土曜日「万能ガールは恋をする」

土曜日「万能ガールは恋をする」1



「久し振りだな。ここに来るのも小学校以来かも」

「実は、私は初めて」

「こんな近くなのに」

「海って、苦手なのよ。なんだか、波があって、暗くて生きているみたい」

「ああ、それはわかる。昔、ここで溺れかけたこともあるし」


 土曜日午前十時を少し過ぎたころ、私と彼は浜辺にいた。

 私の家からちょっと歩いたところにある、急で古い階段を下りた先にある浜辺だ。

 彼の家からも歩いて行ける範囲にある。

 三日月にくりぬかれたような形で、端から端まで歩いても十分とかからない。

 周囲は崖に囲まれていて、端では崖の一部が落ちてきたのかゴロゴロと大きな岩が転がっている。

 消波ブロックが幾何学的に積まれていて、押し寄せる波を穏やかにしていた。

 

 夏場は一時期遊泳場所になるらしいが、四月の終わりに入れるほど北海道の海は甘くない。

 

 二人とも制服を着ている。

 なぜなら、これから二人には行く場所があるからだ。

 

 どちらが最初にメールをしたのかはともかく、示し合わせて私たちはここにいた。

 

 潮風を浴びてみるのも悪くない気分だったし、それは彼も同じはずだ。

 

「昨日は、ありがとう。ちゃんと、聞いていたのに」

「いいって、そんな大仰なことじゃないよ」


 私の謝罪に、重ねて手を振る。

 

「そうだね、今度パフェでもおごってくれればいいよ」


 前に言った言葉をそのまま返す。

 

「それくらいなら」


 私も彼が言ったように返す。

 

「杏さん」

「昨日は、呼び捨てだったんじゃない?」

「ううーん。……わかったよ、杏」

「なあに? ユート?」

「……なんだか不意打ちだなあ」


 私の呼び捨てに目を丸くしている。

 それは本気で恥ずかしがっているようにも見えるし、演技のようにも見える。

 つまり、いつもの彼らしい仕草だ。

 

「知ってた? 女の子って、そういうものなのよ。覚えておいて損はないわ」

「肝に銘じておくよ」


 彼が両手を挙げる。

 

「さっそくだけど、話の続きをしようか」

「いやよ、もう少し遊びましょう? 時間がないわけでもないんでしょ?」


 私たちは、午後過ぎに学校に行くことになっている。

 それまでは自由行動、二人で話ができればいいだけで場所にこだわりなんてなかった。

 

「頼むよ、杏。あんまり困らせないで」

「いーえ、これからいっぱい困らせるつもり。少なくともあと三年はね。なんでもいいから話をしてよ」

「嫌な宣言だな。うーん、そうだな」


 迷っている振りをして彼はふらふらと足下を見ながら歩く。

 スニーカーのつま先で、数度砂を蹴ったあと崖の先を見た。

 

「崖のあの部分」


 彼に合わせて私も視線を動かす。

 

「ああ、あの顔っぽいやつ?」


 崖の一部が風化して削れてしまって人の横顔のように見える。

 筋の通った鼻と厚ぼったい唇があり、眼孔がえぐれている。

 頭と思しきところには植物が生えて青々としていた。

 

「ああ、なんてことだ」


 私の言葉に深いため息を漏らす。

 

「あそこのところ、顔っぽいな、って小さい頃から思っていたんだよね。昔はもっと顔っぽかった。でも、誰もそんなことないって言うんだよ」

「いや、あれは顔でしょ」

「そうだよ、そうなんだよ、あれ顔なんだよ。ああ、わかってくれる人がついに現れた」


 嬉しそうにはしゃぐ彼は、もう昨日の心配そうな顔じゃなかった。

 

「なにを大袈裟に」

「そんなことはない。もしかしたら、あのまま、僕だけに何かを伝えようとしたまま、ゆっくりと長い時間をかけて崩れていったらどうしよう、そう思うだけで怖かった」

「まあ、いいんならいいけど」


 楽しそうに、笑っている。

 

「ねえ」

「ん?」


 くるりと満面の笑顔で振り返る。

 そういう顔だと、余計に聞きにくいものだけど。

 

「一ノ瀬先輩とはどういう関係?」


 彼はストレッチかと思うほど首を傾げたあと、表情を崩さずに返す。

 

「それには答えない、と言ったつもりだけど」

「教えてほしいの」

「どうして? 単なる好奇心なら止めておいた方がいい」


 優しく、それでも強く、彼がこちらを見る。

 

「僕は前に言ったよね。その好奇心は、いつか命取りになるかもしれないよ」

「そうかもしれない。私だって痛い目を見たから、それくらいはわかる」

「じゃあ、どうして」

「でも」

「でも?」


 続きの言葉は浮かんでいる。

 あとは言うべきかの勇気だけだ。

 その勇気が、あるのか。

 なぜならこれは私にとって、私自身についてのかなり致命的な言葉にも思えるからだ。

 

 じっくりと彼の顔を見て、彼が返答を待っているのを感じる。

 潮風が乾いた口を湿らす。

 口を滑らせるなら今しかない。

 気持ちを込めて、当たり前のように自然に、私は口を開く。

 

「私は、あなたのことを知りたい。他でもなく、あなたのことを。それで痛い思いをするなら、きっと、私は後悔しない」


 ふう、と息の音が聞こえる。

 それは私だったか彼だったか。

 

「それは、ずるい」


 苦笑いをして彼が昨日の私と同じ言葉を言い、「まあ、多少ならいいか」と了承をした。

 

「彼は僕の先輩だよ。ちょっとした付き合いがあるだけ」

「ちょっとした?」

「そう」


 一呼吸で返す。

 どこまでも曖昧な彼の答えを、今の私はただ受け止める。

 

「もうひとつだけ、いい?」

「なに?」

「紫桐さんは、友達?」

「うん。そして大事な幼馴染だ」


 彼はためらいもなく即答する。

 

「そうなんだ」


 私も、あっさりと、できるだけあっさりと見えるように返す。

 それを確認したからといって、今の何が変わるというものでもないけれど。

 小さなトゲはどこかで抜いておきたい。

 

 たぶん、それだけでしかない。

 

「そうなんだ」

「何で二回言った……。どう思っているか知らないけど」

「ううん、もう言わなくていい。それで、本題の話をしましょう」


 遮って、話を終わらせる。

 木曜日のことは私の中だけで閉じ込めておこう。

 

『私は、まだユウトのことが好きだから』

 聞こえないふりをした彼女の言葉が、ぐるぐるとリフレインする。

 それがいつか爆発するか、それともしぼんで消えるか、未来の私に託してしまっても今はまだ許される。

 

 誰の許し?

 もちろん、私の許しだ。

 

「わかったよ。まず、昨日のことだけど。会話しながら整理しよう、杏にも誰がやったのかわかっているんでしょ」

「相談しなかったことは謝るけれど、私は一ノ瀬先輩が犯人だと思ったの。だから話を聞きに行こうと思って」

「妥当なところかもしれない。でも、自分で言っておいてなんだけど、先輩には動機がないよ。彼は自分の利益にならないことはしないし、あるとしても完全に秘密裏に事を進めるタイプだから」

「先輩は私に対して、秘密を守ることはあっても嘘をつくことはなかった。今も騙されている、という可能性は捨て切れないけれど」

「いや、それはないと思う。少なくとも対価としての情報に嘘を混ぜるような人じゃない。だから一層やりにくいんだけど」

「でも、ヒントはくれた」

「なんて?」

「物事を考えるときは、集中してはいけない」


 集中すると、見失う。

 

 それが、先輩の言葉だ。

 それ以外の私に関わる問題は、すべて心の中に閉じ込める。

 

「そう、なるほど、それは先輩らしい」

「それで、私、火曜からのことを考え直したの」


 昨日の夜から今日にかけて、彼に会う直前まで検討をしていた。

 

 何度も浮かぶ否定的な意見を、先輩のヒントで差し止める。

 

「うん」

「怒らないで聞いてくれる?」

「うん」


 思考の逆流は飲み込む。

 ただそこにある事実から、必然だけを抽出して、それに感情を挟まない。

 彼がしているように、場合分けをし、それぞれを可能な限り潰していく。

 

 そうすると、ようやく、浮かび上がる結論。

 それも複数、重なり合って。

 

 うん、と心を決める。

 

 ときどきは大事な決断をしてもいい。

 呼吸を整えて胸をふくらませないように息を吸う。

 

「ユート、犯人はあなたね?」

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