第11話 図書館は正しく使いましょう

 涼木未那は春休みの間、ほぼ毎日、市立図書館に通い詰めていた。


 四月から高校二年生になる身、一六にもなる娘が図書館にこもりっきりなのは青春と呼べるにはほど遠い。

 かといって、この足では友人知人と遊びに出かける気はおきにくい。

 図書館以外で出かけるのは精々、病院での定期検査とリハビリだ。

 あの事故が未那の人生観を変えた。

 足に不自由を与え、未来という可能性を窄めさせた。

 一時、歩けぬことに絶望はしたが失望はしなかった。

 歩けないだけで頭がある。

 父親はいつだって驕らず、誇りを抱いていた。

 人を救うことに使命感を抱き、如何なる状況だろうと助けることを諦めなかった。

 その姿に憧れた。

 その姿に眩しさを覚えた。

 頭撫でる手の平の大きさに尊敬を抱いた。

 父のようになりたい目標があったからこそ、松葉杖であろうと立ち上がれた。

 行動ではなく知識で人々を救いたい。

 未那の魔女史学を志す動機であった。

「ん?」

 未那は自分に突き刺さるチクチクとした珍妙な視線に気づく。

 広げたノートに魔女についての要点をまとめているわけだが、この視線が未那から集中力を削ぎ落としていく。

 幼なじみであり家族である太一は現在アルバイトの最中。

 母親は夜勤後であるため自宅で就寝中、起きるのは昼過ぎだろう。

 太一のアルバイト先の店主が魔女史学の博士号持ちだと知った時は驚いたが未那にとって天恵である。

 女で博士号持ち。

 先輩としてためになる話が聞けるのは間違いない。

 今なお消えぬ珍妙なる視線の正体を確かめようと未那はノートから顔をあげた。

「やっ~ほっ~のほ~ほほっ~」

 珍妙な女性と目があったことで目を逸らしたい衝動が未那を駆り立てる。

 何しろこの女性、テーブルの上にその身を仰向けにしたまま上目遣いで未那の顔を見上げているからだ。

「え、えっと~どちら、様、で~」

 緊張と困惑で声を強ばらせながら未那は尋ねていた。

 いい年をした大人の女性がテーブルの上に仰向けで寝そべるなど常識云々の問題である。

 入館者の誰もが困惑し、職員に至ればどう対応すればいいのか苦慮の顔を浮かべている。

(いえいえ、初対面ですって)

 目が合った職員に未那は目で返す。

 未那の前で堂々と仰向けになっているがため、関係者と思われていた。

 何よりも、あまりの非常識さに誰もが声をかけづらいのだ。

「名刺をどうぞ」

 女性は胸元に指を突っ込めば、中より取り出した一枚の紙切れを未那に差し出してきた。

「あ、どうも」

 反射的に受け取った紙切れは人肌程度のほんのりとした温もりがある。

 紙切れは名刺であった。

 アンティークショップ<レンカ>、店主、南良夏杏と印刷されている。

<レンカ>は太一のアルバイト先だ。

 ならばこの女性は――

「え、えっと魔女史学で博士号持ちの、な、ナラ、カアンさん?」

「そうです、私が南良夏杏です。どうぞよろしくリョウギミナさん」

 慇懃丁寧に自己紹介をしようと仰向けの格好でされては締まりがない。

 ただこの場に現れたのは太一が話をつけたと考えるのが妥当であるも向かうという連絡は当人から届いていない。

「突然のご登場をお許しください」

 登場はともかく、テーブルの上に仰向けになっている理由が見えない。

「いえいえ、こちらこそ」

 律儀に返すことで平静を保つ中、未那はふと疑問を抱く。

 夏杏なる女性はいつからテーブルの上にいたのだろうか?

 音も気配もしなかった。

 いくら集中していたとはいえテーブルの上に仰向けになる珍事に気づかぬはずがない。

 太一の場合、図書館に入るなり女の勘で感じられるというのに、この女性はどこか掴み所が見えず、油断ならぬと女の勘が警告を与えてくる。

「ひ、一つお聞きしますが、どうしてテーブルの上に仰向けになっているんですか?」

「いやね~うちの勤労アルバイトから特徴を聞いていたお陰でね、図書館に入るなり探し人を見つけたわけなのよ。でも~」

「でも?」

「その勉学に励む姿に昔を重ねてね、三〇分ほど眺めていたわけよ」

 未那は声なき声で絶句をする。

 声を抑えたのはここが図書館であるからだ。

「いや~あまりの集中ぷりだからずっと気づかれないかと思ったよ。私はぎったんぎったんに攻めるのは超々大好きだが、ヌチョヌチョと受けるのは身の毛がよだつほど嫌いだからね。いつまでこの状態を維持せねばならぬのか、もうあちこち濡れ濡れだよ」

 夏杏は身体をゴロンと横へと転がしてはテーブルの上から降りる。

 両足できれいに着地するに次いで乱れた衣服を整えた。

「では勤勉少女よ。色々と聞きたいことがあるのだろう?」

 仕事の合間を縫って会いに来てくれたのだ。

 加えてここは私語厳禁の図書館。

 この場に留まり続けて話を続けるのは他の人たちの迷惑となる。

「ええ、お願いします」

 突き刺さる視線を気合で跳ね除けた未那は千載一遇のチャンスだと気を引き締める。

「ならば場所を変えようか」

 女でありながら魔女史学で博士号を持っている。

 如何にしてジンクスに惑わされることなく家族を説得し、博士号まで修めたのか。

 参考になれば良し、ならずとも女の身であることが母親を説得させる材料となった。

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