第9話 衝突×提案

 太一は昨夜、未那より魔女に関する歴史が記された本を借り受けた。


 その本は一五世紀から一八世紀のヨーロッパにかけて本物の魔女ではなく魔女という冤罪をかけられ、一方的に裁かれた魔女裁判について記されていた。


「魔女を知ったつもりでも実際は何も知らなかったんだな」

 今日にもある災いは魔女が起こすなる概念。

 このような概念が生まれた発端はいくつもある。

 まず気温が下がる小氷河期に突入したことで農作物の不作が発生したこと。

 農作物は気温が一度下がるだけで一ヶ月も成長が遅れる。

 それにより発生する大飢饉、そしてヨーロッパ中に死をばらまいた黒死病と呼ぶペストなる疫病が流行したことだ。

 何よりこの本を読む限り、気候変動が端を発しているだけで、どこにも魔女が引き起こしたと書き記されていない。

 確かにページを進めれば魔女が起こしたと記されていようと、それは当時の人々が後付けしたものだと断定されている。

「飢饉による食糧不足と疫病により明日が見えない人々は不安と鬱憤を溜めていった」

 溜まる以上、どこかで抜かねば暴動なる形で爆発する。

 だからこそスケープゴートによるガス抜きが必要であった。

「そのガス抜きこそ魔女という存在」

 当時の魔女は今日でいう災害を起こす魔女ではない。

 魔法など不可思議な力を使えぬただの一般人が魔女とされた。

 それも飢饉や疫病から逃げるように都心部へと移り、ホームレスとなった者ほど魔女にされやすいときた。


 魔女の定義とは悪魔と契約を結んだ者である。


 だが、悪魔との契約は後付けであり……こいつは魔女だ! と指さすだけで決定される。


 子供が小石に躓き骨が折れたのは隣人の女が呪いをかけたからだ。


 この女が夜な夜な鍋で煮込んでいる緑色の液体は毒に違いない。


 そういえば向かい側の赤子が生まれなかったのもこの女が呪いをかけたに違いない。


 この女が昨夜、雄山羊を納屋に入れるのを見たぞ、儀式の生贄に使ったんだ。


 根も葉もない噂が誇張され、なに一つ罪のない者を魔女と決定づける。

 今現在で証明すれば、子供が骨折したのはただの不注意であり、緑色の液体は薬草を煮込んでいるから、当時の出生率は衛生状態の悪さから低く、雄山羊を納屋に入れたのは狼に襲われないようにするためだ。

 現在では通じることだが、そんなこと当時の人々には一切通じない。

 一度魔女と断定されれば弁護士などいない裁判にかけられる。

 判決は有罪以外ありえず魔女だと自白させるための拷問が繰り返される。

 当時、魔女になるには魔女から誘われなければなれぬと信じられていた。

 だからこそ、誰がお前を魔女へと誘ったか、仲間は誰か、白状するまで――尋問どころか拷問が行われた。

 ここで虚偽だろうと白状すれば拷問から解放される――のは浅はかであり、魔女へと誘ったとされる者も捕まり同じように拷問にかけられる。

 告げられた名は魔女とは無関係であり虚偽が虚偽を呼び魔女は拷問にかけられ処刑されていく。

 本には魔女を裁く裁判官が魔女だと証言されたことで処刑されたと記されていた。

「恐ろしいな」

 魔女は災いを起こすとされているが、ただの人間のほうが魔女よりも魔女らしい。

 処刑された数はヨーロッパの国により違えども多い国では三〇〇〇もの無実の人たちが魔女として処刑されている

 後の時代、処刑された者たちの子孫が名誉回復のための運動を起こし裁判所が無罪判決の後、誤りであったと謝罪している記録さえあった。

「あれ、ならどこから今現在でいう魔女は出てきたんだ?」

 この本に記されているのは魔女裁判にて多くの冤罪を生んだことのみ。

 あの灯京大火を起こした魔女のような災害起こす魔女について何一つ記されていない。


 今日、人々の生活と安寧を脅かす魔女災害はどこからきた?


「世界で最初に起こった魔女災害……」

 迷ったら原点に帰れ、なる言葉を太一は思い出す。

 魔女災害が発生したのが一度や二度ではない。

 物事には必ずや発端がある。

 発端を紐解けば自ずと見えてくるだろう。

 魔女裁判が一七世紀頃まで続けられ、そして衰退したならばある程度、当たりはつけられる。

 災害関連で調べれば問題ないはずだ。

「後で未那に……――っ!」

 リビングから破砕音が響いたのは借りていた本を閉じた時だ。

「いい加減にしてよ!」

 間を置かずして未那のヒステリックな怒声がした。

「いい加減にしなさい、はこっちよ!」

 その声を上書きするのは未那の母親、千草のヒステリックな怒声だ。

 太一は本を手放すのを忘れたままリビングへと駆け込んでいた。


 和室を飛び出してリビングへと踏み込めば案の定、母娘二人が今にも飛びかからんとする勢いで睨み合っている。

 両者の足下には割れたマグカップの破片が飛び散り、迂闊に一歩でも踏み出せば血と痛みを見るのは明らかだ。

 過程は読めなくともパジャマ姿の未那と夜勤帰りの千草。

 双方の服装を見る限り運悪くはち合わせた発端は読めた。

「ふたりともストップ!」

 足下がどうなると関係なく物理的に衝突しようとした母娘に太一は割って入る。

 衝突を止めただけで状況は止まらず悪化へと加速していく。

 現に止めたことで太一は母娘の批判なる視線を一身に受けていた。

「太一、あんたは黙ってなさい。というか進路決まっていないあんたが口出さないで!」

「太一くん、これは私とこの子の問題なの。アルバイトに精を出すのは否定しないけど学生の本分は勉強よ。進路の一つや二つ、いい加減決めなさい!」

 言葉なる圧力が太一の足裏を床に縫い付ける。

 毎度のこと、母娘だけに顔立ちも言うこともそっくりである。

 本来ならこの時点で太一は蚊帳の外に置かれ、母娘の衝突は互いが根をあげるまで終わらない。

 どの衝突も互いに喧嘩別れで終わっていた。

「太一くん、その本……」

 千草は太一が手に持つ魔女史学の本に気づくなり嫌悪感を露わとする。

 怒声を聞きつけるなり着の身着のまま飛び出したのがアダとなった。

 当然のこと、本の持ち主へと批判が飛ぶ。

「未那、私が反対するからって進路が決められない太一くんを引き込むつもりなの?」

「違うわよ、こいつが魔女について知りたがっていたからその本を一冊貸しただけよ!」

「言い訳するならもう少しマシないいわけをしなさい。大方、太一くんをうまく引き込んで説得の出汁にでも使う気だったんでしょう」

「だ、誰がこんな奴を出汁に使うもんですか! 私は私! あいつはあいつよ!」

 感情のヒートアップは母娘共々止まらない。

 普段通りならば太一に止められる手はないが今回はある。

 あるもこの状況下、声など届かない。

「二人ともの話を聞けええええええええええええええっ!」

 届かなければ届かせればいい。

 太一は発端を作り出すため、借りていた本を加減なく床に叩きつける。

 床を抜かんとする衝突音にヒートアップしつつある母娘は中断を余儀なくされた。


(あ、しまった、太一の俺モード……)

 未那は頭に血が昇っている一方で物事を冷静に把握してしまう。

 草食系と揶揄されるほど太一の気質は穏やかなほうだ。

(ちょっと未那、どうにかしなさいよ)

 ただし、何らかの外的内的云々の要因により様変わりする時があった。

<僕>から<俺>に変化したのが何よりの証明だ。

(お母さんが人の話聞かずにうるさく言うからでしょう)

(うるさいって、どの口が言うの!)

(あ~もう、うるさいうるさい。あいつのプッツンなんて一時的でしょ。どうせキレた自分を自覚するなりすぐ冷めて落ち着くわよ)

(だからってね、親に対してそんな言い方……)

 母娘は互いの目線で会話を行えば責任を擦り付け合う。

 当然、太一に母娘のやりとりなど看破されていた。

「目よりも耳で俺の話を先に聞け!」

 母娘とて一方的に介入され、言われっぱなしでいられる玉ではなかった。


 太一は誰よりも先に口を開く。

「俺のバイト先の女店長は魔女史学で博士号持っています!」

 この一言が決定打となり母娘は批判を口から出すことなく驚き固まってしまった。

 驚く顔もまた母娘だけにそっくりだ。

「た、太一、それどういうことよ?」

「太一くん、嘘も程々にしなさい」

「本当のことです。俺も嘘だと思いましたけど博士号の証明見せてもらいました」

 話を聞いてもらうにはこの瞬間しかない。

 太一はまくし立てるように自らが聞いた話を母娘に打ち明ける。

 女が魔女を研究すれば魔女になる噂、パワハラセクハラの加害者が自身に責任が及ばぬように広めたスケープゴートであること。

 いつしか本物染みた噂として定着したことを話せるだけ話した。

「なんでもかんでも魔女のせいにするね……」

「この前、死刑確定と思われた人が魔女のせいにして無罪となった裁判が典型的な例です」

「でもね、太一くん」

 千草は母親として至極真っ当な目で言った。

「娘が魔女にならなくても女として傷つけられるのは親として我慢できないわ」

 子どころか恋人すらいない太一は反論に窮しようとも言わねばならぬことがあった。

「……夏杏さん曰く、女が魔女史学に進むなら鋼鉄のような意志がなければやっていけないと言っていました」

 千草は曇った表情で太一から娘へと目線を移す。

 どちらを案じているのかは百も承知だ。

「未那の性格なら逆に追い出すと思いますよ」

 仮に未那が魔女史学の道に進んだとして、その手の被害を受けようならば倍返しなる報復を躊躇なく行うはずだ。

 加害者と被害者はコロコロと転がるように入れ替わる。

 どちらが魔女か分からぬかはいわぬが華であった。

「ですから魔女になるから止めろとか、一方的な価値観で決めつけていると思うんです」

 偏った知識は一方的な価値観を生む。

 一つ目ではなく二つ目で物事を見よ。

 そうしなければ本質を見抜いたつもりがむしろ遠ざかる。

 残念にも現状、人間は己が見たいものしか見ない一面を持っている。

 好きな物だけを食べるように、見たい物だけを見るのは見るに値しない一面があるからだ。

 実際、太一は魔女の恐怖をその身で知りながら魔女裁判なる冤罪を生んだ負の歴史があるなど知りもしなかったのがいい例である。

「………………」

 視線を娘から太一に戻した千草からは何一つ言葉はない。

 ただ瞳の奥底で推考するような輝きが感じられる。

 千草の口が開いたことで太一は放たれんとする言葉を無意識のうちに身構えた。

「太一、あんたねえ!」

 真っ正面から首元を未那に鷲掴みにされた太一は脳を揺さぶられる。

 心を構えていようと身体は構えていなかった。

「んぐっ!」

 呼吸を唐突に遮られた太一は掴まれた勢いのまま後方へと押し倒される。

 床に背を叩きつけられる衝撃と腹部へ人一人分の重さが腹の中で激突。

 後は太一に馬乗りとなった未那の図が完成していた。

「未那!」

 千草の叫びにもう遅いと太一が痛感したのは未那の目が怒り心頭であるからだ。

「なんで今になって、そ・れ・を・言・う・の・よっ!」

 未那が怒るのは当然であろう。

 一年以上、アンティークショップ<レンカ>でアルバイトをしてきた。

 店主の学歴と取得した博士号を今更になって口外するのだから一年以上、母娘の衝突を繰り返してきた未那が怒らぬはずがない。

「ぼ、だってつい最近、そのことを知ったんだ。まさかあの人が魔女史学の博士号持ちだったなんて思いもしなかったよ!」

 未那の外的要因により我を取り戻した太一は困惑を声に乗せて抗弁する。

 人は見かけによらずという。

 仕事の八割をアルバイトに押しつける店主がよもや博士号持ちと誰が予測しようか。

 一年以上アルバイトを続けてきた身であろうともビール大好き禁煙イライラ店主が博士号持ちだと予測できるはずがない。

 だが、未那にとって太一の抗弁はただの言い訳だ。

「未那、とりあえず太一くんから降りなさい!」

「お母さんは黙ってて! 今まで黙っていた太一に何かしらしないと気が済まないの!」

 先ほどまで衝突していた母娘とは思えほどだ。

 母娘の衝突は予期せぬ形で中断を迎えるも、馬乗りを許す結果を太一は見抜けなかった。

「ほら、太一、何か言いなさい。返答次第では許してやらないこともないわよ?」

 太一見下ろす未那の目は怒りを隠そうともせず、刃物のように突き刺している。

 リビングのすぐ隣がキッチンであるのが少々不味い。

 修羅場系昼ドラで使用率が高い包丁がキッチンに収容されている。

 言葉を慎重に、そして迅速に選ばなければ未来はない。


「……ふっ、女の過去に興味はないね」


「そんなのはダンディな大人が似合うのよ! 進路もロクに決められない中途半端な男が言うには不相応すぎるわ!」

 選択を違えた罰として太一は未那に首を絞められる。

 脳への酸素が停止させられる力ではないが、絶妙な絞め加減で意識を削られていく。

 残念にも見抜く年期が太一には足りなさすぎた。

「未那、手を離しなさい!」

「ええい、止めるなお母さん!」

 酸欠で少しずつ削られていく意識の中、太一は最適な解を組み立てようとする。

 未那自身が求める答え――怒る原因は今になって話したからだとしても馬乗りとなり首を絞めるなど尋常ではない。

 思考しろ、考えろ、残る酸素を脳にぶち込んで現状に潜む解を見つけ出せ。

 考えなければただの獣だ。

 思考を働かせなければ凡人以下だ。

 このままでは思考すらできぬ屍入りだ。

「……な、なら夏杏さんに会って話を聞けばいいだろう!」

 抗うように残った力で太一は叫ぶ。

 たどり着けば案外単純だった。

 未那は独学であり、太一より知識はあろうと専門未満でしかない。

 ならば魔女史学で博士号持ちの夏杏に会って話を聞くのは妥当な流れだ。

「そうよね。悪い話ではないわ」

 未那よりも先に千草が理解を示す。

 遅れながら未那もまた理解してくれたのか首絞める手を離してくれた。

 一方で馬乗りの体勢は解除してくれなかった。

「太一くん、そのカアンさんだったかしら? その人と連絡取れないかしら?」

 千草の発言に未那が驚き目を丸くする。

 魔女史学の進路に反対の立場を崩さない千草が譲歩するなどあり得ないからだ。

「勘違いしないでただ直に会って話をしてみたいだけよ」

 それに、と千草は表情を強張らせながら続ける。

「太一くんが言ったように一方的な価値観で決めるのはダメだものね」

 千草は反対の立場を崩さずとも、女性の魔女史学の博士号持ちに興味を持ったようだ。

「それで、太一くん、どうなの?」

「え、えっと、とりあえずあっちの都合を確かめてみないとなんとも言えません」

 仕事のほとんどをアルバイトに押しつけていようとやるべき仕事はしっかり行っているわけで、見えないところで働いていたりするのがあの店主であった。

「なら都合のいい時間を確かめてくれるかしら?」

「わ、分かりました!」

 太一は出せるだけの声で応えたのは、結果に報いなければ男が廃ると直感したからだ。

「あと、いい加減太一くんから降りて着替えなさい」

 千草は娘に注意する傍ら慣れた手つきで上のパジャマをまくりあげた。

 きゅうとなおへそが露わになるだけならまだしも、首上まであげられたパジャマから見事なまでの生乳がプルンと曝け出されてしまう。

「ひゃんっ!」

 未那は脱がされたパジャマに視界を塞がれようと、素肌越しの男の視線に女の恥じらいを声に乗せる。

 逃げも隠れもできない不可抗力の太一はつい最近、目撃した生乳を再び目に焼き付けてしまう。

(ご、ゴクリっ!)

 男の性が揉みしだけと五指を怪しく動かす。

 吸えと先端見つめる目が生唾を飲み込ませる。

「み、見るな!」

 女の防衛本能は男の性的本能より速かった。

 未那は女の防衛本能に従うまま、床にある本を掴みあげるなり馬乗りで動けぬ太一の顔面へと角っこから叩きつける。

 下手な辞書と変わらぬ厚さを持つ本の一撃に太一の意識は一瞬で飛ぶ。

「あらあら」

 千草は娘の暴虐を生み出した元凶であろうと気にする素振りを見せていない。

 むしろたかだか本の一撃で沈んだ太一に落胆の視線を向けていた。

「押すのは得意なのに押されると逆にダメなのはあの人そっくりよね~」

「お母さんのおバカあああああああああああああああっ!」

 未那は先端の一部が赤くなった本を千草へと投げつける。

「本は読むものであって投げるものじゃないわよ」

 うんざりする千草は投げつけられた本を難なく片手で受け止めていた。

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