第10話 包囲ーゼンイー
大型トレーラーを移動型作戦指令室に改造、運用するのは支部が変わろうと変わりはない。
管制機材が漏らす稼働音を上書きするのは男の声だ。
「逃がしただと!」
無線機から届けられる現地協力員からの報告にジャン・キリンガーは、あり得ないと顔をしかめた。
デパート地下での包囲は完璧だったはず。
ターゲットを包囲し、一斉に確保――寸前までは行ったも、隙間を拭うように現場からの逃走を許した。
現地協力員の多くが負傷。
原因は協力員同士の衝突、中には置き土産と言わんばかり投擲された椅子やテーブルの直撃もあった。
まんまと包囲網から脱出した対象の足取りは以後、掴めずにいる。
原因は複雑に入り組んだ地下通路と行き来する人の多さだ。
顔認証システムを駆使して行方を探しているも、流石は首都、平たい顔の多さに時間を必要としていた。
「映像を再生します」
オペレーターの一人がキータッチの音を奏で、モニターにその時の映像を再生した。
デパート地下に設置された防犯カメラの映像だ。
極秘作戦である以上、映像の保存元からの許可など取っていない。
ましてや取る必要もなく、不正規たるハッキングで入手している。
今作戦のあらゆる行為は黙過すると、火ノ元政府とヴィランド本国が密約を交わしているからだ。
「こいつか」
確保対象と共にいるティーンの少年だった。
西太平洋支部が作戦を開始する前に、対象と接触していたのは足取りから把握している。
退院後の電車内で偶然にもターゲットと再会したと報告にある。
再会云々は良い。
何より<M.M.>組織内でこの子供を知らない隊員はいないことだ。
「タイチ・カガリ」
第二次灯京大火にて現れた魔女殺しの男だ。
殺すべき魔女を殺さなかった魔女殺し。
魔女であると疑われるミナ・リョウギと共に極東支部が身柄を確保、検査を重ねようと白ばかりと、嘆かわしい報告ばかりが<M.M.>本部に届けられている。
上層部に座する過激派の中には、魔女と魔女殺しを揃って生体解剖しろと唱える者が現れる始末ときた。
貴重なサンプルを解剖するなど愚の骨頂。
問題は、この子供が何をしたか。
この一点につきた。
「むっ!」
キリンガーはタイチ・カガリが椅子を蹴り飛ばし、駈け出した瞬間を注視する。
「スロー再生」
手短に命じれば、映像は再生速度を落とされ、コマ送りのように再生される。
「もう一度、立ち上がる一〇秒前からスローで」
何度も何度も、キリンガーはスロー映像を繰り返し注視する。
「トンだ勘をしているようだな」
キリンガーの鋭利な目尻が笑みをこぼす。
タイチ・カガリについて、データ修正の必要がある。
逆に現地協力員たちは、現地でスカウトしただけあって、相応の実力を持っている。
子供一人、抑えつけ拘束できるはずだが、対象と共にいる相手はただの子供ではない。
「大層な瞬発力と判断力だ」
キリンガーは感嘆とした口笛を鳴らす。
スロー再生した際に映るタイチ・カガリは、透明化したと錯覚を抱かせるように迫る現地協力員たちの隙間を走り抜けている。
ただ走り抜けるのではない。
対象を抱き抱えて走り抜けるのだから、感嘆せずして何を抱く。
第二次灯京大火の際、右足の悪い魔女を抱き抱えて逃げ回ったと資料にはあるが事実のようだ。
その動作から女を抱え慣れている感があった。
女を抱き慣れている感は微塵もなさそうだが、作戦行動中に口に出すほど暇ではない。
「さて、どうするかだ」
キリンガーは鋭利な双眸を閉じれば腕を組み黙考する。
作戦が順調に進んでいれば、カラオケ店で作戦は完了していた。
確保した対象が、同じ背丈、同じ服を着た別人物だったのは痛恨の極みだ。
別人物だと判明するなり即解放している。
確保時に意識を失わせたため、意識は戻っていないが人目の集う場所に解放済みだ。
火ノ元人は揃いも揃って歩く善意の塊だ。
命以外の落とし物を落とし主に届けるほど善意に溢れている。
見知らぬ人間であろうと、意識を失い倒れているならば善意を持って介抱するだろう。
「そうか、この手があったか」
キリンガーは妙案を閃いた。
実働部隊を派遣しての武力による包囲、拘束は容易い。
銃火器使用は<M.M.>西太平洋支部に一任すると本国からお墨付きだ。
だが、行うには対象の居場所を正確に把握する必要がある。
現地協力員を新たに派遣しようにも、先のように勘づかれて逃げられては意味がない。
「居場所が分からないなら……教えてもらうまでだ」
灯京のどこかにいるのだ。
いるならば、見つけられぬ道理はない。
加えて、この妙案は一人も兵を動かさずして発見できる。
「善意の人々からな」
その声音と笑みには賞賛ではなく、明らかな侮蔑が含まれていた。
「あの~太一さん、買い物している場合ではないと思いますが?」
ル=リアは困惑顔で疑問を言葉に乗せる。
当然に抱く感情だろうと、太一は理解していた。
「ちょっと下準備」
現在、太一とル=リアは一〇〇円ショップにいた。
ちらほら客の視線を感じるが無視し、レジにて会計を終わらせる。
「領収書お願いします。相手は<MM>極東支部で」
しっかりと領収書を忘れない。
事が済めば責任者である高遠に耳を揃えて払わせるつもりだ。
「はい、これ」
店舗から出た太一は購入した野球帽をル=リアに手渡した。
「その髪は目立つから帽子の中に隠したほうが無難だよ」
蒼い瞳もそうだ。
人の心を揺らし、引き込ませる魅力に溢れた瞳もまた目立つ。
野球帽に続いて、舞浜瑠璃であった時にプレゼントされたサングラスもまた手渡した。
髪や瞳を隠そうと、やはり王女である性か、持って生まれた気質は隠せそうにない。
いやむしろ隠したからこそ、隠されたものを見ようとする心理を誘発させていた。
「前みたいに舞浜瑠璃にはなれないの?」
敵の狙いは第二王女、ル=リア・バラガディムである。
よって舞浜瑠璃の姿ならば敵の目をどうにか欺くことができるはずだ。
「なれるにはなれるのですが、太一さんの影響か、魔女の力が霧散してしすぐ元に戻ってしまうのです」
口元を困ったようにすぼめた太一は記憶の引き出しを探り出す。
姿を変える際、すぐ元へと戻ってはル=リア一人だけ納得していたのを思い出した。
「僕の影響?」
「はい、ご存じの通り、<M.M.>によると魔女殺しとは魔女の魔法を無効化する男です。まあ正しくは女と隣り合う男ですけど」
「いや、でも、僕と隣り合うのは未那だし」
「あらやだ。この状況でおのろけですか? もう」
口端に笑みを宿したル=リアはかわいらしく頬を膨らませる。
ただ、目尻には企みが宿っているのを太一は見逃さない。
相変わらず、その企みが読めない。
「まあ、今、太一さんの隣に立っているのは私ですから、否応にも影響を受けてしまうのですよ。そのような経験ございませんか?」
「影響……経験……あっ!」
顔を俯かせながら顎に手を当て黙考していた太一は、閃くように顔を上げた。
「ベリアルか!」
ほんの先ほど、望まぬ形で太極に足を踏み入れた際、蹴り飛ばされた。
「そうだ。あの時、僕はベリアルに!」
腹に残響の如く走る痛みで思い出す。
第二次灯京大火の際、未那と逃げ惑う中、避難する人々の流れに押され、商業施設に流れ着いた。
施設は都外へとバスで避難する人々で溢れ、魔女であるか否かの識別ゲートを通らねばならぬ窮地に立たされた。
未那の機転でどうにか脱することができたも、その先に待ちかまえていたのが、当時名も知らぬ赤ロリ――基ベリアルだ。
魔女同士の共鳴かはさておき、太一が触れることで抑え込んでいた未那の魔女を強制的に解放させ、魔女出現と現場を大混乱に陥らせた。
民間人がいようとお構いなしに発砲するOSG、パニックの中、将棋倒しとなる避難民。
太一は一か八かの賭けとして、自らを魔女と喧伝するベリアルに触れることでその力を結果として打ち消した。
「その後、OSGに追われて捕まる寸前に、さっきみたいな緩慢な白黒の世界を走り抜けてどうにか脱出できたんだ」
「保険が思わぬ形で役に立ってなによりです」
「保険?」
「はい、ベリアルとは代々因縁がありまして、今回の太極の境界修復にいらぬちょっかいをかけると読んで、ちょっと保険を仕込んでいたんです」
「あの写真か」
瑠璃であった時に送られてきた未那の姿が消えなかった写真だ。
「もちろん、保険ですから作動しないことにこしたことはありません。ですがあのベリアルですよ。どこで何をしでかすか不透明である以上、保険は必要でした」
太一はただ納得するように頷き返すしかない。
一方で、別なる思考がル=リアの魔女の力を考察していた。
考察の根幹となるのはセイファ王国だ。
気象予報技術が発達した、代々魔女の統治する国と呼ばれ、恐れられてきた。
(三四、フルフル――……振る振る? 降る降る? はて?)
ふと覚えのない数字と名が脳裏に浮かび上がる。
この二つから七二ある柱のうちの一つと仮説づけるも、断言できる確証はなかった。
ただル=リアが瑠璃になれない理由には合点が行った。
「太一さんがベリアルに触れてその力を相殺したように、私に触れていたからこそ、舞浜瑠璃になれなくなったのです」
「あ~」
とんだ弊害に太一は悔恨を口からこぼすしかない。
緊急的な意味合いで何度もル=リアとは手を握りあっている。
繋ぎ合ったコードに電気が流れるように、繋ぎ合った手を介して太一の陽の気がル=リアに流れ込んだのだろう。
そして、陰の気を乱し舞浜瑠璃への擬態を打ち消した。
やむを得ずは、単なる言い訳だ。
「もちろん、太一さんが私から離れれば、影響も次第に薄れて舞浜瑠璃になれますが……」
それ即ち、群から離れた羊となり、狼の餌となるのを意味していた。
仮に一国の姫君を盾に採掘事業にヴィランドが晴れて参入したとしても、一度手に入れた姫君を簡単に解放するはずがない。
再留学を名目にヴィランド国内に留めさせ、セイファ王国から搾り取り続けるのが火を見るより明らか。
一歩間違えば、戦争の火種となり、王女奪還を目的とした戦争が起こりえない。
「急ごう」
同じ場に留まり続ければ、否応にも注目を集め続ける。
ル=リアを帽子にサングラスと古典的な変装で誤魔化しても、溢れ出す気品は誤魔化せない。
「この力はあまり乱用しないほうがいいかもしれない」
太一が左薬指にはめた鈍色の指輪。
男の身でありながら魔女の魔法が使えるまさに、魔法の指輪。
使用後は、凄まじく意識を混濁に乱す諸刃の剣だ。
自らを韋駄天の如く駆け抜ける力は、持続時間が短い。
ここぞという時に状況を判断して使用せねばならなかった。
(いや、そも二度目が使える保証とかない)
楽観など太一は抱かない。
抱けばどうなるか、第二次灯京大火の経験で学んでいるからだ。
鈍色の指輪には取り扱い説明書などペーパー、デジタル共に添付されていない。
ル=リアは、ほんの少し力を貸すと言った。
つまり、送り手と受け手、双方の合意がなければ、使用すらできない可能性がある。
何よりも、ル=リアが如何なる柱に位置する魔女なのか、打ち明けていないこと、時折見せる企み宿す口端が微々たる猜疑心を太一に芽生えさせていた。
(未那の友達だから、信じられる。けど、それは舞浜瑠璃であってル=リア・バラガディムじゃない)
ならばと、内なる自分が問う。
彼女の抱く企みを知れば、お前は信頼できるというのか?
逆に知った瞬間、離れるのはお前だ。
第二次灯京大火の時と異なり、敵は命を奪おうとしていない。
身柄確保が目的だ。
平民無勢のお前が足を踏み入れる資格はない。
「でも、それでも……」
友達がいなくなるのは悲しい。
それも大人たちの身勝手な都合で、利用されるなどあってはならない。
世界を動かす大人ならば、責務を持って大人同士で解決すべきだ。
利益のために子供を巻き込み、利用するなど愚の骨頂なのを理解しろ。
「それに――資格ならある」
資格とは何か、今一度内なる自分が問う。
「友達だからで十分だろ」
一度も抱いたこともない女を友達とは笑えるな。
いや、失礼、訂正しよう。
隣り合う女を一度も抱いたこともない童貞が吠えるか。
悪くはない。
舞浜瑠璃は友達だ。
ならば同一人物であるル=リア・バラガディムと友達である道理は通じるだろう。
お前の中での道理ならばそうなのだろう、お前の中ではな。
「……くっ!」
内なる自分の余計な一言に太一は歯噛みする。
「太一さん?」
「い、いや、大丈夫、先を急ごう」
内なる声を振り払うように、太一は頭を振るい、思考を切り替える。
スマートフォンは経験を踏まえて、ミイラのように巻き付けたアルミホイルで電波を封じていた。
セイファ王国大使館までのルートは頭に叩き込んである。
妨害を想定していくつかのルートを把握していた。
「ねえ、あの人じゃないの?」
「だよな、左こめかみに傷跡あるし」
歩を進める度、ちらほらと突き刺さる視線。
そんな中、喧噪の一つとして拾った声。
太一は最初、ル=リアに視線を集わせていると思っていた。
だが、実際は自分だと気づいたのは、意を決して男女二人組に話しかけた時だ。
「あの何か?」
傷跡を注視されるのは慣れているが、何かあると判断した。
「ああ、ごめんごめん。ちょっとSNSで君のことが話題になっているんだよ」
大学生と思われる男は平謝りながらも理由を話してくれた。
「君さ、旅行者、助けたんでしょう? その人がお礼を言いたいからって探していたよ」
太一に見せるは男のスマートフォン。
SNSに投稿された動画に太一は無意識のまま目尻を険しくした。
『彼探しています。パスポート、落とした、コマッタ私、俺のモノノヨウニ彼見つけてくれた。何も言わず、立ち去った、彼オレイしたい』
心太シャツを着た男がたどたどしい火ノ元語で語っている。
手に持つスマートフォンに写るのは太一の顔。
やや不機嫌面の自分に心当たりがある。
(入院時に撮られた写真だ!)
カルテに必要だからと撮られた記憶がある。
「くっそ、やられた!」
太一は敵サイドの搦め手に悪態ついた。
敵のターゲットはル=リア・バラガディム。
篝太一は非ターゲットとなるはずが、共にいるからこそ逆手にとる作戦を展開させた。
善意の目を利用したSNSの包囲網。
灯京に篝太一の逃げ場なし!
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