火曜日「A sleeping spitz」1
『概要
調べてください
詳細
最近、学校内でお化けが出るという噂を知っていますか?
私のクラスメイトも、先月、音楽室で見たと言っています。
それは、長い髪の女の人だったみたいです。
今月、他の場所でそれっぽいものを見たという先輩がいます。
七時過ぎの放課後に出ることが多いらしいです。
以前からときどき出る、と卒業生も言っています。
ただの七不思議だとは思えません。
どうか調べてください 』
私はバスに乗り静かに揺られている。
後方の左の席が個人的な指定席だ。
この丸文字で書かれた八行をもとに報告書を書かなければいけない。
文面を読む限り投書をした生徒が直接幽霊を見たわけでもないようだ。
これで何を調べればいいのだろうか。
たぶん筆跡から考えて女子生徒だと思うけど彼女がそれで困っているとも書かれていない。
これでは、執行部内でいたずら扱いされるのも仕方がない。
彼女は七不思議とは違う、と書いているがその根拠も文面にはなく、傍目から見れば学校の怪談、七不思議そのものだ。
これだけでは考えるべきこともない。
それはポチもきっと同じはずだ。
昼休みには執行部が把握している目撃者と会わなければいけない。
ケータイを開いてみたが特に連絡は来ていない。
一つの可能性が浮かんだがそれは教室に行ってから確認をすればいいだけなので、今は考えないし行動にも移さない。
今流れているQQLの曲は「A sleeping spitz」だ。
跳ねるような、でもあまり騒がしくはないピアノに乗せて、かわいらしく、自分の側で寝そべっている犬を歌っている。
QQLはネットを中心に活動をしているアーティストで、正式名称は、Quarter Quasi-Lovers、直訳で「二十五セントの恋人ごっこ」という。
作曲担当のユーリと詩と歌を担当するナルの二人組みのユニットで、音楽のジャンルでいえばポップスとエレクトロニカの中間に当たる。
お祭りで食べるりんご飴のような、甘味でコーティングされてはいるけれど中心部はちょっと酸っぱい、楽しいけど悲しいような、不思議な気分にさせてくれるそんな音楽だ。
活動は、毎週木曜のネットラジオと、公式サイト上での楽曲のダウンロードだけ。
カラフルにちらばる音に砂糖菓子のようなメロディ、合間に練りこまれたビターチョコレートの歌詞、なめらかなカスタードプディングの歌声、そこには女の子としての理想がある、とさえ思えた。
左手に海が見える。
波が高く、白さが際立っていた。
東京にいたころは、海に入ったことがなかった。
潮干狩りには一度だけ家族で行ったことがあったように思う。
でもそれは事実か自信がない。
テレビで観た風景に自分を重ねているだけかもしれない。
イメージはできても海で泳ぎたいとは思わない。
海草がまとわりついて、しだいに沈んでいく結末が見える。
こういうときに悲観的になる癖はいつかどうにかしたい。
取り越し苦労に終わるはずなのにいつも悪いことばかりを考えてしまう。
夏が来て天気が良い日が来たら家から歩いてすぐの砂浜に行ってみようか。
思うほどに何も起こらないはずだ。
知らないことを知っていることに。
一つずつ潰して、時間切れを待つ。
蛇行して、蓄積して、ろ過され、思い出は上澄みだけが残る。
ターミナルに着きたくさんの高校生とともにバスを降りた。
私の通っている学校はバスターミナルのすぐそばにある四階建ての建物だ。
正門を通り二十メートルほど歩いて玄関に向かう。
玄関を入ると、まず学年ごとに分けられた下駄箱がある。
下駄箱には鍵はおろか蓋さえないので防犯能力もなければましてやラブレターを入れることも叶わない。
校舎は左右に広がっていて、奥行きはそれほどない。
凸のような形で、突端が玄関になっている。
本来的には二棟なのかもしれない。
正面玄関が北側にあるので北棟と南棟と呼ぶのがよいだろうか。
一年生の教室は二階、二年生は三階、三年生が四階、と割り振られている。
階段は横幅の広い中央階段と、東西に若干狭いが階段がある。
エレベータはない。
正門から左、東階段を上がり、右に見える二階の南側が私のクラスだ。
教室は三つあり、右から六組、七組、自習室となる。
私は真ん中の七組のドアを引いて入る。
ポチはすでに教室にいて、相変わらず本を読んでいた。
「おはようポチ」
「おはよう」
「読んだ?」
私はポチの後ろの席に座る。
窓側前から四番目だ。
窓からはグラウンドと、その先には道路を挟んで砂浜が広がっている。
ビーチというには殺風景すぎる光景だ。
学校を抜け出して浜まで遊びに行く生徒もいるらしい。
「投書なら読んだ」
「これじゃあヒントにもならないよね」
「そうでもない」
同意するかと思ったポチは、背中からでもわかるほど適当に異議を出す。
「投書の人物が実在するとして」
「実在?」
「単なる場合分けの枕詞だよ。投書の人物はクラスメイトに吹奏楽団員がいる二年生」
「どうして二年生?」
「先輩がいて先月の三月にクラスメイトが遭遇したんだ。じゃあ今二年生じゃないか。留年していなければ」
「ああ、そっか」
連立方程式みたいなものか。
条件がそろえば、必然的に学年は中間の二年生に絞られる。
「だからといって、別にたいした意味はない。どこのクラスにもブラスバンドはいるし、二年生の女子だけでも、百人以上はいるわけだから」
うちの高校の吹奏楽団は規模だけならどの部局よりも多く、七十人近いと聞いている。
「逆に言えば、彼女がブラスバンドに入っている確率は低い。自分が入っているならクラスメイトとは表現しないだろう。卒業生に知り合いがいるかは僕らにはわかりっこない」
「投書の人物を探しても意味はない?」
「気にはなる。あまり使われていないという執行部の意見箱を使った理由と、調べた結果どうして欲しいのかが投書には書かれていないという点が、不明確だ」
ポチの言うとおりだ。
私は、投書の内容にこそ注意をしていたが、問題になるとすればそこにある。
彼女は調べてくださいとは書いたが、解決してくださいとは書いていない。
「解決できないことがわかっていて、調査を依頼している、っていうこと?」
「断言はできない。でも、ただの傍観者には、思えない」
右手の指で、下唇をつまむような仕草。
「ポチ、それで、目撃者の話だけど」
「あれ? メール来てない?」
「私のところには」
「あ、じゃあ、僕だけか」
やっぱり。
「柏木さんから、メールが来ていたんだ」
「うん。同じ内容を送っているかと思ってた」
それは、柏木さんにとってポチがメインに見えたからだよ、とは死んでも言わない。
なんとなく、乙女心のなせるわざ、という言葉が浮かんだがその意味は私にもわからない。
「ブラスの二年生が目撃者だ。お昼休みに時間を取ってくれた」
画面を見せようとはせずに、ケータイのメールを簡略化して読み上げている。
「じゃあ、あの投書の?」
音楽室で見たクラスメイトとは、その人のことではないのだろうか。
「かもごぎゃっ!」
意図的には出せそうもない悲鳴をポチが上げる。
数学の分厚い参考書がポチの頭に悠然と刺さっている。
これでキレないのだから、彼の性格が仏並みか、あるいは被虐趣味であることがうかがえるというものだ。
その参考書を持つ手をたどり、黒フレームのメガネを通して鋭い瞳を光らせている女の子を見る。
「芹菜、なんてことを……」
恨めしげに涙目で正面に立つ彼女をポチが見ている。
対する彼女は、一つにまとめた髪すらも微動だにせず冷徹にポチを見下していた。
「アンケート、締め切りいつだっけ?」
「アンケート? ぎゃわっ」
再び刺さる参考書。
「いつだっけ?」
「ちょっとまって、頭を叩くと脳細胞が死滅していくわけで思い出せるものもがあっ」
「思い出す? 忘れてる?」
「いやいや、舌がぬるっと滑っただけ、ちゃんと覚えてるよ」
何とか取り繕ってももはや後の祭りだ。
じっとりとした視線をポチに送っている彼女は、クラス委員を務める紫桐さんだ。
見た目、言動、どれを取ってもクラス委員をやるためにいるといっても過言ではない、と満場一致でクラス委員となった。
クラスをまとめる力は申し分ない。
問題があるとすれば少しだけ他人にも自分にも厳しいというだけだ。
もっとも参考書で叩く相手は幼馴染であるポチくらいなものだ。
参考書を持つ右手は、位置を確かめるように、ゆらりゆらりと上下運動をしている。
それを見かねて、私が小声でアドバイスをする。
「入学式後に配った生徒総会のアンケート、締め切りは先週の金曜」
「あーあれか、おもい……じゃなかった、あるよあるよ」
ごそごそと机の中に手を入れ、四つ折になった紙を取り出す。
「はい、出すの忘れてた、ごめん」
「出せばいいのよ、最初から」
白紙のアンケート用紙を参考書の上で受け取ると、彼女は去っていった。
ふー、とポチが長いため息をつく。
「仲が良いのね」
「これが仲良く見えるんだったら戦争は起こらないよ。人類皆兄弟だ」
ポチは脳細胞の死を悔やむように、頭をさすりながらぽつりと呟いていた。
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