無意識ながら強いとはいえ店の留守を預けるだけの度量と器量はあるもんさ」
「そ、そうなんですか?」
「そうよ! 何しろ、この私がガッチリ育てたからね!」
自信満々な顔で夏杏は鼻息を荒げて見せる。
対面して座る未那は、ドヤ顔とはあのような顔であると、どこか冷静に分析する自分に別の自分がため息つくのを感じ取った。
「ところで夏杏さんは魔女史学で何を研究していたんですか?」
好奇心で聞いてみた。
魔女と一言で露わそうと時代時代によって異なっていたりする。
昨今の魔女災害による風評被害にて埋もれた祭事があった。
ワルプルギスの夜と呼ぶ魔女の宴である。
魔女とついていたことから昨今の魔女災害も相まって今現在では悪しき儀式と認識されている。
実際は春を迎える伝統行事だ。
歴史を紐解けば魔女の名を冠しながら魔女災害とまったく無関係の儀式や祭事が埋もれている事実があった。
「研究テーマは如何にして魔女は呪い殺すのかってやつさ」
物騒すぎる研究に未那は内心冷や汗をかきながら続きなる言葉を待つ。
「いや~あの時は面白かったよ。様々な時代の呪術を調べて、毎度私に嫌がらせをする連中に人を殺す呪いの儀式だと研究結果を目の前で再現してやったら、あいつら、快晴のまじないに腰抜かしてやんの~あっはっは~ばっかめ~!」
夏杏なる人となりが見えた気がした。
やり返すならば二倍どころか二乗返し。
恐ろしい。敵に回したくない。
「まあ研究で分かったのは儀式やるより直接殺したほうが手っ取り早かったってことだね。昔から殺人を魔女のせいにして罪から逃げた例に暇はない。儀式もそれっぽく見せれば魔女だからと誰もが不思議なほどに納得する。調べれば調べるほどインチキまるだしばかりだけど、小うるさいハエどもを始末できたから結果オ~ライさ」
夏杏はスプーンを指の間に挟んではその先を唇に触れさせる。
未那の視線にて己の仕草に気づいたのか、スプーンを空となったカップに素知らぬ顔で入れていた。
「タバコ、吸われるんですか?」
「昔はね。今は健康のため絶賛禁煙中さ」
ウェイターが二杯目となるコーヒーを持ってきては空となったカップと入れ替える。
一礼して去る姿を横目に見ながら夏杏はコーヒーを一口すすっていた。
「ただ結局、研究を続けても一つだけ分からなかったことがある」
「分からないこと?」
「世界各地で災害を引き起こす魔女は一体何者なのか、ってことさ」
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