第23話 変貌

 気を取り直して近所のケーキ屋からケーキを購入した太一は急ぎ足で<レンカ>へと来た道を戻る。

 しっかりと領収証を切って貰うのを忘れてはいない。

 瑠璃はともかく少々気の短い未那が待ちくたびれていないか、心配だった。

「ごめん、お待たせ!」

 扉を開くなり室内に踏み込んだ太一はテーブルの前で談笑する二人を目撃した。

「あ、太一、おっそ~い。あんた、どこで油売ってたのよ」

「まあまあ、未那さん、その間、ゆっくりお話できたからいいじゃないですか」

 時計を改めてみれば三〇分も経過していた。

 ケーキ屋は店を出てから片道五分の位置にあるのだから未那の言い分はもっともだ。

「ごめん、ごめん。途中で優衣先輩と会って、ちょっと話してた」

 正体不明の少女については敢えて省く。

 灯京から逃げなさいとの優衣からの警告もまた。

 不安を彼女たちに与えたくない太一の配慮だった。

「一緒じゃないの?」

「いや、折角だし誘ったんだけど、急用があるとかで断られた」

 答えながら太一は買ってきたケーキの入った箱をテーブルの上に置く。

「すぐお茶入れるから待ってて、そうだ」

 給湯室に足を踏み入れた太一は思い出すかのように顔を出す。

「今度さ、未那の家でケーキ作ろうと思うんだけど、舞浜さん、都合いい日あるかな?」

「なんで、ケーキ食べるのがケーキ作りになってんのよ」

「あら、それは面白そうですね」

「優衣先輩も誘ってある」

「今日のあんた、なんか押せ押せで攻めてくるわね」

「あら、未那さんにとっては頼もしいじゃないですか?」

「うるさい」

 未那の声音にはどこかこそばゆさが混じっていた

 詳細なる日程は後日決めるとして、今はケーキと紅茶を楽しもう。

 太一はやり慣れた手つきで紅茶をカップに注げばトレイに並べていく。

 その横で瑠璃が戸棚から人数分のフォークと平皿を持って行った。

「太一、もう食べてるからね~」

「いただいています~」

 給湯室に紅茶の香りが満ちる中、聞こえてきた弾む声。

 嘆息することなく、太一はトレイを手に紅茶を運ぶのであった。


 カップに注いだ紅茶をテーブルに並べた時だった。

「お待たせ、お茶――」

 異変は唐突だった。

 椅子に座っていた未那は床へと吸い込まれるように倒れてしまう。

 何かに足を取られて倒れたわけではない。

 椅子の上から倒れるなど外的要因ではなく内的要因を疑った。

「あ……あ、あれ、私……?」

 貧血を疑う太一だが未那の顔色から一切の問題は見受けられなかった。

「み、未那さん、どうしたんですか!」

 血相を変えた瑠璃が倒れた未那を抱き起こした。

「だ、だいじょ、ぶ、なんか、あ~もう」

 瑠璃に介抱されながら未那は椅子に座り直す。

 ぱっと見る限り、顔色はよく異常は見あたらない。

 千草ならば看護師であるだけに症状を見抜けるだろうが、太一にそこまでの見極めはできなかった。

「とりあえず、紅茶でも飲んで落ち着いて」

「ありがとう」

 カップを手にとった未那は紅茶を一口含めば目を丸くするもすぐさま太一に微笑んだ。

「おいしい」

「色々仕込まれたから」

「なら今度、家でも淹れてよ。あ、ケーキ作る時でもいいか」

「お安いご用だ」

 一息ついたところで本題に入ろう。

「突然、どうしたのですか?」

「わからないわよ。急に頭の中が真っ白――違うわね。黒と白に別れて意識が遠のいたと思ったら倒れていたわ」

 意識が途切れることをブラックアウトと呼ぶこともあれば、目の前が真っ白になったと例える場合もある。

 意識が混濁することが起こったのだろう。

「もう、いったい……――な、なによ、これ!」

 ハンカチで額の汗を拭おうとした未那は自身の腕を見るなり絶句する。

 まるで絡みつく鎖のように腕には幾何学的な紋様が浮かんでいた。

 タトゥーではない。

 未那のホクロの箇所を太一は知っていてもタトゥーが一切ないことは裸体を何度も目に焼き付けたからこそ断言できた。


 やはり彼と彼女でしたか。

 では……アイン、ツヴァイ、ドライ……――


 すうぅと息を吸い込むような音がした。

 次いで女の悲鳴が響く。

「きゃあああああああああああああああああっ!」

 椅子が倒れる音が店内に響き、今度は瑠璃が後退する形で背を壁に預けていた。

 顔は怖気に染まり、額には汗が浮かんでいる。

「ど、どうしたの、舞浜さん?」

 ケーキに誘われて現れたのはゴキブリか、ネズミか、太一は周囲を警戒する。

 だが、彼女の口から出たのはどちらでもなかった。


「ま、魔女!」


 一瞬、太一の思考が空転した。

「魔女って、どうしたのよ、瑠璃?」

「触らないで!」

 触れようとした未那を瑠璃は突き飛ばす。

 ほんの先まで仲むつまじく話していたはずが、変わり様に太一は目を白黒するしかない。

「痛った、あ、あんた、何すんのよ!」

「は、話、話かけないで、い、イヤあああああああっ!」

 悲鳴を上げる瑠璃は店から飛び出していた。

「ま、舞浜さん!」

 太一が止めようと既に瑠璃の姿は見えなくなっていた。

「もういったいなんなのよ」

 太一と未那は状況を把握できずにいた。

「立てる、未那……ん?」

 未那を起こそうと太一が腕をとるなり謎の紋様は沈み込むように消えてしまう。

 ただ残ったのは未那の柔らかな皮膚の触感だけであった。

「「消えた、わ(ね)」」

 少年少女は呆然と言葉を重ねるしかなく、立て続けに起こる理解不能な出来事に脳が思考を放棄しそうだった。

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