第48話 二律背反の凍熾世界
「嘘でしょう!」
遠くの彼方の太極で行く末を見守っていたベリアルは動揺する。
篝太一が、撃たれた……撃たれ、魔女は混沌により暴走した。
陰と陽の境界は綻びから穴となり、混沌への結合が加速していく。
「最悪じゃないのよ、これもう!」
ゴール地点は這い上がれぬ落とし穴など酷すぎる。
「バエル、どういうことなのよ!」
篝太一は死んだ。
だが、OSGに殺される運命だったとしても、灯京タワーで殺される運命ではなかったはずだ。
「……恐らくは、そう恐らくは先延ばしになっただけなのよ」
バエルは悲嘆の表情を滲ませ、唇を震えさせる。
「どこかで死ぬけど、あの時じゃなくなったってこと! なによそれ、全然、面白くないじゃないの!」
命を賭けて抗い進む姿はベリアルにとって滑稽であり楽しめた。
同時に、人間に妨害され続けた境界の修復が今なされんとする光景は別なる興奮を与えてきた。
OSGによる死という決定された覆せない結末を篝太一は覆した。
既知が未知に変化した瞬間は大いに心を滾らせた。
「ちょ、ちょっと、これやばいわよ!」
太極が鳴動する。
現の混沌の影響を受け、太極の境界が揺らぎだす。
各方位を支える柱が明滅を繰り返し、境界に亀裂が走る。
亀裂から這い出るかのように、陰陽混ざった混沌が顔を覗かせた。
「どうにか押し込むわよ。手伝いなさい」
「ああ、もう、バカ人間ども! 後何回繰り返したら己の愚かさに気付くのよ!」
悪態つくベリアルは自らの柱に飛び移る。
大本である現の混沌が鎮まらぬ以上、効果は薄かろうと今ある柱たちで陰陽のバランスを調整しなければならない。
ギリギリの状態で調整を続けているが、いつ決壊してもおかしくない状況だった。
「今回はベリアルがいるから、少しはマシかもね」
「あんの腹黒黒縁眼鏡はどこにいんのよ! こっち来て手伝いなさいよ!」
癇癪染みた声を上げるベリアルだが、返事と存在はなかった。
彼女は灯京タワーを俯瞰できるビルの屋上にいた。
「困りましたね」
黒縁眼鏡の少女は眩暈がする思いだった。
同級生が撃たれて死に、その死がトリガーとなり親友が暴走した。
「あの混沌の密度からして、今回は灯京どころか都外一環まで被害が及ぶでしょうね」
視える身として被害範囲は饒舌に尽くしがたい。
人間が招いた結果だとしても、誰もがまた魔女のせいとして片づけるだろう。
そして、また一つ、魔女への恨みが積み重なる。
「……はい、私です」
スマートフォンが鳴り、少女は手にとって応対する。
「ええ、最悪の一言です。またしても人間は同じ過ちを繰り返しました……え?」
悲嘆に暮れようと、通話主からの言葉に戸惑ってしまう。
「見届けろと? ですが、彼女がああなった以上、誰も……私ですら止められません。半分しかない私と違って、彼女は混沌の暴走により過剰なまでの力を発揮しています……分かりました。彼女の
立場的に意見出せぬ故、了承するしかなかった。
ため息を殺しながら彼女は通話を終える。
「さようなら、未那さん」
涙を声に含ませて親友に別れを告げた。
今の未那なら魔女の力を理解できた。
この装いは
太極より与えられた柱を具現化した装いは魔法を存分に引き出せる。
今となっては修復など、どうでもいい。
なんであろうと殺す。
誰であろうと殺す。
殺して、殺して――
「う、う、うあああああああああああああああ!」
未那は涙を振りまきながら逃げ惑う者たちに容赦なく力を振るう。
中には果敢にも立ち向かう者もいるが魔女の前では無駄なこと。
楽には殺さない。
一瞬の死など生ぬるい。
生かさず、殺さず、永劫と呼べる氷の櫃の中で炎に焼かれて苦しみ続けるがいい。
ただ踏み出しただけでアスファルトより炎の柱が噴き出し、ただ手を振っただけで天上より氷柱が降り注ぐ。
混沌が未那の身体にまとわりつく。
まとわり、未那の理性を怒りとして侵食していく。
「どうして、殺す! 何故、殺す! 太一を殺したのはどこよ!」
誰一人とて逃がさない。
誰一人として生を渇望させない。
太一を殺した男は特に!
「――ミ・ツ・ケ・タ」
横転した車の陰に潜む男を未那は見つけ出した。
「ひ、ひいいいいいいいいいっ!」
太一を殺した男は腰を抜かしたまま、弾切れとなった拳銃の引き金を恐怖のあまり引き続けている。
「た、た、たた、す――」
男は拳銃を放り捨て、背を向けて逃げ出した。
「逃がすと思った?」
逃げるのならば逃がさない。
生きているのなら生かさない。
未那の猛火の如く渦巻く怒りは盛んにして鎮まることはない。
太一のいない世界など――灯京など存在する価値はない。
よって全てを消し去ろう。
この力によって。
滅べ、亡べ、何もかも、自分でさえ消え去ってしまえ。
混沌の濃さを一層増し、未那は怒りに突き動かされるまま唱える。
それは現世を塗り替える言霊たる鍵だった。
あなたが抱きしめてくれたのに、私は哀しみ嘆くだけだった。
ああ、その身体は蒼ざめ、二度と私に
抱きしめて、抱きしめてと繋がり交わり願おうと骸が真実をくべてくる。
愛しき者よ、黄泉の口にて待っていて。
私があなたを追うその前に、愛しきあなたへの慟哭を、否定した世界への憤怒としよう。
ホルンの音色は
「
混沌に塗れし魔法は世界を蝕む。
今より蝕むは最大にして絶対のベレトの領域。
今ある世界を混沌で塗り替え、己の世界とする。
世界は鳴き、熱気と冷気により塗り潰される。
生き残りが死に物狂いで逃げようと、氷や炎で形作られたネコたちが鳴り響かせるホルンの音色にて三半規管を狂わせされ、歩行すらまともに許されない。
焼かれて、凍てつき、凍てつきながら焼かれ、焼かれながら凍てつく。
その現象は人間だけではなく、灯京タワーを中心にして広がり、無機物、有機物問わずあらゆるものを焼いては凍てつかせていく。
未那は後ろを振り返りはしなかった。
死者は振り返っても微笑んでくれない。
口を開いてくれない。
篝太一は死んだ――愚かな大人たちの手によって殺されたのだ。
過去は振り返らない。
進むべき未来もない。
ならば消えよう。
残らず消そう。
なんであろうと胸の内に猛る怒りを持ってして――全てを!
憤怒に染まる未那は太一を抱えて立ち去る人間が背後にいると気づかなかった。
未那に残された唯一の理性は盲目的に怒ることだけだったから。
「やれやれ、手のかかるバイトのこった」
南良夏杏は篝太一を抱えながら氷と炎の地獄を、どこ吹く風と闊歩していた。
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