第21話 小腹が空いたから喰った!
ノートパソコンのメーラーに夏杏から返信メールが届く。
『お詫びとしてバイト代に色目つけておくね』
正しくは色をつけるだが、飛行機搭乗に急いだことで生じた誤字だと片づけた。
片づけるべきだ。
搭乗前の開いた時間にビールを呑んでいる可能性を捨てきれなかったためだ。
「へ~色々あるのね」
未那がおのぼりさんのように展示された商品を興味深く見回っている。
アンティークと呼ばれるだけあって歴史を重ねてきた代物である。
歴史を学ぶ未那にとって知的好奇心を刺激するだろう。
「うっわ、高い! スプーン一個で三〇〇万とかどれだけ価値があるのよ!」
「僕も最初は色々と驚いたよ。ちなみに、そのティーカップは五〇〇万を越えるから」
ガラスケースに収められたティーカップ一式を指さした太一は苦笑しながら説明する。
「これはこれは」
興味ある品を手に取った未那は真剣な眼差しで眺めている。
アンティークの世界に踏み込んだ姿に水差すのは悪いと太一はノートパソコンの電源を落とせばお茶を入れようと席を立った。
「うん、こういう時こそ気分転換だ」
店舗のすぐ隣に併設された給湯室で太一は棚から茶葉の缶を取り出した。
時間外のアルバイトをしたのだ。
本来なら紅茶派の来客に出す品だがこれくらいのご褒美は問題ないだろう。
コーヒーはおろか紅茶の淹れ方を接客の一環として太一はしっかりと仕込まれていた。
「なっ!」
店舗側から未那の絶句する声が太一の耳朶に届く。
事態を把握しようと給湯室から顔を覗かせる太一は窓越しで対面する未那と瑠璃を目撃した。
「あらあらあら、あら~?」
絶句して顔を引きつらせる未那と対照的に瑠璃は口と目元をほのかに緩めている。
「みんなに教えないと!」
瑠璃は右手に持っていた本を左脇に挟むなり、スマートフォンを取り出し素早い指さばきで何かを入力している。
「あんた、ぬあああああに拡散しようとしてんのよ!」
内容を女の勘で察知した未那がドアを開けるなり瑠璃からスマートフォンを取り上げた。
「え~だって、友達が殿方とデートですよ? 未那さんをクラスの皆さんで応援せずして何をしますか?」
「応援? 冷やかしの間違いでしょう? 後、どさくさに紛れて人の名前でボケてんじゃないわよ!」
「相手は誰ですか? どんな殿方ですか?」
ちらり、ちらりと瑠璃は店の奥――給湯室を流し見る。
放置しておけば事態が複雑化する可能性があるため、太一は潔く姿を現した。
「あらあら~やっぱり篝さんでしたか~」
ほんのりと顔を緩める瑠璃は太一にはにかんだ。
この時、太一はどこか違和感を抱いていた。
自分の知る舞浜瑠璃はどこか品があり落ち着ている姿がデフォのはずだが、好奇心で目を輝かせる姿は別人だと匂わせる。
「あんたの予想通りよ。今デート中だから、第三者はさっさと帰った帰った」
ムードブレイカーの登場を疎ましく思うのは当然だろう。
それが友達なのだからなおのことだ。
「お望みならばすぐ帰ってもいいですよ。で・す・け・ど~」
瑠璃は余裕ある表情で左脇に挟み込んでいた本を未那に見せつける。
本のタイトルは<魔女の食事>。
一目見るなり魔女は人間みたいに食事をするのかと太一はいぶかしんだ。
「なっ、あ、あんた、卑怯よ!」
未那の動揺からして、以前貸すのを約束していた本なのは明白であった。
「あ、ちなみに名誉のために言っておきますが、お約束の本を貸そうと未那さんがいつもいる図書館に向かっている途中で、このお店にいるあなたを目撃しただけですからね」
「分かったから、はい貸して」
「でも未那さんの態度で貸す気が……」
演技臭い棒読みの瑠璃に未那は眉をひきつかせる。
「まあまあ、未那落ちついて。それに舞波さんもあまり未那をからかわないで」
仲良きことは美しきかな、には程遠いが、悪くないのは確かだ。
未那はどこか活き活きとしていれば、瑠璃はどこか楽しげな感じがする。
要は友達だからこそ、やり慣れたやりとり、といった具合に。
「篝さんが仰るのなら」
「折角、本を届けに来てくれたんだ。お礼にお茶ぐらいなら出すよ」
「タイチ~」
口元を緩めて喜ぶ瑠璃と比較して未那は渋い顔をする。
水を差されたと思われるのは当然だが、太一は未那の耳元で囁いた。
(後でゆっくり可愛がってあげるから)
(……バカ)
優男に不釣り合いな言葉を囁かれたのが気に入らなかったのだろう。
未那は不満げに口を尖らせながら握った左手で太一の胸を突いた。
「もうごちそうさまです」
瑠璃はどこかほっこりとした笑顔だった。
「舞浜さん、コーヒーと紅茶、どっちにする?」
「紅茶で」
「あ、太一、私も」
マホガニーの机の前に椅子を並べて座る彼女たちに太一は尋ねる。
「私、紅茶にはちょっとうるさいですよ」
「日頃からダイエットコーラとかの炭酸を飲んでる人がいう?」
「だって家では紅茶とか緑茶派が多いせいで炭酸飲料は飲みたくても飲めないって以前お話ししたじゃないですか」
給湯室のIHヒーターでお湯を沸かしていれば聞こえてきた会話。
「祖父がもう無類の紅茶好きなんですよ。あのシュワシュワがいいのに」
太一はクラスが違うため、彼女たちが日ごろ、どのような会話をしているのか知らない。
ガールズトークに花が咲いているため、どのタイミングでお茶を出すべきか悩んだ。
「確か、茶請けがここに……」
戸棚にクッキー缶があったはずだ
手にとれば重さにより中身があり蓋を開ける。
「あ、あの人は!」
中身を見るなり太一は絶句するしかない。
<小腹が空いたから喰った! 少年、これを読んだならば立て替えといてね! 領収書忘れずに! 店主>
クッキー缶の中には重さを誤魔化すための茶碗が新聞紙に包まれていた。
「しかもこれ店の売り物だし……箱は中身は確認されて初めて実証されるとか何とかの猫じゃないか」
どのような猫かは忘れたが、問題なのは商品価値を把握した店主なのだから大切に扱って欲しい。
ポットを沸かすIHのスイッチを停止させた太一は店舗へと顔を出した。
「だから、開花したら花見行くからその時は開けといて」
「お花見、ですか……ん~お弁当次第、ですかね~」
瑠璃の流し目が太一を捉える。
その色彩には期待が宿っており、太一は背中を押される形で一歩踏み出した。
「あんた、自分で作って来るって発想ないわけ?」
「篝さんを当てにしている時点で未那さんが言いますか」
要は適材適所であると少女二人の瞳は揃って語っていた。
「茶菓子がないから近くで買ってくるよ。お茶はちょっと待ってて」
「太一、ケーキでよろしく。チョコレートのやつ」
「私はチーズケーキでお願いします」
女子二人のリクエストに太一は苦笑で答える。
女の注文に応えるのは男冥利につきると言い聞かせながらケーキ屋へと向かった。
店を出た後、立ち止まれば太一は思い立つ。
「よし、店の経費で落とそう」
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