第2話 出会いーworstー

 どこかで見た顔だと、彼女――涼木未那に抱いた最初の印象は既視感だった。

 悲劇のテニスプレイヤーであったと思い出したのはワーストコンタクトの後だ。

 

 最初に会ったのは桜舞う季節の教室。

 外の国では九月から始まる学校でも、この国の学校は四月からスタートする。

 新しい門出を演出するための花として咲き誇る桜を添えるためだろう。

 桜はああ見えてバラの仲間だから格好の花だ。

 異国、火ノ元での新しいスタート。

 姿と身分を偽り、ただの小娘として外国で学ぶ。

 用意されたのは舞浜瑠璃という偽りの名と存在しない家族。

 この国ではワーカーホリックなるものが当たり前にありふれているからこそ、両親は仕事で留守と付け加えてあれば誰も疑う者はいない。

 便利な方便である。

 顔や髪色も認識を阻害する力の応用で北欧系ではなく、火ノ元系に認識させていた。

 黒髪お下げに黒縁眼鏡と絵に描きすぎた姿での生活は、周囲から浮くどころか絵の通りに馴染んでいた。

 

 王である母親より与えられし使命は二つ。

 一つ、将来有力者となる者と縁を作っておくこと。

 早い話、コネを作って来いという訳だ。

 実際、母親は若き頃に留学先で様々な人々と交流し、信頼できる人物と有能なコネクションを数多く築いていた。

 祖母も、曾祖母もそうだ。

 縁を繋ぐのは血筋だ。

 血が為せる業だ。

 そうしたコネクションは政治、経済、戦争など様々な形で役に立った。

 相手もまたこちらが誰であり、どのような利益があるか、判断できるからこそ手を貸したり、借りたりできる。

 そして、本命である二つ目。

 将来、――つまりは夫を見つけだすこと。

 王の血筋に生まれたからこそ、次代に繋げるのは責務だ。

 お見合いだろうと、道端であろうと、割れた半分のグラスのようにピタリと合わさる相手と必ず出会う。

 まるで磁石のS極とN極のように、無意識のまま惹かれあい、結ばれる。

 人、それを運命と呼ぶ。

 けれど、私からすれば台本通りに舞台が進んだ結果、脚本家の予定通りに出会うべくして出会ったような気がしてならなかった。

 この力は過去、現在、未来が見える。見えてしまう。

 幸いにも切り替えのON/OFFが効くのと、半端故に全てを見通せないことだ。

 けれども見える箇所は見えてしまうからこそ灰色だった。

 

 祖母も母も娘と同じ事を同じ歳で思っていた。

 実際は杞憂だった。


 彼女――涼木未那と二回目に会ったのは校庭に備えられたベンチだった。

 友人知人が周りにいないゼロからのスタートから一週間が経過した日、新たな環境に慣れつつあった日。

 桜は散り始め、吹く風が花びらの渦を描く日。

 食い入るようにして熱心に本を読む姿にどこか惹かれた。

 気づけば隣へと静かに座り、声をかけていた。

「何か用かしら、え~っと浜名さん?」

 のめり込んでいた読書を邪魔されたからか、彼女の声には険が混じっていた。

 開いた本の活字を目で追いながら、こちらに耳を傾けるも目は向けもしない。

 お邪魔しているからこそ、相手が不快さを抱くのは当然で、自分が不快さを抱くのはお門違いだ。

「舞浜です。舞浜瑠璃。確か、同じクラスの涼木未那さん、でしたよね?」

「そうよ。今、絶賛読書中なんだけど?」

 邪魔をしないで、とっとと離れて、が声音に込められていた。

「それはごめんなさい。ずいぶんと熱心に読んでいたようでしたので、どのような本か気になりまして」

 気になったのは未那自身に対してだが、本を穏便な方便とした。

「女が読んでも面白くない本よ」

 彼女の目は一字一句、活字を追って離さない。

 口調には一秒でも早く瑠璃を突き放したいとの願望が強く漏れ出している。

 では、女である未那の性別は如何に、なる疑問を瑠璃を間違っても口に出さなかった。

 実は男の娘という解答も論外だ。

 話を繋げるために瑠璃は彼女が読む本のタイトルをのぞき込んだ。

「魔女の統治する国――も、もしかしてセイファ王国の本ですか?」

 まさかの祖国に興奮が火山噴火のようになりかける瑠璃だが、自制心でどうにか休火山とさせた。

 セイファ王国は北欧ヨーロッパ、北海にある断崖絶壁の島国の名だ。

 その国の名を口に出すなり、未那は読んでいた本を音を立てて閉じ、両目見開いたまま驚いた顔を向けてきた。

「知っているの?」

「え、ええ、最近、SNSなどで話題になっていますから。ほら、海から一望できる景色は一種の芸術とかで」

 瑠璃は論より証拠と、自分のスマートフォンを取り出しては海の風景写真を出した。

 SNSに溢れている写真の一つだと付け加えた。

 実際は出国間際、記念にと自分の部屋から撮影した風景写真であるが秘密にしておいた。

「行ったことあるの?」

「私はありませんが、祖父はあるそうです。潮の香りがする国だと仰っていましたよ」

 主な経済は第一産業である農業と漁業。

 かつては金も採掘されていたそうだが一〇〇年以上前に枯渇しており、昨今では外貨獲得のため観光業に力を入れている。

 魔女の国と囁かれる故、魔女災害が起こる度に風評被害を受けやすいが、国を挙げてSNSの広報活動が功を奏したのか、好奇心で訪れる外国人旅行者は増加傾向にある。

 中でも断崖絶壁から眺める海は、蒼の絶景だと観光名所の一つとなっていた。

「ツアーで行ったみたいでして、潮の満ち引きで隠れる港口とか、昔の天気図とか見せられたそうです」

 セイファ王国が魔女の国と呼ばれる所以。

 彼の国を統治する王は代々、女であること。

 女王は天候を操り、国土を守ってきたと国外で伝えられていること。

 その話に暇はない。

 一夜明けた海原に武装船団が忽然と姿を現していた。

 まるで大津波の起こる位置を把握していたかのように、敵軍を引き寄せ、呑み込ませた。

 猛吹雪が訪れる前に撤退し、鎮まれば進撃した。

 積み重ねられた事実は歴史となり、誰もが魔女が気象を操ったと恐れるようになった。


 魔女のせい。

 魔女の仕業だ。

 魔女の国だ!


 ただ、時と共に科学技術が発達すると共に真相が明らかになっていく。

 一夜明けた海原に船団が姿を現していたのは、潮の満ち引きを利用した港口から引き潮の時、出港したにすぎず、大津波や猛吹雪は起こるべくして起こると気象や潮流を予報した結果だった。

 歴史資料として保管されている天気図や潮流図は、コンピュータの発達した現在に負けず劣らずの高い精度を誇っていた。

 つまりはセイファ王国は魔女の国ではなく、気象予報の知識と技術を持つ人間の国であった。

 周囲を海に囲まれた断崖絶壁の島国だからこそ、気象や潮流の予報技術が発達するのは当然の流れであった。

 第二次世界大戦時において、魔女の国と呼ばれながら連合軍として参戦。その高い気象予報を情報として連合軍に提供した。

 戦後、各常任理事国の承諾を経て国際連盟に加盟。

 一昔前までは魔女の国として恐れられていた国も今日ではヨーロッパの一国。

 セイファ王国を魔女の国だと信じるのは便所の落書きを真実と公言する知能レベルであった。

「お祖父さん、何している人?」

「歴史学者でした。まあ、今は引退して孫と紅茶にうるさいお祖父さんですね」

 瑠璃は語りながら内面で、人は簡単に偽れるのだと痛感する。

 幼き頃より、人を騙すのは悪いことだと思っていた。

 騙すのも騙されるのも嫌いだった。

 なのに、今の自分は身分を偽り、偽りの名で、偽りの経歴を語っている。

 一方で、相手を手玉に取る瞬間は快楽を抱いてしまう。

 面白いのだ。

 楽しいのだ。

 愉悦が止まらなくなるのだ。

 姿形に偽りはあろうと、言葉と行動に偽りなかった。

「無類の紅茶好きで、暇さえあればお茶を煎れているんですよ」

 祖父としての配役を宛がわれたのは王家に仕える執事でしかない。

 祖母の代から仕えてきた者だからこそ信頼篤く、孫娘のお世話を任せられると母より白羽の矢を立てられた。

 当人は手荒く扱ってもらえると職務に忠実だ。

「ふ~ん」

 白々しい相槌が返ってきた。

 祖父の話は相手がお気に召すものではなかったようだ。

 興味があるのはセイファ王国ではないと、瑠璃は彼女の目から読みとった。

「国の歴史というより、魔女の歴史にご興味があるようですね?」

 柔らかく尋ねた瑠璃であったが、未那の目尻が歪み、表情が不機嫌に曇ったことで気づく。

 女が読んでも面白くない本に魔女の歴史。

 この二つから導き出される事柄は一つしかなかった。

「女が魔女のこと学んで何か問題でも?」

 険ある言葉は一層鋭利さを増した。

 無形の刃として瑠璃に突きつけられた。

 魔女たる歴史を研究する学問を魔女史学という。

 歴史学の一門でしかないが、この魔女史学には世界共通のジンクスがあった。

 それは、女が魔女の研究をすれば魔女となる、というジンクスだ。

 ジンクスを思い出した瑠璃は唇を閉じ、ただ押し黙るしかない。

 魔女災害に対する研究は各国で行われている。

 男女の比率は男性率がジンクスもあってか高い。

 もっとも不条理と理不尽の代名詞である魔女だからこそ、災害後の対策に重しが置かれていた。

「え、え~っと」

 胸に無形の刃を突きつけられた瑠璃は、どうにか言葉を絞り出さんとするも思考の空回りで口ごもった。

 力を使えば正解の未来が見えるかもしれない。

 けれども、何でもかんでも頼り切るのでは留学の意味がない。

 今の自分は火ノ元人の舞浜瑠璃であり、一国の王女ではなかった。

「ふん」

 不機嫌そうに鼻を鳴らした未那は閉じていた本を開いていた。

 もう瑠璃から興味が失せたと言わんばかり言葉どころか目線すら向けずにいた。

「涼木、さん?」

 呼びかけるも読書に集中しているのか、声さえ届かない。

 意図的に無視しているのではないと、活字追う彼女の真っ直ぐな目が雄弁に語っていた。

 悪い人間ではない。

 ただ勤勉家なだけだと率直に思った。

 ワーストコンタクトになったが、同じクラスなのだ。

 関わろうと思えば嫌でも関わることになり、接点が失われた訳でもない。

 けれども読書の邪魔をするほど野暮でもない。

 離れようとベンチから腰を浮かせた時、瑠璃は未知なる<>を感知した。

 いや、感知してしまった。

 有意識とは真逆な現象が突然起こったことで困惑した。

「え?」

 世界がモノクロ写真のように白黒となり、あらゆる動作がコマ送りとなった。

 この感覚は力が発動した時と同じ。

 けれど、力は切っている。勝手に発動するはずがない。

「あ、あなたは!」

 周りが白黒の世界でありながら彼だけは色彩を保っていた。

 瑠璃たち二人がいるベンチに歩を進める一人の男子生徒。

 凡庸を絵に描いたような顔立ちに、どこか遠くを見ていそうな目、人当たりの良さそうな空気を漂わせているも、左こめかみにある傷跡が凡庸さに箔をつけていた。

「ま、まさか」

 彼一人だけが<>を保っている原因は一つしかない。

 理解しながらも唐突故に意識はまだ受け入れ切れていない。

 世界が急激に白黒から色ある世界に戻ったのに気づかぬまま、王女としての本能が言葉を紡がせた。


「もしかして、未来の旦那様ですか?」


 とんでもない失言だと自覚したのは隣から怒りの波動が放たれた時だ。


「誰が旦那よ! 太一こいつはただの幼馴染よ!」

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