第28話 脱出

「はぁはぁはぁ……」

 建造物に駆け込んだ太一は荒ぶる呼吸をどうにか抑え込もうとしていた。

 けれども第一に為すべきなのは未那のメンタルケアだ。

「ごめん、未那」

「いいわよ、別に。あの時はそれしか思い浮かばなかったもの」

 太一の心配に反して未那は落ち着きを取り戻している。

 けれども公衆の面前で恥辱的な発言をかき捨てもせず行ったのだ。

 トイレ絡みだけに大あれ小あれ噂は流れるのは避けられないだろう。

「……すんごく恥ずかしかったんだからね。しっかりしなさいよね」

 未那は太一の手を今一度力強く握りしめ叱るように言う。

「それで、この私が恥かいたお陰で列から離れられたのよ。どうするの?」

「どうって言われても……」

 未那に迫られた太一は返答に窮した。

 都外へと脱出するには魔女ではない証明が必要とされる。

 その証明はゲートを一人で通過すること。

「無理ゲーだ……」

 魔女となった原因が不明である以上、魔女から人間に戻る方法もまた不明。

 わからないからと思考を放棄するのは下策だ。

 原因はただ見えないだけ。

 解決法はただ分からないだけ。

「とりあえず、この施設から離れよう。一旦身をひそめて……」

 今は状況を整理し、把握する時間が欲しい。

「あら~お母さんとはぐれてしまったの?」

 聞き覚えのある少女の声が太一の思考に怖気による停止をかけた。

 ゆっくりと声の方へ顔を向ければ、赤い衣服を着込んだ少女が涙する四歳程度の男の子を慰めている。

「あっちに迷子センターとかあるから、お姉ちゃんが連れて行ってあげる」

 赤い衣服の少女と太一は目が合った。

「でも、気を付けないと、悪~い魔女に食べられちゃうわよ」

 演技ぶった口調で赤い衣服の少女は男の子に告げる。

「ほ~ら、目の前に~」

 この瞬間、赤い衣服の少女の全身に紋様が浮かぶ。

(み、未那と同じ紋様!)

 ただ鎖のような紋様と異なり、赤い衣服の少女に浮かぶ紋様は芸術と見惚れさせるほど精巧で淫靡だった。

「ぐううううっ!」

 車椅子の未那が呻きながら全身を抱きしめる。

 太一が身を案じた瞬間、未那の装いは魔女へと変化していた。

「な、なんで、触れているのに!」

「さ~て、でしょうね~」

 クスクスと赤い衣服の少女は嗤う、笑う、哂う。

 太一の行動が滑稽だと腹を抱えている。

「ま、魔女だっ!」

 男の子が絶叫し失禁する。

「きゃああああああああああ、魔女が出たぞおおおおおおおおおおっ!」

 赤い衣服の少女は面白がって叫ぶ。

 スマートフォンの時みたく、少女の声は施設のスピーカーから響きあい、瞬く間に人々に伝播、外は混乱に包まれる。

「ま、魔女が出ただと!」

「ど、どこ、どこにいるの!」

「い、いやあああああああっ!」

「に、逃げるぞ、こ、ここにいたら、殺される!」

「皆さん、落ち着いて、落ち着いてください!」

 避難民の誰もが内に抱いていた緊張が砕かれ、恐怖と混乱に支配される。

『魔女反応を確認! 攻撃開始!』

 施設外からの拡張音声が太一の鼓膜を貫いた。

 非武装の民間人がいようとお構いなしのスタンスに怖気を走らせる。

「未那っ!」

 太一は咄嗟に未那を車椅子ごと押し倒せば物陰へと引きずり込む。

 直後、窓辺に現れたOSGが手に持つ銃火器を発砲していた。

「あは、あはははははははははははははははははははははははっ!」

 耳をつんざく銃声の中、赤い衣服の少女は狂ったように笑う。

 ガラス片が雨のように降り注ごうと、ガラス片そのものに意志があるかのように一欠けらも赤い衣服の少女に触れることなく床に散らばっていく。

「今度はミサイルでもぶち込むつもりかよ!」

 未那の上に覆いかぶさった太一は毒づいた。

 物陰に引きずり込んだことで銃弾とガラス片の雨から逃れられたが、今迫る危機からは逃れられていない。

『反応を再確認』

 外からの拡張音声は次なる攻撃を宣告する。

「さ~て、次はどう動くのかな~かな~」

 緊迫した状況であろうと赤い衣服の少女には緊張感のきの字もない。

「お、お母さん、う、うえええええええええええええんっ!」

 男の子に傷一つない。

 だが赤い衣服の少女に手を掴まれ、逃げずに逃げられず泣きじゃくっている。

 まるで舞台に無理矢理立たされ、演技を強要された観客のようだ。

「た、太一……」

 未那の顔は真っ青に染まり、怖気に囚われていた。

 全身が震え、目尻には涙が浮かんでいる。


(どうする、どうする、どうする、どうする、どうする、どうする、どうする、どうするどうする、どうする、どうする、どうするどうする、どうする、どうする、どうするどうする、どうする、どうする、どうするどうする、どうする、どうする、どうするどうする、どうする、どうする、どうするどうする、どうする、どうする、どうするどうする、どうする、どうする、どうするどうする、どうする、どうする、どうするどうする、どうする、どうする、どうするどうする、どうする、どうする―――――)


 太一の中で次なる行動への疑問がゲシュタルト崩壊へと導いていく。

「さあ、魔女はここにいるわよ! 早く攻撃しないと灯京はまた燃えちゃうわよ!」

 挑発するかのように赤い衣服の少女は高らかに告げていた。

「ま、魔女……?」

 太一は己の手を見つめたのも束の間、未那を背後から抱き抱えれば赤い衣服の少女の元へと走り出した。

「へ?」

「一か八かだ!」

 太一は状況を好転させる打開策を見つけ出す。

 確証はない。

 けれどもこの手しかない。

 赤い衣服の少女が魔女だと自ら口走ったことが太一に光明を見出させた。

「ちょっと痛いぞ!」

 突き入れる形で太一は赤い衣服の少女の顔面を鷲掴みにする。

「なっ、こいつ、資格もないのに、私を相殺してきた!」

 赤い衣服の少女は、全身に浮かぶ紋様が水泡のように消え失せるなり絶句する。

 連動して未那の魔女たる装いも消える。

「未那、しっかり掴まっていて!」

 確証が現実なったことに太一は喜びなどしない。

 首を抱きしめる未那が重い。

 赤い衣服の少女を掴む右手が焼けるように熱い。

 左手の手刀を振り下ろして男の子を赤い衣服の少女から切り離した太一は右腕が軋もうと構わず、横倒しとなった車椅子に目がけて投擲する。

「痛った! この私をカーリングみたいに、投げるなんて、え、えええええ、ちょっと!」

 赤い衣服の少女は抗議するも太一が物陰から取り出した赤い筒に両目を見開いた。

「魔女はここにいるぞ! 車椅子に乗っているぞ!」

 太一は大声で叫べば、車椅子を外へと蹴り出した。

 次いで赤い筒の黄色いピンを引き抜き、先端にあるレバーを力強く握りしめれば、ホースの先端から白い粉末を煙幕のようにばらまきながら外へと飛び出していく。

「消火器の使い方はおじさんからしっかり学んでいるんだよ!」

 人が集まる施設だからこそ防災設備を整えねばならない。

 万が一、火の手があがった場合を想定して防火シャッターや消火器が設置されていた。

「魔女は車椅子だ! 車椅子にいるぞ!」

 白煙の中をひたすら走り抜ける太一は声高に叫ぶ。

 視界が塞がれた今、状況を把握できるのは音と声であり、誰もが魔女たる存在に過敏すぎる反応を起こしていた。

 誰が倒れようと、踏まれようと太一には関係ない。


 失ってならぬ者は誰か。


 助けねばならぬ者は誰か。


 既に決定されているからこそ、他者を助けない。

「太一!」

「このまま逃げ切る!」

 混乱する列をかき分けるように太一は未那を背負って走り抜ける。

 施設の敷地外へと後一歩というところで横から機械の腕が迫る。

「お、OSG!」

 防災リュックに未那を背負う太一に俊敏な方向転換など行えず、このまま掴まると思った瞬間、カラフルな視界がモノクロとなりOSGの動きが急激なまでに緩慢となる。

 まるでパラパラ漫画を超スローモーションで動かしているようだ。

(な、なんだ、これ!)

 動きの変化はOSGだけではなかった。

 太一は自身の思考がはっきりとしながら肉体はOSGと同様、緩慢になっているのを把握する。

(動きが、見える!)

 OSGの手はまだ太一を掴んでいない。

 だが、太一を未那ごと掴んだ姿が重なって見える。

(ならば!)

 理由を考えるのは後回し。

 太一はタイミングを見誤ることなく、OSGの肉薄を足場として利用する。

 五指の凹凸を階段のように駆け上がれば、そのまま飛び越え施設外へと駆け抜けていた。


「い、今の動きは!」

 OSGの操縦士は掴んだと思った。

 しかし、五指は空を切り、状況把握は一瞬だけ遅れる。

「ま、待ちなさい。太一くん!」

 外部スピーカーがオフだと気づいたのは叫んだ後だ。

 センサーではまだ近くいる。

 追跡に入らんとした時、横合いからの衝撃に機械の鎧は傾き、バランスを大きく崩してはアスファルトに倒れこんだ。

「こ、攻撃!」

 操縦士である蔵色優衣一曹は、先の衝撃でシステムフリーズしたことに歯噛みした。


 衝撃の原因は原型を留めぬ車椅子だった。

「邪魔よ!」

 全身より怒りを噴き出す赤い衣服の少女が投擲したものだ。

「まったく、まさかそこまで行っているなんて、今回は予想外すぎるわよ」

 倒れこんだOSGの背面に足を乗せながら赤い衣服の少女は嘆息する。

「面白いのは結構だけど、不快になるのは遠慮したいわね」

 状況に水を差して化学変化を楽しんでいたわけだが、仕込みがあったのは見抜けなかった。

 誰かは心当たりがある。

 問題は、いつ、どこで、だ。

「あのスマートフォンって機械に写真で仕込んでいたのね」

 あの時、場にいたからこそ思い出すなり忌々しさがこみ上げてきた。

「私は干渉するのは面白いから好きだけど、干渉されて袖にされるのは大嫌いなの。でも……」

 赤い衣服の少女にとって怒りは一時の波でしかない。

 今足元には面白い起爆剤がある。

 結果的に避けられないのだから、遅いか早いかの差だ。

「……あら、一の字がなんか用?」

 頭の中に相当お冠の声が流れ込む。

「別にそっちの目的とか知らないわよ。私は滅ぼうが救われようがどっちでもいいの。何でかってなっが~い付き合いなんだから知っているでしょ?」

 口元を弓なりに歪めながら赤い衣服の少女は嗤う。


「どっちに転んでも面白いからよ」

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