第9話 疑問―コタエ―

 急激に崩れ去るパズルのように太一の意識は白化する。

 一瞬の喪失と浮遊感を経て、白と黒の二色に彩られた世界の境界に気づけば立っていた。

「こ、ここって――……まさか太極!」

 ほんの少し前の記憶は釈然とせず声には混乱が宿っていた。

「あ、ベリアル」

 外見一〇歳児の少女が親父臭く柱の上で横になっているのを目撃した。

 彼女の名はベリアル。

 露出度の高い赤い衣服を着込んだ見かけは子供の年齢不詳。

 太極を支える七二ある柱のうちの一つ、六八の方位を守護せし無価値の名を持つ魔女だ。

 今の顔は愉悦を求める普段の表情とは異なり、苦虫を噛み潰した不機嫌な顔ときた。

 太一の姿を見るなり、あろうことか露骨に視線を逸らしている。

「なんでこんな時にここに来るのかね~来なくていいのにさ~!」

 他人を巻き込む愉悦大好き魔女は、眉根を寄せて表情を曇らせているときた。

 声には嫌悪が交じろうと、その矛先は太一ではない誰かに向けているような指向性があった。

「あ、ベリアル、ちょっと聞きたいことが!」

 太極に来たのならば太一にとって渡り船だ。

 ル=リアなる魔女について問い質そうと口を開きかけた。

「あ~知らない、知らない! あんな腹黒黒縁眼鏡なんて知らない、知らない! はいは~い、とっととさっさっと現に戻った! というか戻れ! 戻・り・や・が・れ!」

 ベリアルは全身をバネのようにして飛び起きるなり、太一の問いを物理的な蹴りにて突き放す。

「――がはっ!」

 太一の身体は風に飛ぶチラシのように太極から離される。

 声には絶対に関わりたくない拒絶が込められていると、腹より響く衝撃で思い知った。

「精々、あいつに跨がられて童貞奪われないように気をつけなさいね!」

 アドバイスを送ったつもりか。

 ただ、太一は今回の塩の意味が理解できなかった。

 意識と太極が遠退いていく中、<彼女>を目撃した。

「ゆ、優衣先輩!」

 太一と未那が実の姉のように慕い、敬愛していた先輩。

 第二次灯京大火で魔女を殺さんとする軍人として現れ、戦わねばならくなった先輩。

 先輩はタンクトップにカーゴパンツの姿のまま、底なし沼に沈み込むように陰と陽の中へと交互に沈んでいく。

「な、なんで先輩が太極にいるんだ!」

 疑問を叫んだ瞬間 陰陽が蠢き、意志を持つ泥のように太一を飲み込んだ。

 そして真実たる答えを見せつける。


 そこは灯京タワー近くのビル屋上だった。

 対物ライフル銃を伏せた姿勢で構えていた優衣は呼吸を潜め、その瞬間を待っていた。

 今、魔女と魔女に連なる男がアスファルトの上に並んで横となっている。

 ほんの先ほどまで凍てつかせる炎と燃え尽くす氷が近隣を地獄に落としていたが、映像の逆再生のように何もなかったかのように元に戻っていた。

 おそらく、次なる地で魔女災害を起こすため、力として吸収したのだろう。

 魔女たちが灯京タワーに触れたことで鎮まったのだから、そうだ――そうに違いない。絶対に間違いない。

 スコープ越しに魔女の顔を覗き見る優衣は、爆発せんと鼓動を刻む心音を精神で抑えながら引き金に指をかける。

「後少し、後……」

 対象との距離は直線距離にしておよそ八〇〇メートル。

 チャンスは一度しかない。

 今、部隊を空輸するヘリ三機が、編隊を組んで灯京タワー方面に向かっている。

 現場にヘリが辿り着くまで残された時間はおよそ三分と経験則で読む。

 ヘリが生み出す風圧が狙撃の弾道を乱すからだ。

 ほんの一ミリでもずれようならば目標から大きくずれる。

 装填された銃弾は、一撃で仕留めるために威力重視の重金属を使用している。

 銃弾が軽く㎜数が小さければ飛距離は上がろうと、軽い故に大気や重力の影響を受けやすい。

 逆に、銃弾が重く㎜数が大きいければ飛距離は縮むも空気や重力の影響を受けにくい。

 要は一長一短なのだ。

「死ね、死ね!」

 殺意を吐きながら正義を銃弾に宿し、引き金と引かんとした。

「なっ!」

 引き金は引かれようと、ガキンと硬い感触により阻止される。

 困惑顔でスコープから目を離せば、狙撃銃に安全装置がかかっている。

 かけた覚えなどない。ましてやかかろうならば銃を握りしめる優衣にもロック音が伝わるはずだ。

「水を差すどころか狙撃で刺すのは感心しませんよ?」

 柔らかな弦楽器のような女の声が、すぐ真横から鼓膜を打つ。

 優衣は瞬時に背面をバネにして飛び上がれば、銃口を声の方に向ける。

「あらあら、物騒ですね」

 優衣の前に立つのは見知らぬ銀髪少女だ。

 顔は知らない。

 知っているような気もするが、それは切り捨てたはずの良心がしぶとく見せた幻影だ。

「邪魔をするな、魔女!」

 憤怒の言葉を走らせる優衣は引き金を引く。

 撃鉄により目覚めた銃弾は銃身内を走――らなかった。

「な、なんで!」

 構えていたはずの狙撃銃が優衣の手から忽然と消えていたからだ。

 どこにあるのか、など目の前にある。

 目の前の銀髪少女が持っていた。

 触れられた感触などない。気づけば手から消えていた。

 考えられる原因は魔法しかない。

「私は普通に横からいただいただけですよ?」

「くっ!」

 優衣はベルトに下げたケースからナイフを抜き取った。

 この銀髪少女は銃火器の扱いに慣れていないと直感で読んだからだ。

 グリップを右手で握りしめ、鋭利な刀身で剥き出しの首を掻き切らんとする。

「接近戦でナイフは王道ですけど?」

 口端に笑みを宿した銀髪少女は軽く吐息を零す。

 ナイフの刃を突き出した優衣の腕を野太く毛深い腕が叩いてきた。

 骨の髄まで響き、神経を痺れさせる一打に優衣はナイフを手放してしまう。

 だが、宙で回転しながら落下するナイフをすくいあげるようにして左手で掴みとった。

「私相手に無駄ですよ?」

 今度こそナイフの切っ先を身に向けようとした優衣だが、腹から来る衝撃に意識を吹き飛ばす。

「く、熊、ですって!」

 唐突に途切れる意識が最後に見たのは、後ろ足で立つ赤茶けた毛並みを持つ全高二メートル超えの熊だ。

 あろうことか、この熊、ボクサーのように前足で器用にジャブまでしている。

 熊なのに絵になるから、腹に来る前に腹が立つ。

「ふ、ふざけ、て――ふざけるなああああああああああっ!」

「ええ、魔女ですから」

 銀髪少女は断末魔のように叫ぶ優衣に対し、穏やかな笑みで返した。


「お二人は無事保護されたようですね」

 ヘリコプターが遠退いて行くのを流し見る。

 優衣の意識は完全に喪失していようと腐っても軍人だ。

 すぐ目覚める危険性もある故、熊にその身を拘束させた。

 背後から優衣の腹部に前足を回して抱きしめている。

 熊の拘束からの脱出はOSGだろうと無駄だ。

 本気になればOSGを微塵も残さず粉砕さえできる。

 銀髪少女がそれをやらないのは、彼女が親友の敬愛する先輩だからだ。

「う~ん、シュールですね、どこか」

 自分でしておいていうのもなんだが、抱きしめる側と抱きしめられる側の立場が見事に逆転している。

「さてとどうしましょうか、この先輩?」

 小首を傾げながら頬に手を当て考える。

 親友たちの命を奪う狙撃を阻止する目的は達成した。

 達成した以上、捨てるのは容易い。

 そのままビルの屋上からポイと放り投げればいい。

「それだとしばらく赤いものとお肉が食べられませんね。来月にファストフードで新メニューが出ると言いますし、この案は却下で」

 よく女が血を見れば倒れるというが、モテない男の都合良い妄想だ。

 実際は、男より女のほうが血に耐性がある。

 血など月に一回は見るからだ。

「はてさて」

 銀髪少女は困ったように再び小首を傾げた。

 ふと優衣を拘束する熊が口元から涎を垂らしている。

「メっ、ですよ?」

 口では優しく諭しながら、目には力強い殺意が宿っている。

 だから、熊は全身の毛を逆立てながら涎を飲み込めば、優衣を視界に入れぬよう天を仰ぐ。

 阻止することを最優先としたため、阻止後のことを考えていなかった。

 火ノ元の法によれば人間は可燃ゴミでも不燃ゴミでもない。

 ましてや産業廃棄物でもリサイクル可能ゴミでもない。

 熊の胃の中は痕跡を残さぬため便利だが、親友が悲しむので最初から論外だ。

「まあ、ベタに連れて行くのがいいかもしれませんね」

 条件は満たしている。

 魔女に遭遇した恐怖。

 魔女を殺せる歓喜。

 二つのいがみ合う感情が鍵の役目を果たす。

 ただ狂気に塗れてしまったため、反省を促すためにも放り込むのが妥当だろう。

「さて、もうひと頑張りしますか」

 鼻歌交じりで銀髪少女は歩き出す。

 優衣を抱きしめる熊が、頑張っているのは自分だけど、という寂しい顔をしていた。


「ここはっ!」

 唐突に夢から覚めるように、太一は飛び起きた。

 濃霧のように混濁していた意識は、パズルのように音を立てて組み直され覚醒へと導いていく。

「真宿駅か……」

 言葉を走らせた時にはもう、混濁していた意識は元の色彩へと塗り直され整えられた。

 軽く頭を振った太一は周囲を見渡した。

 自分は今、壁に背を預ける形でどうにか立っている。

 口元が湿っており、涎か何かだと手の甲で拭う。

 拭った際、ほんのりとした甘さが口内で広がった。

「気がつきましたか、太一さん?」

 隣にいるル=リアが心配そうに顔を見上げている。

「僕は確か……」

「初めてですもの、力加減が分からず、辿り着くなり意識を失ったんです」

「そう、なん、だ……」

 意識は完全に戻ろうと、肝心な何かが記憶から欠落している気がした。

 おぼろげながら温かな何かが体内に……そこから先が思い出せない。

 だが、今欠落した記憶よりもどれくらい意識を失っていたかが重要だ。

「僕はどのくらい意識を失っていたの?」

「一〇秒ほどです。動けますか?」

「うん、もちろん。何故だか知らないけど、さっきより身体が軽い」

「なら急ぎましょう」

 ル=リアから差し出される手を太一は流れのまま握りしめる。

 今は時間が惜しい。

 留まり続ければ、<M.M.>ヴィランド西太平洋支部に現在地を再把握されて包囲される危険性があった。

(聞きたいことがあるけど、聞ける状況じゃない)

 現状と損得を考えろ。

 行方不明の優衣が何故、太極にいたのか。

 何故、ル=リアがそのような行動をとったのか。

 真実を知りたければ、彼女を守り抜き、大使館まで送り届けろ。

 ヴィランドに捕まろうならば、求める真実は永遠に闇の中へと沈むはずだ。

 もしそうなれば、太極から優衣を助け出す方法を知ることが不可能となる。

「ル=リア、これだけは言わせて!」

 周囲に警戒しながら、道行く人を掻き分け早足で進む太一の口調は自然と早さを増す。

「これが終わったら優衣先輩のこと、しっかり説明してもらうからね!」

 太一の掴むル=リアが手を力強く握り返す。

「ならお茶の席でゆっくりご説明します」

 声音に何らかの企みが宿っていると太一はただ直感した。

 何か、までは読めなかった。

 ただ、一つだけ確かなことがあった。


(この指輪は魔女の力が使える!)

 原理は分からない。

 理由も釈然としない。

 けれど、上手く使いこなせれば切り札となる可能性があった。

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