第10話 魔女が西向きゃ穂先も西

「あっはっはっ! あ~ははは! ひゃっ――ひゃっははははは、は、ぷっひゃーはっぐふふ――は、は、ら、は、腹い、痛いっ!」


 アンティークショップ<レンカ>に店主の笑い声が響く。

 ジャージにエプロンと仕事着スタイルの太一は話したことを後悔した。

「いや~クリスマスでもないのに鼻が赤いと思って時給を盾に問い詰めたら、本の角で顔面を強打されたとはね。しかも鼻血が出た程度で済むなんて、少年、実はギャグ世界の住人じゃないのか?」

 平然と言ってのける店主に太一は胸の内に溜まる鬱憤を抑止し続ける。

 致命傷を受けようと致命傷にならない。

 燃えようと、落ちようと、溺れようと死にかけるだけで死にはしない。

 身体を張ってギャグを為す。

 今回の場合、太一が鼻血程度で済んだのは当たり所がよかった幸運でしかなかった。

「もうあの後大変だったんですからね」

 不可抗力だろうと未那は前準備なく見られるのを特に嫌う。

 このトラブルだけは上手く省いて話した太一であるが女の勘はバカにならない。

 微々たる情報から推測する危険性は拭えなかった。

「まあ少年の心中に同情するが、よっ、ほっ、おし行け!」

 話を聞きながら夏杏はマホガニーの机の上に両足をさらけ出しては携帯ゲーム機で遊んでいる。

 働かないのはいつものことなので太一の指摘は徒労であった。

「それで、怒らせてしまった幼なじみから許しは貰えたのかい?」

「ええ、魔女史学の博士号を持つ夏杏さんと会う約束を必ず取り付けて来いという条件で」

「ほぉ~話を聞く限り元々少年の幼なじみとその母親は少年を通じてコンタクトをとりたんじゃなかったのかい? 許す条件に加えるなんてお優しいこった」

 経緯はどうであれ結果からすれば夏杏の言葉通りである。

「よっぽど少年のことを信頼しているんだな~お~お~男冥利につきるこった~よっ、エロゲ―主人公~!」

 携帯ゲーム機で遊びながら冷やかす夏杏に太一は渋面を作る。

 下手に注意すればストレス解消が待ち構えている。

 自ら落とし穴に飛び込む無謀さを持たぬ太一は触らぬ程度の相槌を打ちながら掃除を続けた。

「ん~この魔女狩りゲーはなかなかハマるが私からすれば、このゲームの開発陣は魔女について世間一般な当たり前なことしか知らないみたいだな」

 夏杏が現在プレイしているゲームは魔女を狩る<ウィッチハンター>と呼ばれるもの。

 ソーシャルゲームが跋扈するこのご時世、かれこれ一五年もの間、ナンバリングタイトルを輩出続けており新作が出る度、売り切れ続出のハンティングアクションゲームである。

「それって魔女を狩るゲームでしたよね?」

 プレイヤーは自身の分身となるゲーム内キャラクターを製作し人々を苦しめる魔女を討伐することで武器や装備を強化していく。

 それがこのゲームの大まかな流れのはずだ。

 高校入学を機にゲームなどまったくしなくなったが、店主のストレス発散として別なるゲームをバイト時間であろうとプレイする羽目になった。

「そうだけど、もうゲーム会社に箒の向きが逆さってメール送りつけようかね」

「逆さってどういう意味ですか?」

「だから、魔女が空飛ぶのに使う箒の向きが前後逆だってことよ」

 箒が逆の意味が見えない。

 魔女は空を飛ぶ。

 柄の先端を前に、穂先を後方にしてまたがり飛ぶ。

 まるで穂先より魔力なる非科学的な力を推進力に変えて放出するようにして。

「柄が前で穂先が後は間違い。正しいのは穂が前で柄が後なの」

「はい? ど、どうしてですか?」

 逆であるならば後ろ向きで飛行することになる。

 もっとも魔女に航空法を守る気など微塵もないためお構いなしだろう。

「では少年、逆に質問だ。どうして魔女は箒で空を飛ぶと思った?」

「だって、本にそう証言……――あっ!」

 本に書かれているだけで太一は魔女が空を飛ぶ姿を一度たりとも目撃していない。

 そもそも魔女裁判で裁かれた人々は虚偽に虚偽が重ねられた人たちだ。

 虚偽の証言に正当性などあるはずがない。

「魔女が空を飛ぶのは根も葉もない噂……それがいつしか箒で空を飛ぶと固定化された」

「ん~半分正解だな。魔女が空を飛ぶ道具は箒だけじゃない」

「もしかして箒もなんらかのイメージにより固定化されたと?」

「その通り、魔女とは魔的な女という意味がある。当時の女が一番持っている物は箒だった。故に一番イメージしやすい。ちなみに魔女が空を飛ぶ方法は国によって異なっている」

 雄の山羊、豚、農具、軟膏と、店主はいくつかの例を挙げた。

 当然、目撃者などいるはずもなく根も葉もない噂が概念なる形となったものである。

「もしかして乗る時は柄を後にやっていたんですか?」

「そう、では話を戻そうか、少年。何故、箒の向きが反対なのか?」

 反対である理由。

 物事には必ず生まれた理由があれば、過程によって変質した結果がある。

 箒の柄を後にして空を飛ぶ魔女――その理由は如何に?

 ふと反対なる言葉が太一の思考に軋みを与えてきた。

「反対……反勢力! つまり教会が白なら魔女は黒! 神の敵は悪魔であり魔女とは悪魔と契約した者!」

「正解だ、少年」

 宗教は歴史上、切っても切れない。

 いつの時代も人々は心の救いどころを求め、身を寄せることで安寧を得てきた。

 特に戦火や疫病に晒された時代だからこそ救いの拠り所と光を求めてくる。

 神を持つのは人間だけ。

 神を崇めるのも人間だけ。

 ただ神を崇めるためには、神と敵対する存在が必要となる。

 言わば、善と悪、白と黒、聖と邪。

 人を導く尊き至高の存在は、人を惑わし堕とす邪悪な存在がいなければ成り立たない。

 邪悪な存在――悪魔が。

「神の使いが天使であるように悪魔の使いこそが魔女。反対だから柄の向きも逆ですね」

「その通り。反対なのはキリスト社会に対する意思表示だったとされている。正しいのは教会であり間違いは魔女。そのような社会的システムができあがっていた。だから魔女裁判なんていう独善狂気のクソシステムが生まれ、多くの冤罪を生み出した……ほい、クリア!」

 店主は説明と同時にゲームクリアするも渋い顔をした。

「ん~報酬がしょぼいな~もうちぃと狩りやすくしてくれるとありがたいんだが~」

 報酬がご希望に添えなかったようだ。

 欲しいものほど出ないのがこの手のゲームのお約束。

 物欲を刺激されて狩ろうと出ないものは出ないのもお約束。

 ただ確かなのは目的のものが出るまで根気よく狩ること。

 ……けれども、それは目的意志があるプレイヤー自身の話。

 ゲーム内報酬を店主の代わりにバイトの業務として得るよう太一が指示されたのは一度や二度ではない。

「よし、少年、今から私は出かけてくる」

 太一のことなどお構いなしに店主は立ち上がった。

 声音からしてアポイントもない、ただの思いつきであるのが経験から読みとれる。

 報酬が乏しかったために知り合いでも掴まえてゲームに興じる気だろう。

「お昼は適当に食べておいてくれ、それと……」

「ええ、分かっています。お昼の領収書切るのを忘れるな、掃除は欠かさず、売りは値札通りでびた一文まけるな、買いはするな、非常時は容赦なく警報を鳴らせ、火事とか災害起きれば店のロッカーにある防災ベストを着こんで救急袋を持って逃げろ。戸締まり用心、火の用心、ですね」

 指導された内容をやや棒読みで太一は言った。

 灯京大火の影響もあってか、都民の防災意識は他の都道府県の中で軒並み高かった。

「うむ、その通り。最近ボヤ騒ぎ多いからね。注意しといてよ」

 店主は時折、アンティーク関連のビジネスで海外に出ては店を留守にする日があった。

 アルバイトに留守を任せるのは店を預けるだけ信頼していると太一は受け止めている。

 今のところ、強盗、販売詐欺、火事など一切起きておらず平穏な留守番である。

 当然のこと、留守の間はストレス発散イベントが起こらない。

 しかしストレスフリーだと喜ぶのは浅はか。

 帰国した店主は何かしらのイライラをため込んでいるため、ストレス発散イベントが利息つきで発生するオチがあった。

「んじゃ、おあとよろしく」

 近所に買い物でも行ってくるような軽い口調で店主夏杏は出かける。

 ただし、行き先と帰宅時間を今回は何一つ言わなかった。

「……よし掃除しよう」

 店主がどこに出かけようが太一が今やるべきことは店内の掃除である。

 口に出して言えないが店主が留守のほうが掃除はしやすい。

 掃除した途端、汚される心配が一切ないからだ。

 ふと携帯ゲーム機が机の上にあるのを目撃した。

「なにしに行ったんだ、あの人?」


 仕事絡みではないこと、ビールを飲むはずとの確証は持てた。

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