第22話 塩を送る少女
目的のケーキ屋は徒歩五分の近くにある。
煉瓦で舗装された道を歩く太一は見知った後ろ姿を目撃した。
「優衣先輩」
急ぎ足で遠ざかる優衣を太一は呼び止めた。
声は彼女に届いたのか、立ち止まる。
「ん? ……なんだ、太一くんか」
優衣が振り返った瞬間に見せた心臓を貫かんとする目に太一は歩を止めてしまう。
日頃浮かべるクールな顔つきはかけ離れ、鋭利で危うい顔つきと色彩であった。
「お、お出かけですか?」
「ええ、ちょっと急用でね。それで、急いでいる先輩を呼び止めるなんて、事の次第によっては公衆の面前でハグするわよ」
改めて対面する優衣から鋭利さなど微塵もなく、普段の頼れる先輩オーラが感じられた。
「これから<レンカ>で未那や舞浜さんとお茶するんですけど、優衣先輩も……と思ったんですが、都合が悪いみたいですね」
「…………折角で悪いけどまた今度ね」
今回ダメなだけで次回はある。
ふと太一は店売りではなく、家に集まってケーキ作りも悪くないと思った。
お菓子作りなど初めてであるがみんなで作ればどうにかなるだろう。
「なら、今度、未那の家でみんな集まってケーキでも作りましょう」
「み……――み、みんな集まってケーキ?」
「ええ、舞浜さんも誘って」
「料理がダメダメな先輩を誘うなんてひどい後輩、もうハグするわよ」
柔和な笑みを浮かべる優衣は両手を大きく広げては太一を抱きしめんとする。
「もう勘弁してください」
「美味しい手作りケーキをご馳走してくれるなら、勘弁してあげる」
優衣なりの了承であった。
「分かりました。腕によりをかけて作りますから期待してくださいね」
そのまま二言程度言葉を交えれば優衣と別れようとした寸前だった。
「あ、太一くん」
張り詰めた声音で優衣は言う。
「急いで灯京から逃げなさい。いいわね」
「はぁ……な、なんで、ですか?」
唐突に逃げろと言われようと太一は困惑するしかない。
「……これ以上は言えない。でも警告はしたわ。じゃあ、またね」
太一に背を向けた優衣は急ぎ足で遠ざかっていく。
「変な先輩」
頼りになる先輩らしくないと思った。
同時に腑に落ちなかった。
「逃げろって何からなんだ?」
「危ないものじゃないの?」
首を捻る太一の真横から聞き覚えのない少女の声がした。
顔を向ければ露出度の高い赤い衣服を着込んだ一〇歳ほどの少女が隣に立っている。
「……え、え~っと、どちら様ですか?」
どこかで見たことがある既視感に囚われる。
出かけた先ですれ違ったか、バイト先に親子で来店したか、定かではない。
「………………………………もしかして見えてる?」
「もうはっきりと」
答えるなり少女は口を開けては絶句している。
「え、何で霊体は見えないはずよ。仮に見えるとしても流れではもう少し先なのに」
慌てた様子で自らの肌に触れている。
束の間、口元を弓なりに歪めては笑っていた。
「……なるほど、思った以上の速度で進行しているわけか……面白いわね」
その笑みは暗く、深く、子供が浮かべるには不釣り合いすぎた。
「ごっこ遊びなら友達誘ってやりなさい」
「それは無理。あいつ一だけに一番の石頭で冗談も遊びも通じないもの」
この子の保護者はどこにいるのか、太一は周囲を見渡した。
事と次第によっては警察に保護を頼まねばならない。
下手をすれば、高校生が子供に声をかけた事案発生だ。
「とりあえず警察に……」
太一は保護を依頼しようとスマートフォンを取り出した時、メール着信を知る。
送信者は舞浜瑠璃。
文章は一文字もなく、空白の改行が何行も続いている。
送信されたのは一枚の写真だった。
「あら、仲がいいわね」
写真には未那と瑠璃が顔を抱き寄せ合っていた。
戯れか、気まぐれかはさておき、仲睦まじき姿に太一は頬を緩ませてしまう。
「ホント、便利な道具よね」
スマートフォンを見上げながら少女は話しかける。
話しかけられたことで空白の改行が思考から飛んでしまった。
「遠くの人と声だけでなく顔を向けてお話しできれば文だって指先で簡単に送れる。加えて劇や絵まで見られれば、現在地まで把握できる。あ、そうそう、買い物だってそれ一つでできたわね。この時代は多機能的な道具が増えたわ」
唐突に語り出した少女に太一は眉根をひそめる。
同時に似たようなことをつい最近、考察したような既視感に囚われてもいた。
「まあ電気と電波がないと金属の重石になるのは技術が進歩しても同じか。便利故に不便さが両立しているわよね。それ」
まるでコインの裏表であるかのように、と少女は告げる。
「何より気軽に情報を取得できる故に、真贋関係なく知ることができる」
知りたい情報を知りたくとも清濁混ざった情報が先に入る。
後は己の判断力で真贋を決める。
「まあ決めたことに嘘偽りはなくても源泉に嘘偽りありなら意味ないのよね~」
少女は滑稽だとおもしろおかしく笑う。
「きみは何が言いたいんだ?」
「行動原理なんて誰であろうと利益になるか、ならぬか、面白いか、面白くないかの違いよ」
警察に保護を依頼する前に、病院に通院を進めるべきではとの考えが太一に過ぎる。
子供だからこそ、ごっこ遊びも突拍子もない発言も麻疹のように起こり得ることだ。
けれども、目の前にいる子供はただの子供ではない。
「君は何者なの?」
会話を続ける度に秒刻みで不信感が増していく。
見かけは子供。
だが中身が子供ではないと本能が警鐘を鳴らしていた。
「それをあなたが知っても意味ないこと。さっきのお姉さんの警告通り、一人でさっさと逃げた方が身のためよ」
純粋すぎる言葉が太一の感情に不快の亀裂を走らせる。
仮に逃げるとしても一人で逃げるのは論外だからだ。
「まあ、整えられようが捻れようが私には関係ないこと。昇るか拗れるかは今を生きる人々の総意で決めること。現状、総意じゃなくて相違ね。それも純粋なまでに無自覚なまま歪んだ正しいまでの相違だけど」
「え、ええっ!」
理解不能だと太一の脳が言語を出力した時、少女は一〇〇メートル以上も離れた地点に立っていた。
数秒もない間に移動するなど大人でも不可能だ。
「ま、まさか、ま、魔女?」
あり得ないことが起こりえたのを人は魔女のせいだと言う。
距離が一瞬にして彼岸と対岸に離れていたのならば、そうなるのだろう。
『久方ぶりに楽しい会話だったわよ』
太一が手に持つスマートフォンから通知もなく通話が開く。
流れてきたのは先ほどまで言葉を交えていた少女の声だ。
不気味さとおぞましさが太一の中に耳目を通じて流れ込む。
『お礼に塩を送ってあげる』
番号は文字化けしており一方的に垂れ流される音声に背筋が凍る。
『追いかけられたら猫を使いなさい。そうすれば少しは気が休まるわよ』
通話は切れる。
残されたのは通知不明の文字化けした履歴と煉瓦歩道の上に立ちすさむ太一だけだった。
「な、なんなんだよ、もう!」
不満を口に出すように、不気味さを口に出さずにはいられなかった。
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