第3話 花びら―トゲ―


 篝太一と涼木未那は幼馴染みである。

 父親同士が中学時代からの親友であり、母親同士が幼馴染み。

 その縁あってか家は隣同士。

 中学時代、涼木未那は界隈で有名なテニスプレイヤーであり、果てはプロ入り、五輪代表選手と囁かれるほど将来を有望視されていた。

 逆に篝太一は、一〇年前の灯京大火に被災した影響で安定など幻想である現実に直面したことで目標を抱けなくなった。

 鏡合わせのように輝きを進む少女と暗がりに停滞する少年。

 周囲からの評価は当然の結果であり、何故、前を向かずして停滞する少年が彼女と幼馴染みなのか首を傾げる者が多数いる始末。

 当人たちからすれば一番目の子が弟妹の兄姉として生まれるのではないと同じように、幼馴染みとして世に生まれてくる訳ではない。

 また溌剌とスポーツに青春の汗を流す涼木未那は男女共に人気があり、幼馴染みである篝太一を僻みやっかむ者、羨ましがる者が当然ながらいた。

 篝太一が涼木未那の個人サポーターを経てテニス部のマネージャーに就任したことでその数は増加する。

 当然、両者の仲を好意的に受け止めている者たちテニス部の面々もおり、二人を夫婦と親しみを込めて呼んでいた。

 ただし、涼木未那からすれば目標を一つも抱けない篝太一を勝手に旦那扱いされるなど我慢できずにいた。

 嫌いではないが、何一つ目標を抱けず、涼木未那自身が求める域にまで達していない男に惚れる理由が何一つない。

 よってお決まりの反論ができあがっていた。


「誰が旦那よ! 太一こいつはただの幼馴染み!」


 当時の出来事を太一は昨日のように覚えていた。

 右足が不自由故にベンチから立ち上がらぬまま怒りを立ち昇らせる未那。

 口元を両手で隠すように抑えて、両目見開き驚き固まる瑠璃。

 両者の間に籠っていく気不味い空気。

 乱暴に本を閉じた未那は松葉杖を突きながら、太一を置き去りにして不機嫌に立ち去ったことで幕を閉じた。

 ワーストな青春の一幕であった。


 そして今現在、架線トラブルにより電車が緊急停止した。

 偶然にも同じ電車に乗り合わせていたのは同級生の舞浜瑠璃だ。

 復旧に三〇分ほど時間を有した。

 空腹に耐えかね、最寄りの駅で下車した太一は瑠璃と昼食を共にした後、共にコーヒーショップで会話を弾ませていた。

 大盛りラーメン(チャーシュー二枚トッピング)の後にコーヒーは胃が重かったと、彼女の前で言わなかった。

「あの時は灯京に来たばかりで日が浅く、未那さんとはただのクラスメイト同士でしたから、どうしてあんなに怒ったのか、よく分からなかったんです」

 瑠璃は当時を思い出しながら苦笑していた。

 ただ苦笑しているだけなのに、気品があり、どこか華やかさを太一は感じていた。

 女の色香がなせる無意識下の誘惑か、太一は未来の嫁を楔に意識を繋ぎ止めた。

「まあ、当時はね、色々と、ね」

 苦笑しながら思い返した太一は相槌を打つ。

 女の身で魔女史学を志したからこそ、母親である千草とは何度も衝突を繰り返していた。

 太一が間に入ろうと、目標を持っていないが故に板挟みとなるだけで、仲裁にならず決裂ばかりだ。

 けれども今は違う。

 千草は未那が魔女史学に進む道を認め、万が一道から外れた時は太一に責任をとってもらえとお墨付きを頂いていた。

 男として嬉しくあり、同時に恥ずかしくない男にならねばと緊張を抱いた。

「けど、初対面で旦那とか良く言えたね」

「うふふ、女の勘ですよ。なんとなくお二人がそんな間柄だと感じたんです」

 瑠璃は艶やかな唇に人差し指を当てながら柔和に笑って見せた。

 可憐な声は濁りを浄化する清流のようだ。

 言葉に嘘偽りが混じっていたとしてもその声音は嘘を浄化し、真実とする。

 未来の嫁がいなければ、その清流に流されてしまっていただろう。

(……はて? 何で僕は舞浜さんが嘘をついているって思ったんだ?)

 未那の友達が嘘をつく理由が見えない。

 それ以前に、篝太一たる人間に嘘をつくメリットが何一つない。

(ん~メリット、デメリットで考えるのは大人に毒された証かな?)

 第二次灯京大火と称された今回の魔女災害。

 魔女となった未那と共に逃げ続け、追われ続けた。

 家族を人質に取る大人の意地汚さを味わった。

 尊敬する先輩が殺意を実現せんと現れた。

 人を救う道具OSG人を殺す道具OSGである現実を思い知らされた。

 自らを守るためだけに、殺人を魔女のせいにする大衆のいじましさを見せつけられた。

 一六の少年が経験するには重すぎた。

(けど、舞浜さんには聞きたいことがあったんだ。ちょうどいい)

 災害時、瑠璃から送信された写真データには、未那の存在が消えたはずの写真に未那は写っていた。

 電車内で偶然出会ったのは幸運だ。

 今は会話を弾ませ、頃合いを見て聞き出せばいい。

「流石に未那さんの逆鱗だったのには驚きましたけど」

「今ではすっかり仲良しだよね」

 ワーストコンタクトの出会いとなったが未那と瑠璃だが、今では親友と呼べる間柄。

 高校一年時、太一は別クラスであったため、次に瑠璃と会った時、未那と仲良くなっていた光景に驚いたものだ。

「どうやって仲良くなったの? 未那からはただ話が合うとしか聞いていないんだ」

 太一は一歩踏みこみ敢えて聞いていた。

 未那から聞いた話によると瑠璃は不自由な右足を知ろうとも、憐れみも同情もしなかった。

 ただ動かせないと理解しただけだ。

「お互い、本が好きだったのが理由だと思います。ほら、類は友を呼ぶと言いますよね」

「確かに」

 納得できる理由に太一は思わず頷いてしまった。

 シンプルな理由であるが、シンプルだからこそ無駄がない。

 記憶を思い返せば、昼休みや放課後、図書室に二人が一緒にいる姿を何度か目撃していた。

「今度は私がお聞きしたいのですが……篝さん、ですよね?」

 瑠璃の口から出た珍妙な質問に太一は口元を緩ませてしまった。

「どういう意味かな?」

「え、え~っとですね。今の篝さんとちょっと前の篝さんが別人のように思えるんです。キリっとしたというか、一皮剥けたというか――ま、まさか、未那さんと!」

 瑠璃の口調は一字一句事に速度を増し、連動して耳まで顔を真っ赤にさせていた。

 表情により脳内で卑猥な妄想を増大させているのだと男の性として読みとってしまうのは男の原罪か否か。

「……舞浜さん、だから、い、言うけど、あ、生憎……そ、そこまで行って、ない、よ……」

 彼女は第三者に公言する人間ではないという信頼から打ち明ける。

 病室で一線を越えかけるも夏杏なるバイト先の女店主の横槍で越えなかった。

 越えられなかった。

 店主が立ち去って仕切り直そうと気まずさにより結局は越えていないままだ。

 今頃、病室で一人、女を濡らしていないか心配であった。

「よ――し」

 未那の身を案じて目を伏した太一の耳朶を瑠璃の小声が打つ。

 打ち上げられるように顔を上げた一瞬、瑠璃の口端に笑みが走るのを垣間見た。

 右肩が小刻みに動いており、テーブルの下から何かを握ったような音を聞いた気がした。

「よ、し?」

 太一は会話の波に乗ったまま、疑問を口に出していた。

 今一度、瑠璃の顔を正面から見ようと、口端に笑みはなく、右肩も小刻みに動いていなかった。

「よ、かったら!」

 瑠璃は柔和な笑みを崩さぬまま、語句を強めてきた。

 今の笑みはどこか、急遽取って付けたお面のような違和感があった。

「これからお買い物につきあってくれませんか?」

「買い物?」

 よしという発言は太一の空耳か、瑠璃が噛んだのだろう。 

 指摘して笑うような悪質さを持たぬ太一は、唇に右手を当て、しばし考え込んだ。

 下宿先に帰っても家主は仕事中。

 店主不在のバイト先に顔を出せば、面倒事が記された書き置きが机にある予感しかない。

 未那もまた入院中。

(――そうだ!)

 入院中で太一は閃いた。

 入院で暇と女を持て余しているはずだ。

 未那の喜ぶ物を買おうではないか。

 友人である瑠璃が前の前にいることこそ渡りに船。

 彼女なら快く相談に乗って友人の喜ぶ物を選んでくれるだろう。

「特に予定もないし。別にいいよ」

 太一が承諾するなり、瑠璃は嬉しそうに顔を綻ばせた。

 先ほどの取って付けた笑顔とは別なる次元の笑顔だ。

(まあ、ただの買い物だし、本好きだから本屋とかだろうね。未那やおばさんに引っ張られて、下着や水着売場を連れ回される訳じゃないのは幸いか)

 基づいた経験から導きだされる事柄だった。

 舞浜瑠璃とは親しいが、友達の友達であり、接点は未那を介してでしかない。

 高校一年時は別クラスだったからこそ、親しい間柄でも男女の仲でもない。

 そこまで親しくないからこそ、一定の域まで踏み込まないと太一は読んでいた。


 高をくくっていたと痛感するのは、デパートのとある売場にたどり着いた時だった。


「み、水着――売場」

 女ばかりのコーナーに立つ男の太一は喉を詰まらせながら、どうにか現地を声で絞り出した。

 出すしかなかった。

 スマイルで会釈した店員の好意的な視線が痛い。

 他の女性客の好奇な視線が痛い。

 時期的に春であるからこそ、次の季節を狙っての商戦が起こるのは当然の流れである。

 夏徹底抗戦セールと唱われる広告に、広告の発案主は既に夏の暑さに頭をやられているのだと太一は立ち尽くしながら思った。

「あら、これは?」

 困惑する太一と真逆なのは瑠璃だ。

 鼻歌交じりで嬉しそうに陳列された水着を眺めては時折手に取っている。

「え~っと舞浜さん?」

 困惑を飲み込んだ太一は疑問を口に出した。

「はい、どうしました? あ、もしかして、こちらのほうが似合いますか?」

 各の手に持っていた水着を瑠璃は太一に見せる。

 右にあるのも左にあるのもデザインが同じのセパレートタイプ。

 露出多めのホルターネックの色違いであり、右は白、左は黒だ。

(太極の色――は考え過ぎか)

 陰陽がいがみ合う太極のように太一の中で理性と困惑がいがみ合う。

「未那から聞いたんだけど、確か、泳げないんだよね?」

「ええ、泳げません。小さい頃、船から海に落ちまして。ですけど、泳げないからって水着を着てはいけない理由にはなりませんよ?」

 泳げないから着るなと叫ぶのはただのクレーマーだ。

 誰にだって着たいものを着る権利はある。ないがしろにされるものではない。

「プールサイドなりビーチなり、水に入らなくても楽しむ方法はいくらでもありますよ? 例えば、スイカ割りとかビーチバレーとか、砂でお城を造るのもありですね」

 城のニュアンスがどこか重く聞こえたのは気のせいだろうか。

 それでと、瑠璃は仕切り直すように左右の手に持つ水着を改めて見せる。

「どっちが似合いますかね?」

 女は男に選択を強いてくる。

 それもあまり親しくない男に、右か、左かを迫っていた。

「あ、もし真ん中とか言うなら、今すぐ未那さんに報告しますからね?」

「僕が殺されるよ」

 口ではぼやく太一であるが、内心では絶句していた。

 未那は少々怒りっぽい。

 友達だからと言って、分別と距離は大切である。

 浮気する気は更々なく、する根性もない。

 この世界は小説投稿サイトにありがちなハーレム上等な空想世界ではないからだ。

 一人の男に複数の女が修羅場なく集うのは不可解だった。 

(ちょっと待って! 男女で水着売場ってこれはもうデートじゃないか!)

 状況に流れ流されていると太一は我に返る。

 買い物と聞こえはいいが、男女で買い物ならばそれはもう立派なデートだ。

 かつて自分が未那をデートに誘う文句として、そう告げたではないか。


 ――男女で出かけるならデートだよ。デートなんだよ。


 デートを意識した途端、太一の中で瑠璃に対する評価が株価のように急激に変動していく。

 絵に描いた文学少女は偽りで、とんだ肉食系女子ではないのかと――疑念と戦慄が走る。

(何を、喰らう気だ……?)

 第二次灯京大火で磨かれた第六感が太一に警鐘を鳴らし、脇の下に冷や汗を落とす。

「あ、思い出しました」

 鈴のような声を発した瑠璃から一瞬だけ底冷えする何かを感じた。

 けれども、瑠璃の表情は、柔和で花のような笑みのまま。

 意識して対面する太一は変質を見抜く。

 その笑みはあたかも、花びらで茎にある棘を隠すようなものだ。

「私と未那さん、偶然ですけどね」

 刀の鯉口が切られるように、瑠璃の口端に愉悦の色が滲み出したのを太一は見逃さない。

「スリーサイズ同じなんですよ。それと……」

 ふと甘い風が太一の鼻孔と皮膚を撫でた。

 気づいた時、瑠璃の艶やかな顔が太一を間近から見上げている。

 互いに着込む服が触れあうか、触れあわぬかの絶妙な距離。

 半歩でも距離を詰めれば布越しであろうと胸部が当たる。そんな距離。

(気づいたら間近にいたなんて忍者なの!)

 太一の困惑を見透かしたように瑠璃は妖艶に微笑んだまま耳元で囁いた。


「乳首の位置も、同じなんです――うふふ」


 彼女は誰だ!? 何者なんだ!?


 太一は平常心を保つため叫ばずにはいられなかった。

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