第6話 男のワガママ 女のワガママ

「あっ、んっ……そ、そこは! ちょ、そこ、さわら、ないっ!」

 室内に未那の声が色を帯びて響く。

 今、うつ伏せとなった身体を太一の手がくまなく蹂躙している。

 硬いところから柔らかいところへと手は隅々まで伸び、その度に未那から堪えようのない色声を出させていた。

「んっ、ああああああああっ!」

 足先から脳天を貫く衝撃に未那は身体をのけぞらせて今までにない色ある声を漏らす。

「だあああ、もう、マッサージするだけで毎回毎回変な声あげないで!」

「んっ~だってさ、太一のマッサージ気持ちいいんだも~ん」

 ほのかに漂う女の色香は太一の理性をまたしても蕩けさせる。

 未那は左足を重心としていることから負担が片側にかかりやすい。

 筋肉の負担を緩和するために太一は夜毎マッサージを施していた。

 全身を揉みほぐしているが卑猥さなど一切抱いていない。

 未那の足のためである。

 そう善意である。

 エロスのエなどまったくない。

 未那と保護者、双方の同意を得ているため問題はなかった。

「左足がちょっとこわばっているね。バシバシ叩きつけた影響かな?」

 未那の太股を付け根から揉みほぐす中、左右の足にある手術跡に注視する。

 一時期、医者からは二度と歩けないと宣告された。

 けれども未那は成功率の低い手術を二度もくぐり抜け、リハビリを繰り返すことで松葉杖であろうと歩けるようになる。

 医者の目からすれば奇跡に近く、このままリハビリを続ければ二十歳までには歩けるようになる可能性があると通達を受けた。

「はい、もしも~し♪」

 未那はスマートフォンが鳴り響くなり、着信者を確かめることなく右手で操作していた。

『夜分遅くに失礼致します。こんばんは、舞浜瑠璃です』

「こんばんは、瑠璃。どうしたの?」

 通話に入ったためマッサージの手を止めようとした太一だが、未那から左手で続けるよう催促のジェスチャーを受ける。

 戸惑うも通話しながら向けられる不満げな顔にマッサージを続行した。

『お昼頃に話していた件の本です』

「ああん、あの本ね。んっ、くっ~」

『祖父の書斎を漁ってみたところ、翻訳版がありました』

 瑠璃は父方の祖父と二人暮らしだと以前、未那を介して聞いたのを太一は思い出す。

 両親は健在だが太一の両親と同じように海外主張が多く、会えるのは半年に一度くらいだそうだ。

「本当に!」

『ええ、ですけど、申し訳ないのですが、貸すのはちょっと待ってもらえませんか?』

「都合でも悪いの?」

『祖父も未那さんになら貸しても良いと仰ったのですけど、実は明日からの三日間、両親が休暇を揃って取って帰ってくるみたいなんです』

「ああん、それは、し、仕方ないわね。いつでもいいいん、あ~そこそこ、楽しんで、ん~いいわ~」

 声が漏れぬようそこそこの力加減でマッサージを続ける太一だが、未那が意図的に上げる色気ある声に手を何度も止めかける。

『今、何をしているのですか?』

 通話モードが未那の手によりオープンとなる。

 意図的だと気づかぬ太一ではなく、マッサージの手を止めかけるも続けるよう強かな視線が停止を許さない。

「あ~ん、気にしなくていいわよ~毎晩の日課だから~きゅ~ん」

『乗っているんですか? 乗られて、いえ、未那さんのことですから篝さんを張り倒して押し倒して乗っている、が正解なんですね』

 端末越しの瑠璃の声音は色気に困惑するのではなく呆れときた。

 流石は未那の友達。

 たかだか通話越しの喘ぎ声に一抹の揺らぎすらない。

「そこまで私は飢えてないわよ。というか何で太一がいるって分かるのよ?」

『この前、篝さんに性的ではない健全なマッサージを毎晩受けていると意気揚々に語っていたのはどこのどなたですか? もしかして立つに立たない進まぬ男に濡らしていると私に思わせたかったのでしょうか?』

「好き放題に言うわね、あんたは~」

『同じ女から女の喘ぎ声を聞かされる身にもなってください。それなら男のオ(ピー)でも目の前で見たほうが何倍もマシです』

「ぶっ、あ、あんたは!」

 未那に続いて太一も吹き出してしまった。

『篝さん~聞こえていますか~そのまま脚だけじゃなく未那さんのおっぱいとその先端をこねくり回すようにマッサ……――ブチ! ツーツー!』

「おやすみっ!」

 通話を即遮断した未那はフリック入力で素早く<おやすみ!>とのショートメールを送信していた。

「太一! 私の乳首をマッサージしようならば蹴り飛ばすからね!」

 動く左足をバシバシと、鞭のようにベッドに叩きつける未那は鬼のような形相で有無を言わさぬYESを迫ってきた。

「しない。しませんよ」

 眼力で人が殺せる迫力に気圧された太一は両手を上げて降参するしかなかった。

「だったら脚のマッサージ! 手を離さないし緩めない!」


「あ~もう最高にハイだわ。本当に」

 マッサージを終えた未那は力なく布団の上に仰向けとなる。

 胸がほのかに上下しており、はずれた上ボタンから覗く乳の谷間が男をそびえたたせんと刺激するから困りものだ。

「太一~寝るから電気消して~」

 ベッドにあがる気など毛頭ないのは百も承知。

 太一は諦め気味に言われたとおりにする。

 仮にベッドへ抱え上げても身体を転がして布団にリターンするだろう。

 カーテンの隙間より街灯が差し込み、太一は薄暗くとも慣れた手つきで布団に入り込む。

「うふふ、こうして一緒に並んで寝るのって小さい頃みたいね」

「三日前もご機嫌斜めだから一緒に寝なさいとか言って寝たのは誰よ?」

「し~ら~な~い~記憶にございませ~ん」

 問答を重ねるだけ無駄だろう。

 未那の足が自由だろうと不自由であろうと、女に頼られるのは男冥利に尽きる。

 何より女のワガママを受け入れるのが男のワガママなのだ。

「もう寝るよ。明日もバイトだから」

「……残念」

 少女の少々落胆する声が暗闇の中に響き、安らかな寝息がすぐそばで聞こえてきた。

「相変わらず寝付きはいい」

 薄暗い中、少女の健やかな寝顔が確かにあった。


 遠くでまたしてもサイレンの音が木霊した。


 太一のヘタレ、甲斐性なし、童貞!

 何度憎たらしく思ったか、今宵もうまく理由をつけて部屋まで引き込んだがあっさり寝入っている。

 寝たふりで誤魔化して、後はまな板の上の鯉と行く計画を企むも押しが足りないのもあるが、この男は手を出そうとしない。

 半身を起こした未那は、はぁ~と軽いため息。

 先へと進展せぬならば、強固な手段を使うしかないだろう。

「でもね、力任せにしても右足の動かない私には分が悪い」

 例え両足が自由だとしても結果は変わらないだろう。

「自信がないんだよね、太一は……」

 顔や性格、学力も未那からして合格点なのに自信は及第点すら至らない。

 成績は確かに未那より下だが順位的に言えば一つ低い程度。

 自信がないため、目標を定められず、未来のプランが組み立てられない。

 それが自己評価の低さに繋がっている。

 幼き頃は公務員になって出張のない安定した生活を送ると意気揚々に語っていた。

 今では特定の夢を持たず、ただ学業と家事、そしてアルバイトの日々ときた。

 ニートよりはマシだろうとしても惚れた男が頼りないのは心許ない。

「あんたのことだし気づいているんだろうけど、私が魔女史学を学びたいのもお父さんのようになりたいからなのよ」

 一〇年前のあの日、未那は燃え盛る炎の中、太一に背負われ、父親の指揮する救助隊に助け出された。

 亡き父は陣頭指揮を取り、数多くの人たちを魔女の炎から救い出す。

 あの姿に憧れた。

 自分も父親のようになりたいと願った。

「この足じゃまともに動くことなんてできない。でも身体はダメでも頭はある。私は過去の歴史を紐解いて魔女災害がどうして起こるか突き止めたい。突き止めることができればあんな災害、未然に防ぐことができると思うの」

 父親が行動にて人々を救うように、娘は積み重ねられた歴史を紐解くことで人々を救いたい目的があった。

 何より諦めない気概を教えてくれたのは隣にて眠る太一だ。

 身体がどうであろうと、状況が最悪だろうと諦めることはない。

 そこに惚れた。そこに男を見た。

 同時に今なお目標を決められぬ姿に苛立ちもした。

「まったく、人の苦労を知っていながらよくもまあそんな寝顔ができるわよね」

 アルバイトでの疲れが溜まっているのだろう。

 仕事内容は接客と掃除と聞いているが詳細は語らない。

 仕事の話をすれば自然と浮き沈みの内容となり子供に悪影響を及ぼすという親の教育の賜物であった。

「今日もありがとう」

 アルバイトをしながら家事に、未那のマッサージと一人でこなす姿は感謝しても感謝し足りない。

 お礼として、ねっとり貪るキスでもしてやろうかと悪戯心が芽生えてしまうも、まだその時ではない。

「だから失望はしてないわよ?」

 劣等感や焦りを抱いているのは承知の上だろうと太一ならば必ずや目標を見つけ出せる。

 信じられるのは目標を探すという歩みを止めていないからだ。

 歩みを止めれば世界は狭くなる。

 歩み続ければ世界は――可能性は広がり続ける。

 急ぎ走りながら探そうと必ずや見落とすだろう。

 だからこそ歩くような速さでゆっくりと探し出せばいい。

「期待しているからね♪」

 未那は微笑みながら太一の鼻っ柱を指先で弾いた。

 頬にキスは太一が成長してから。

 さらにその先は太一が目標を達成した時に。


 可能性も未来もこれからなのだ。

 そう、これからなのだ――


 そうよね……、よね――

 は、ほの暗き天の奥底からほくそ笑んだ。

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