第45話 交渉の切り札

 ぞわりと,太一は髪の毛が逆立つほどの怒りが沸き上がる。

 世迷い言だ。

 だが身内なる三人が映し出された理由がようやく見えた。

 三人は人質だ。

『きみが魔女を殺しても罪には問われない。なにしろ殺人罪は人だからこそ適用される。魔女は人ではない。よってきみはなにひとつ罪には問われることはない。むしろ魔女災害を未然に防いだとして表彰ものだ。国連本部から莫大な報奨金も出るだろう』

 ああ、そうだと、高遠は演技臭い声で言った。

『きみは公務員を目指していたそうでないか。今回の件が無事、終わったら将来、国連職員への就職を約束しよう。国連職員は国家公務員ならぬ国際公務員。もちろん、仕事上、外国語を学ぶ必要があるが、言語に資格とあらゆる必要なものは国連が全て負担しよう』

 胸郭の膨れ上がった感情が太一に怒りの言葉を走らせる。

「ふざけるな!」

 太一は受話器相手に怒鳴った。

 怒りで胸が熱くなろうと逆に頭は冷静であり未那の手を離さず握りしめる。

『きみは自分の立場がわかっていないようだね』

 人質がいる時点で太一に選択肢の選択などあってないようなもの。

 もし断れば両親は違法薬物の所持で死刑となり、千草は医療ミスで看護の職を失うだけでなく遺族から糾弾される。

『気づいていないようだから伝えておこう。きみは魔女の魔法を無効化する特異体質だ』

「特異体質?」

『そう、魔女が現れる地に必ず現れる男。一切の魔法が効かず、完全覚醒した魔女を唯一傷つけ殺すことが可能な希有な存在。その存在を我々は魔女殺しと呼んでいる』

「魔女、殺し……?」

 魔女を殺せるから魔女殺しなど安直だ。

 だが名称よりも問題は、太一にそのような特別な力がある点だ。

 心当たりはある。

 魔女の装いを触れるだけで消し、発動した魔法をも消していた。

 魔女殺しと呼ぶのなら、否応にも当てはまる。

 ただ、魔女となった未那同様、何故自分が魔法を無効化する体質なのか、分からなかった。

 確かなのは、その体質故に殺せと迫っている現実だ。

「そういうことかよ……」

 高遠なる男は未那が魔女なる人類の敵としか認識していない。

 魔女が死ねば誰もが悲しむどころか歓喜する。

 母親の千草は娘の存在がなかったことになっているため、その死に嘆くことはないだろう。

『五分やろう。その間、殺し方を考えればいい』

 高遠の選択に拒否は含まれていないようだ。

 なんであろうと殺せ。

 殺すべきだとその声音が力強く訴えかけてくる。

 三分ではなく五分なのは寛大さの現れだろうが迷惑だ。

「た、太一……」

 未那の全身は震え、歯の根が怖気で合わず鳴っている。


 考えろ。


 未那を殺させない。


 考えろ。


 仮に魔女を殺せる魔女殺しだとしても何故、人質を取り要求する。


「要求?」

 ふとこの言葉が太一にひっかかりを与えてきた。

 人質を取るのは交渉を有利に運ぶためだ。

 相手に頷くしかない状況を作り上げ利益を得る。

 交渉などアルバイト先で散々見てきたではないか。

 鑑定価格よりも高く売ろうとする者、安く買い叩こうとする者。

 本物か、偽物か。

 その際、太一はなにを見て、なにを聞いた、なにを感じた。

「そうか」

 解を見つけた。

 相手が人質や条件をつけるのは交渉の隙を埋めるためだ。

 不利となり逆転を阻止するためにかける保険だ。

『さて時間だ。如何様に魔女を殺すか返答を聞こうか』

 太一の選択は元から決まっていた。

 受話器を前に息を吸い込んではありったけの声で返す。

 中指を立てるのはただの蛇足いやがらせだ。

「返答? 魔女ママのオッパイでも吸ってろ、バ~カ! か、 あっかんべ~のべろべろべ~! か、お尻ペンペン! か、どれでも嫌な形で答えやるよ!」

 誰であろうと未那を殺させない。

 魔女だろうと望んで魔女となったわけではない。

 加えて魔女化を解く手がかりがある。

 これから起こりうる災害を未然に防ぐ手立てがある。

 確かに、即効性と確証のない解決策よりも安全確実な駆除方法を選ぶのは利口だろうが、賢明ではない。

 太極の境界修復など説いても、あの石頭には通じないのが目に見えていた。

『残念だが……』

 三人の身内を陥れる指示を出すだろうと、そうは問屋が卸さない。

 未那は殺さない。

 同時に三人に一切の手出しをさせない。


「父さんたちに手を出して見ろ! いますぐ魔女をお前たちのいる消防署に送り込むぞ!」


 高遠の言葉が喉を詰まらせるようにして停止した。

 予測したとおりだ。

 消防署にいると読んだのはOSGの設備が一通り揃っている施設がそこだけだからだ。

 長期の活動を見越しているならば接収して利用しない手はないはず。

 軍事用だろうと救助用だろうと基本骨子は同じ。

 そう学人から教わっていた。

「今、魔女は僕のせいで魔法が封じられ一切使えない。けれど僕の意志で魔法の封印を解除できる。警察の検問突破の映像は見たか? あれは僕の意志で魔法を使用させた結果だ! どうしてか原理はわからなかったけど、あんたのいう魔女殺しなら安心の納得だよ!」

 魔女の装いが消えるのもおそらく魔女殺したる力の一端だろう。

 魔法を無効化する能力があると相手が語ったことで交渉を覆す活路を見いだせた。

「あんたは一つミスを犯したよ! が魔女殺しなんて言わず、ただ家族を守りたいなら魔女を殺せとだけ要求すればよかったんだ! あんたは自分から切り札を捨て、に拾わせた!」

「きゃっ!」

 太一は未那の手を引いて立ち上がらせれば、背中から抱きしめる。

「魔法を封じられた魔女にできる抵抗なんて騒ぐかビンタ程度だ。おっぱい揉もうが乱暴しようが、魔法頼みの魔女だから抵抗らしい抵抗なんてできやしない! 華奢な身体を持つただの女だよ!」

「くっ!」

 未那の喉から下腹部にと、右人差し指を撫で下ろす姿を太一は高遠に見せつける。

「ああ、送り込むなら避難所でもいいな。守るべき対象の民間人が魔女の手にかかったら対魔女部隊の名折れだ」

 効果は抜群だ。

 受話器越しに高遠から苦虫を噛み潰したような唸る声がする。

「余興として、魔女の痴態を動画投稿サイトで生配信するのもいいな。魔女を操る魔女殺しってタイトルで配信すれば、再生数と広告収入でウハウハだ!」

『それはやめろ! 戦争を起こす気か!』

 高遠の声の質が緊迫に染まる。

「戦争? 戦争ならもう始まってる! あんたと俺の戦争ケンカが!」

『い、いいか、よく聞け、よく聞くんだ!』

 高遠から焦燥が滲み出だしたのを太一は見逃さない。

『きみが魔女殺しだと喧伝すれば、世界――各国はきみを巡って戦争を起こす。それでは過去の過ちを繰り返すだけだ!』

「なんで俺が金メダルみたいな景品になるんだよ?」

『……これは特S級機密事項であるが、魔女殺しであるきみだからこそ伝えねばならない』

 まるで腹に巻かれた爆弾がいつ爆発するのか、緊張と恐怖が入り混じっている。

『戦争は魔女が起こす。間違っていない。だが、真実は、魔女への抑止力として各国家が魔女殺しを確保するために起こすのが戦争だ』

 戦争とは魔女が起こすのではなく、国家間の武力による交渉手段だった。

 欲しい資源、領土、多様性が生んだ思想、宗教、利権、矜持……そして魔女殺し。

 いるから寄こせ、必要だから寄こさない。

 そこに当人の人権などありはしない。

 魔女が怒りや憎しみを増幅させているわけでもない。

 ただ必要だからこそ国家は求め、戦争たる交渉手段で手に入れんとする。

 戦争を起こす理由など、大義名分たる建前を作りさえすれば問題なく、幾多の人命が失われようと、魔女のせいとして誰もが納得してしまう。

「俺は核兵器扱いかよ」

 歴史で核の抑止力を学んだわけだが、自分自身がその手の兵器に比類する扱いになっていたことに吐息すら出ない。

 だが、理解はできる。

「魔女災害のない国はないからな、そりゃ国を守るために一家に一台ならぬ……うんうん!」

『その通りだ。過去、隣国に魔女殺しの存在を確認するなり手に入れんと侵攻し、結果として両国は焦土となって共倒れだ。それは一度や二度ではない。国は魔女殺しを求めて戦争を起こす。だからこそ過ちを繰り返さぬために国連主導で魔女殺しを保護し、戦争を未然に防ぐ責務があるのだ』

 保護ではなく確保の間違いであろう。

 過去に起こった戦争を鑑みれば、国連が正しく機能しているかは怪しいもの。

 仮に魔女殺しを国連預かりにして戦争を防いだとしても、今度は常任理事国同士で取り合う結末が安易に見えていた。

『当然のこと、魔女殺しは人であるからこそ人道的な扱いが義務付けられる』

 家族を人質にとった輩が人道を語るなど、頭の中には正義のオガクズが詰まっているようだ。

「……ふむ」

 高遠なる人間は優秀な分類に入るのだろう。

 けれども、完璧故に必ずや穴がある。

 完璧を突く不意から守る余裕の隙間だろうと、お陰で幾ばくかの知らぬ情報を太一は知りえることができた。

「勝手に救国の英雄に祭り上げられるのは面倒だ」

 勇者たる職業はゲームの世界だけで充分だ。

 職業は魔女を殺す英雄です、とスーツ姿で名刺交換する姿など想像したくない。

「だから、返答を聞こうか! 戦争の原因云々は今この場で語ることじゃない! 今あんたが選ぶのは二つ!」

 未那の全身を弄りながら太一は迫る。

「三人から手を引くか、今すぐ魔女の手でやられるか――選べ!」

 冷静であった高遠の声音は苦々しく歪んでおり、あたかも剥がれたメッキを連想させた。

「一〇秒やる、選べ!」

 分単位の猶予は与えない。

 交渉とは攻める時に攻めるものだ。

<レンカ>で見聞きしてきた太一は果敢に攻めた。

『くっ……っ!』

 押し殺した声の後、通話は切れる。

 逃げた、と直感する。

 同時に窮地極まったからこそ、新たに時間を置くことで別なる人質作戦に出るのだと予測した。

「太一、お、お母さんは、おじさん、たちは……!」

「大丈夫。あのおっさんのことだ。下手なことはしないはずだよ」

 不安に震える未那を太一は優しく抱きしめながら諭す。

 高遠の交渉で見えてきた事実。

 魔女が現れし地に必ず現れる魔女を殺せる男。

 引き出した情報からして、国連や<M.M.>に魔女殺しが所属していないと読んで間違いないだろう。

 もし属しているならば当の昔に魔女の切り札として派遣しているはずだ。

「だから今は急ごう。もう位置はばれているし、なによりどうして相手が手を出さないのか理由が見えた」

 太一が魔女殺しだからこそ魔女を殺す作戦を展開しない。

 優衣のOSG襲撃を踏まえて、作戦に巻き込まれて魔女殺しが失われるのを<M.M.>は是が非でも避けたいからだ。

 故に自発的に協力を取り付ける人質作戦を展開した。

「行こう、ってとと!」

 先へ進もうとする太一だが未那がその手を掴んできた。

 未那の全身は寒さに晒されたかのように震え、その目は不安と恐怖に染まっている。

 誰だって不安を抱く。

 身内の安否が確認できぬならなおさらだ。

 だからこそ太一は未那と向き合えば言った。

「僕は未那に死んでなんて欲しくない」

 嘘偽りのないたった一つの真実だから。


 太一は未那がどんな女の子か知っている。

 立ち上がるだけの強さがあり、一つの目的に向かって努力を重ねていく。

 相手とぶつかるのも本気だからだ。

 ぶつかる相手も本気だから衝突する。

 ただ気が強くて、でも時に弱くて、それが未那という一人の女の子なのだ。


「だったら、太一も、や、約束してよ、死なないって、家に帰ったらまた私のご飯作って、お風呂あがったから足マッサージして、それから、それから……」

 握った手から震えが鎮まっていく。

 入れ替わるようにその手に温かな熱が伝わってくる。

「ず、ずっと私のためだけに生きなさいよ! 魔女とか魔女殺しとか関係なくさ――私のために死になさいよね!」

 一生側にいなさいという未那のプロポーズだった。

 いくら大人しめで草食系だと揶揄される太一だが、やはり決める時は決めたくとも、まさか女に先手を打たれるのはどこか男として格好がつかない。

「うん、いいよ」

 だとしても断る理由もない。

 惚れた張ったは二の次だ。

 自覚などないが、ただ単に未那と一緒なら、なんだかわからないが安心する。

 これからもどうにかなる。

 どうにかできる。

 そんな可能性を抱かせた。

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