第15話 明日から!

 110だろうと119だろうと真っ先に現状よりも現場の住所を伝えておくことが迅速な救助へと繋がる。


 もしも通話中に自分の意識が途切れてしまった場合……――


 もしも強盗により救助を求める携帯電話を奪われ通話を遮断された場合……――


 肝心な現在地を伝え損ねていれば救助を遅らせ、命を危険に晒す危険性があった。

 逆に現在地を最初に伝えておけば、意識途絶及び妨害により通話が途切れた場合、オペレーターは緊急事態だと事態の深刻さを把握し迅速な救援を消防救急警察に要請する。

「ええ、ですから……」

 その後、通報により駆けつけた消防車により火は迅速に消し止められた。

 家は半焼となったが二人の人命が救われたことは何よりも堪え難い。

「外食の帰りに火事を目撃したと」

 当然のこと、太一と未那の二人は消防隊員を交えて警察から話せるだけの事情を話していた。

「ゆらゆら揺らめいていたからふと見たら、カーテンが燃えていたんです」

 街灯に照らされた夜道を歩いていれば揺らめく明かりを目撃した。

 火事を発見するまで誰一人会っておらず、倒れ伏した夫婦を家の中から助け出したことを話せるだけ話した。


 ――くすくすくす、急がないと全部燃えちゃうよ。


 ふと、誰かに会ったような気もしたが、それは燃えた家の隣人だと結論づける。

「あ、あのこの家の人たちは?」

 すぐさま救急車で病院に搬送されたわけだが、助け出した身として当然の心配だった。

「大丈夫、意識を失っているみたいだけど、火傷らしい火傷はないよ。ただ顔色が良すぎるから一酸化炭素中毒の可能性はあるね」

 消防隊員の言葉に太一は一抹の不安を得た。

 一酸化炭素中毒は一一酸化炭素による中毒症状。

 血液中のヘモグロビンは一酸化炭素と結びつきやすく、血液に乗って全身に一酸化炭素を運ぶことで酸欠を招いてしまう。

「とりあえずきみも病院で検査を受けた方がいい。相当煙に燻されているぽいしね」

 一酸化炭素は木などの不完全燃焼により発生する猛毒のガスだ。

 無味無臭の気体だからこそ気づいた時には手遅れであり、そのまま死に至ることなど珍しくない。

 火事による死亡率は焼かれて死ぬのではなく、この一酸化炭素の中毒死が高かった。

「あ、これ、焼肉の匂いなんで」

 正直に打ち明けた太一に消防隊員は苦笑する。

 それは困惑ではなく、安堵の表情だった。


「ちょっと未那 太一くんどうしたの!」

 案の定、太一が運ばれた病院は未那の母親、千草の勤め先だった。

 看護師として病室で対面を果たそうと感動は微塵もなくあるのは驚愕である。

「こ、こんばんは、おばさん」

「お仕事お疲れ、お母さん」

 状況的に避けられぬとはいえ、保護者代理に心配されるのは良心が痛む。

 一通り警察から事情を聞いた千草は事態を把握してくれた。

「見た感じ火傷とかないみたいだけど、脂ぎった煙の匂いがすごいわよ」

「あ、今日、アルバイト先の店長に焼き肉おごってもらったんで」

 一瞬の間が病室を支配した。

 肉を焼く炭火の煙に燻され、次に家を焼く火に燻される。

 焼かれないだけ良かろうと染み着いた匂いは早々落ちないだろう。

「未那、あなたも?」

 娘から同じ匂いを感知した千草は呆れた声で問う。

「ごちそうさまでした」

「とりあえずあなたは外で待ってなさい」

「は~い」

 ケンカしなければ母娘仲はいい。

 ケンカさえしなければ……。


 その後、太一は検査のため病院で一夜を明かす。

 検査結果は異常なしと出た。


〈高校生、燃え盛る家から夫婦を救助!〉


 太一の行動は地元の新聞に飾られていた。

「良かったな、少年、焼いた肉のにように焼かれなくて~」

 机の上に足を投げ出して新聞を広げる夏杏は案の定からかってきた。

「あの後、クラスメイトとか記者とかの連絡来て大変だったんですよ」

 掃除の手を止めずに太一は返す。

「感謝状貰ったんだってね。金一封いくらだった?」

「感謝状だけ貰いました」

 クラスメイトの誰からも聞かれ続けたことで太一はうんざりしていた。

 件の老夫婦はケガらしいケガもなく、懸念されていた一酸化炭素中毒もない。

 検査も異常なしだと良好な結果だった。

 病室で対面した時は、両手を硬く握りしめながら何度も、何度もお礼を告げられた。

 ただ家の方は半焼しているため、家の修築が終わるまで息子夫婦の家に厄介になるそうだ。

「ですけど火事の原因がさっぱりだそうです」

 テーブルの燃焼がどこよりも酷かったそうだがコンロや七輪の類は一切置かれていなかった。

 並べられていたのは極々普通の焼き魚を中心とした和食であり、焼いたものはあろうと、炭火のように焼けたものはない。

「何でも皿に乗った焼き魚から突然、高々とした火が噴きだしたとか夫婦揃って証言しているんです」

「はぁ? 焼き魚なんだからもう焼いてあるだろう? 何で焼き魚が燃え魚になるわけ?」

 新聞を降ろした夏杏が合点の行かぬ顔をするのは当然だろう。

 太一とて状況がさっぱり分からず、火災現場を調査していた消防士たちですら首をひねるほどだ。

「だから、さっぱりなんですよ。火を消そうとテーブルから立ち上がった時、意識を失って倒れ、その後、僕が助け出したという流れです。ガス漏れの疑いもありましたが、あの家、オール電化でした」

「さっぱりわからん!」

 夏杏は顔をしかめて腕を組んでいた。

「ということは!」

 原因不明の理不尽な現象を大抵の人々は魔女のせいとして片づける。

 特に灯京大火以来、その流れは顕著だ。

「家の中には魔女の姿なんてなかったですよ」

 ふと太一の脳裏に露出度の高い衣服を着た子供の姿が過ぎるも霞のように消え去っていた。

「灯京の住人は火事に対して過剰すぎる自衛意識が高いからな。燃えるもの禁止とか言い出す輩は現にいるし、けっ!」

 吐き捨てた夏杏の場合、懸念しているのはライターで火をつける燃焼式のタバコの全廃であったりする。

 燃えるからこそ火事を引き起こす危険性があり、全廃すべきだと都議会や市民団体から意見があがっている。

 代わりに電熱式の電子タバコを普及させようとする流れがあるも、タバコはタバコだからこそ全面禁煙か、分煙かの別なる衝突が生まれてもいた。

「熱が出る以上、燃えるっての、バカか!」

 苛立ちをぶつけるように夏杏は飴玉を口中に放り込めば、ガリガリと噛み砕いた。

「なら、電気使え? 電気も物を燃やすだろう!」

 何でも間でも全廃すれば良い問題ではない。

 火だろうと電気だろうと燃やすものは燃やす。

 誰もが異を唱える根底には灯京大火で染み着いた火への恐怖があった。

「まったく」

 イライラを言葉に出す夏杏は口にくわえたモノで落ち着きを取り戻していく。

「というか、禁煙してるんじゃなかったんですか?」

 燃焼式ではなく今流行りの電熱式であった。

「ああ、してるよ。明日から!」

 四度目の禁煙に挑戦するのはいつ頃か。

 太一は嘆息しながら脳内カレンダーに新たな印をつけるのであった。

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