月曜日「ウィークエンドロンド」2
四階の北西にその部屋があった。
突き当たりには音楽室があり、今は吹奏楽団が練習をしている。
右横は合唱部の練習場所らしい。
ピアノの音に複数の声が音程を合わせている。
「やっぱり、僕は遠慮しておこうかな」
横にいるポチが文句を垂れている。
ドアの上に申し訳程度につけられた表札らしきものがこの部屋が何であるかを告げている。
ドア前の廊下には机が一台あり、その上には投票箱のようなハガキほどの大きさの紙を入れるスリットが空いた箱が置かれていた。
「どうせ他に入る部活ないんでしょ?」
「いやだから帰宅部でいいし。藤元さんこそどうして? もっと他に部活はあると思うんだけど」
「ふふ、理由は秘密」
「ずるいなあ」
「仮入部の間だけでもいいんだから」
「はいはい」
「おじゃまします」
人を拒むようなたてつけの悪いドアをがたごとと引く。
表札には『執行部』と案外に小さく書かれていた。
執行部の部室は通常の教室を半分にしたくらいの広さで、ドアを開けてすぐ右側にロッカーが四台並べられている。
構造的にロッカーの向こう側にも空間があるはずだ。
私から見える範囲では三人の男女がいた。
一人は右手奥の窓側でイスの背もたれに全身を預け、仰け反っているショートカットの女の子。
脱ぎ捨てられた青いラインの上履きが横に転がっている。
もう一人は坊主頭の男の子で左奥で腕組みをして座っている。
ちらりと視線を送っただけでまた窓に向き直ってしまった。
「あの、すみません」
一番手前にいる女の子に話しかける。
パソコンの前に座って、左側に置いた紙を見ながらぱたぱたと器用に両手人差し指だけで妙に湾曲したキーボードを叩いている。
髪の先端が腰にかかろうかというほど長く、横顔はほとんど隠れていた。
「ありがとうございます。何部ですか? 申請書はそこに置いてください」
こちらを見ることなく、人差し指を立てたままの右手でパソコンの横にある茶色の箱を指さす。
「いえ、あの、ちがくて」
「今忙しいので部費申請書でなければ後にしていただけますか」
門前払いをした彼女は踵のつぶれた赤ラインの上履きを履いていた。
「うん?」
彼女の指が止まり、眉間に皺を寄せ険しい表情になる。
いくつか慎重にキーを押し、それからでたらめに叩き始めた。
画面を遠目に見ると、彼女の指の動きに合わせて表示されているものはなさそうだ。
どうやらパソコンにトラブルが起こっているらしい。
「あの」
「あ、ひゃあ」
いつの間にか移動していたポチに真後ろから声をかけられ、彼女が肩をびくつかせる。
「直し方、たぶんわかります」
「え、本当ですか?」
「そのキーボード、プラグアンドプレイじゃなくて専用のソフトで管理していて、その管理しているソフトウェアの設定が不定期で勝手に変わるバグがあるんです」
ポチが呪文のような言葉を吐く。
「貸していただければ」
「あ、え、はい」
彼女が席を立つ間もなく、ポチは肩越しに右手を伸ばし彼女に重なるように作業を始めた。
近い近い。
そのせいか彼女は極限まで縮こまっている。
顎がつくのではと思うほどうつむき、胸の前で両肘を合わせていた。
一方のポチは全く気にしていないようで、マウスを右手で握ると、ポチポチとボタンを押していく。
ペコンペコンと画面が開いたり閉じたりする音だけが鳴っていた。
「できました。応急処置ですけど、とりあえずは打てます」
ポチが彼女、もといパソコンから離れる。
「ありがとうございます……。あ、あれ、ところで、どなたですか?」
それまで全く相手にしてくれなかった彼女が、潤んだ瞳でポチを眺める。
「あ、え、えーと」
ポチも意表をつかれたのか、そもそもの目的を忘れてしまったのかぼけっとしている。
「あの、入部希望なんです、二人とも」
ポチの代わりに私が答える。
僕はちがうけど、と口だけでポチが呟いたような気がする。
「え、入部ですか? どうしましょう?」
黒髪の彼女が救いを求めるように窓側の二人に視線を送る。
だらりとしている女の子が天井を見つめたまま言う。
「いーんじゃなーい? くーちゃん、とりあえず打ち込み手伝ってもらえば」
机の端には十五センチはあろうかという紙束が、あと四つほど置かれていた。
「いや、待ってくれ」
今まで黙っていた坊主頭の彼が、静かに目を瞑ったまま姿勢も変えずに声を出した。
両足をそろえるように前後に振り、その反動ですたんと立ち上がる。
百八十センチはあるだろう。
「うちの案件、手伝ってもらおうかな。最近うちの縄張りを荒らしまくっている例の件だ」
不敵な笑み、という表現が似合う。
「よし、決まったな」
誰も何も言わないのを了承と受け取った彼が晴れやかな声で言った。
「奥のイスに腰をかけて待ちたまえ。そこの女史が説明してくれる。ついでに執行部の説明も受けるのがよいだろう」
「わかりました」
パソコンの彼女がすくっと一切無駄のない最小限度の動きで立ち上がり、じっと私たちを見る。
思っていたとおり、背はかなり小さい。
小学生でも通るかもしれない。
彼女の頭が私の肩の少し上くらいなのだから、百四十センチ台だ。
日本人形のような面立ちで、あまりに黒目が大きすぎて瞳の奥に吸われてしまいそうだった。
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