第33話 狂乱-カンキ

 未那を抱き抱える太一は篝家を飛び出した。

 束縛を自力で解く可能性を否定できないからこそ、一刻も早くこの場から離れる必要がある。

「自転車でなら!」

 買い物用に使う太一専用自転車が隣家にある。

 二人乗りは警察ご用だが、国連軍<M.M.>に追われている身。

 警察がかわいく見える。

 なにしろ、警察は注意と補導はしても非武装の民間人に発砲などしないからだ。

「ん?」

 敷地外へと飛び出した太一は視界端に映る物に足を止めた。

「バイク?」

 走破性の高いオフロードタイプのバイクだ。

 その手の知識を持たない太一は詳細な機種や排気量を知らない。

「まさか、優衣先輩が乗ってきたんじゃ?」

 考えられなくはなかった。

 しか不用心なのか、幸運なのか、バイクにはキーが刺しっぱなしだ。

「ちょ、ちょっと、太一、あんたまさか」

 未那は幼なじみの機微で太一の次なる行動を察した。

「ああ、もうやっぱり!」

 後部シートに未那を座らせた太一がバイクに跨がっている。

「あんた、免許なんてもんないでしょう!」

 免許どころかバイクのハンドル一つ握ったことがないバイク童貞のはずだ。

「大丈夫、レバーとかクラッチ、ギア、アクセルブレーキの位置なら分かる!」

 自信満々に言う太一に未那の顔から血の気が引く。

「しっかり掴まっていて!」

 太一は指さし確認でバイクを始動させていく。

 不慣れな面が強かろうと、知識を形にするようにバイクのエンジンは目覚めていた。

「た、太一、後ろ、後ろ!」

 サイドミラーに映る影に振り返った未那が絶句する。

 追従する太一が振り返れば、一機のOSGが接近しつつある。

 自らの存在を誇示するように頭部ライトを目映く光らせ、暗闇に道を灯していた。

「未那っ!」

 ハンドルを力強く握りしめた太一は未那が強く背中にしがみついたのを合図にバイクを発進させた。

 エンジンが唸りを上げ、タイヤが路面を強かに蹴る。

「うああああああああっ!」

「きゃあああああああっ!」

 急加速による変化に太一と未那は揃って悲鳴を上げる。

 一瞬だけ、前輪が浮き上がるも吸い寄せられるように路面に噛みつき、闇夜を切り裂きながら猛進した。

「あっ!」

 暗闇を猛進するバイクの上で太一は失念をこぼす。

「ど、どうしたの!」

「これ、ライトどこだ!」

 発進させるのを優先させるあまり、闇夜の走行に不可欠なライト点灯を忘れていた。

「これだから知識だけの奴は!」

 幼なじみとして未那は映画で得た知識だと看破していた。


 コクーン05は遠ざかっていくバイクの追跡をしなかった。

 いや、正確には追跡しているからこそ、今の追跡を必要としなかった。

「通信が繋がらないな」

 確保対象が殲滅対象を乗せて<M.M.>のバイクで逃走した。

 経過報告を作戦司令部に伝えようと通信状況が芳しくない。

「まあいい。問題は……」

 コクーン08の識別信号が確保対象の家屋からある。

 赤外線センサーが横倒しの形でうごめく姿を捉えていた。

「魔女に縛られたなんて、なにやってんだ、とは口が裂けても言えないな」

 コクーン08は隊の中で体術はおろかOSGの操縦技術は誰よりも抜きんでている。

 まだ一〇代と年若いが、軍は基本、階級が物を言うのであって年齢は関係ない。

 あの歳で不相応な高い能力を持っている姿に嫉妬を抱いたこともあった。

 けれども、誰とでも打ち解ける気さくさがあり、礼儀正しく、面倒見も良い。

 部隊内においてコクーン08を悪く言う者はいたとしても嫌っている者はいない。

 当然、セクハラを行おうならば容赦ない報復が来るが、それはセクハラする側の自業自得だ。

 男女混成部隊であり人道を重んじる国連軍だからこそ、その手の規約は厳格に定められていた。

「さてと助けますか」

 軽口を叩きながらコクーン05はOSGの背面搭乗口を開放する。

 助けたお礼にコーヒーの一杯ぐらいおごって貰おうと考えながら、閉所で凝った身体をほぐしながら路面の上に降りるのであった。


「おい、大丈夫か?」

 聞き覚えある声が優衣を拘束から開放していく。

 身体が自由となるなり、声の主を把握した。

「ぐ、軍曹?」

「動けるか? 動けるなら任務に戻るぞ」

 任務。

 この一言が優衣の中で幾度となくリフレインを起こす。

「私は……」

「報告は俺ではなく特務大佐にしろ」

 現状、<M.M.>としての任務は篝太一なる男を確保すること。

 コクーン08に逃がした失態はあろうと、喪失したわけではない。

 加えて、作戦司令部からの連絡では自ら出頭させる手が整いつつあるとの連絡が届いている。

 確保するか、自ら出頭するかの些細な差でしかない。

「殺さないと」

「ああ、そうだな、魔女が完全覚醒する前に殺さないとな」

 背を打つ優衣の声にコクーン05は頷いた。

 一〇年前の灯京大火で彼は親族を亡くしている。

 理不尽で粗暴な魔女の放った火のお陰で罪のない人が焼き殺された。

 魔女による犠牲をなくしたいからこそ、国連軍に入り、OSGの操縦士となった。

 当然のこと、コクーン08もまた家族を失っていた。

「ええ、魔女と、それに関わる者全てを!」

「な、なにを――うぐっ!」

 背後から首になにかが巻きつき、コクーン05を締め上げる。

 巻きつく物の正体が縄の類と判断した時には意識を喪失していた。


 コクーン05の意識が喪失したのを確認。

 優衣は手に持つ縄跳びを力なく畳の上に手放した。

「あは、アハ、アハハハハハっ! アヒャヒャヒャヒャっ!」

 笑う度に視界は赤く明滅し、心臓は破裂する勢いで鼓動を繰り返す。

 呼吸は乱れに乱れ、髪の毛が流れ出た汗で頬に張りつこうと不快さなど抱く思考の余地などない。

 全身の震えが止まらず、震える指先が頬に触れる。

 ただ触れただけで自身が如何様な表情を浮かべているのかが分かる。

「私、笑って、いる」

 どうしようもなく、例えようもなく、口端を歪めて笑っていた。


 かわいい後輩から返り討ちにされた恐怖?


 直に魔女を目撃した恐怖?


 違う、と優衣の感情を否定するように赤い声が囁いてくる。


 赤い声は、身体の震えは恐怖でも悪寒でもないと答える。


 それは歓喜だと。


 紛れもなく喜びだと。


「見つけた、見つけた、見つけた、見つけた、見つけた、見つけた、見つけた、見つけた、見つけた、見つけた、見つけた、見つけた、見つけた見つけた、見つけた、見つけた、見つけた、見つけた、見つけた、見つけた、見つけた、見つけた、見つけた、見つけた、見つけた、見つけた、見つけた、見つけた、見つけた――ミ・ツ・ケ・タ!」

 声と身体はガクガクと震え、瞳の焦点は幽鬼のように定まらない。

 震えは心にとある熱を与え、彼女の思考を滾らせていく。

「けど、なんで、太一くンとイたノ?」

 かわいい、かわいい後輩の太一が魔女と一緒にいた。

 答えなど、考えなくとも分かるでしょうと、赤い声が囁く。

 篝太一は魔女と前々から、それも一〇年以上も前から繋がっていた。

 互いを知り尽くしたような以心伝心の連携が確固たる証拠だ。

「くひひひ、ふひひ、きひひひひひひひひひ」

 優衣の頬がさらに歪む。

 歓喜であり、正気であり、狂気が入り混じった笑みであり、自覚なく感情に現れた心の歪みでもあった。

「ずっと、ずっと、かわいい後輩の振りして、私を弄んでいたのね」

 魔女のせいにはしない。

 させない。

 かわいい後輩は、妹と弟を焼き殺した魔女と一緒にいた。


 頼れる先輩と慕ってくれた裏で、私と焼き殺された家族をあざ笑っていた。


 悪い子、悪い子、魔女と仲良くしちゃう悪い子だ。

 どす黒く染まっていく感情に抗うように一粒の煌めきが叫ぶ。


 あの子は、いい子、優しくて思いやりがあって、諦めないで前に進んでい――


 どす黒く煮詰まっていく感情は、一粒の煌めきを容赦なく飲み込み、染め上げた。

 魔女は殺せ、魔女に連なる人物も殺せ。

「そう、殺さないといけない」

 彼女の心は暗き泥濘に沈んでいた。

 

 そして、魔女と、魔女に連なる人物を殺す力に乗り込んだ。

 OSGという魔女を殺す力に。


 ここはあの世でも、この世でもない。

 あちらでもなければ、こちらでもない。

 あるからあって、ないからない。

 赤い衣の少女が行き着いた先にはガゼポと呼ばれる西洋風あずまやがあった。

「あらあら、こんな場所に足を運ぶなんて珍しいですね」

 備えられたテーブルに一人の少女がいた。

 ティーカップにダイエットコークを注ぐのは黒縁眼鏡の少女だ。

 集うには打ってつけの場所だが、赤い衣の少女は今一つ西洋かぶれの建造物を好きになれなかった。

「折角、足を運んだのです。一杯どうですか?」

 のほほんとした口調が不快さを与えてくる。

「いらないわよ、そんな飲み物」

 不快さを顔に出しながら赤い衣の少女は椅子の上に腰を下ろす。

「そうですか、美味しいのに」

 器に飲み物を入れて飲むのは間違っていないが、似合わない服を着込んでいるようなものだ。

 もっとも飲む当人はお構いなしだろう。

「どうですか、私の友達は?」

「面白さと不快さがいがみ合っているわよ」

 予測を裏切る行動は心を滾らせる一方、手玉に取られれば不快となる。

「あんたこそ、大切な友達が殺されかけてんのに、よくもまあ、飲んでいられるわね」

「今のわたくしにできることは限られています。それに、動きすぎるなとお母様から釘を刺されています。今先ほど、これ以上、手助けはするなとお叱りを受けたばかりです」

「ったく、あんたといい、あいつといい、一族代々、よくもまあ私の快楽を邪魔してくれるわね」

「あなたが現世を面白おかしく楽しみたいのと同じように、わたくしには血を次代に繋げる責務がありますから」

「どうせ死ぬわよ、あいつ」

「ええ、あなたが先輩をけしかけたことも、起こりうる未来も把握しています。ですけど、彼と私の友達がその程度で死ぬ玉ではないと信じています」

 それに、と黒縁眼鏡の少女は続ける。

「味方に対して当てにならないことには定評がありますから」

 ティーカップに口を付ける姿に微々たる揺らぎもなかった。

「まあいいわ。干渉があろうとなかろうと、決まった流れは止められない。螺旋のように捻れに捻れて、後はプツンよ」

「でも、それを眺めても決めるのはあなたじゃないわ」

 別なる声が響き、新たな人物が現れる。

 外見は一〇代後半、白を基調とした青く彩られた妖艶な服装を身にまとい、三角帽には王冠が煌めいていた。

 ただ煌びやかさとは対を為すように表情はどこかほの暗い。

「なに、わざわざ座から出向いて私にお説教?」

「あなたが説教程度で静かになるなら苦労なんてしないわよ。黙らせるには地獄をぶつけた方が手っ取り早い」

「きゃ~恐ろしいわね~一の悪魔は~」

「あなたもね」

 赤い衣の少女の演技臭い返しに白き衣の少女は嘆息する。

「ほら、持って行きなさい。どうせ、これが目当てなんでしょう?」

 白い衣の少女はを二つ、赤い衣の少女に投げ渡す。

「流石、紀元前以前からのつきあい。分かってるじゃないの」

「勝手に持って行かれると困るのよ。どうにか保っているバランスが崩れるから」

「彼のことですから断ると思いますよ」

「断ろうと手にしないと死ぬわよ」

 優衣という女に魔女共々殺される。

 赤い少女はただ楽しみたいだけなのだ。

 見てみたいだけなのだ。

 仲の良かった人間がほんの些細な違いだけで殺し合う無様で滑稽な様を。

「それじゃ、そろそろ行くわね」

「後で返しなさいよ」

「あの人間が死んだらね」

 椅子から降りた赤い衣の少女はステップを踏みながらガセポから立ち去っていく。

「渡したの、八と二九のようですが……」

 その数字がなにを意味するか、黒縁眼鏡の少女は知っていた。

 結果がもたらすものもまた。

「壊すか、治すかは、彼次第」

「あなたの目、壊れる未来しか見てないようですね」

「何度も……何度も見ればそうなるわ。篝太一は死ぬ。同じ人間に殺される。それだけは確定しているわ」

「そして、一〇年前と同様、第二の灯京大火が引き起こされる」

 いや、今回ばかりは灯京全土が炎に包まれる程度で済まされないだろう。

「ですけど、彼は不条理を越える爆発力を持っています」

 今はまだ不完全なだけだ。

 一度火がつけば止められる者はいないだろう。

 問題は点火はいつか、であった。

「あら、戻るのですか?」

「ええ、死ぬとしても彼とは一度会わないといけないもの」

 白き衣の少女の姿は悲壮さを零しながら消える。

 ただ一人残された黒縁眼鏡の少女は空となったティーカップにダイエットコークを注ぐ。

「悪魔なのは、人か、魔女か」

 人は白でもなければ黒でもない。

 けれども、人は白と黒で区切る。

 森羅万象が陰と陽に区切られたのとは違う。


 区切るのは善か、邪かの二つだった。

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