木曜日「五分前は恋人だった僕ら」3
放課後、私たちは正門から学校を出て校舎と体育館を結ぶ渡り廊下にいた。
春休みに吹奏楽団がヘッドフォンをかけた人を、最近弓道部の月村さんの友達が影を、それぞれ見たという渡り廊下側の芝生へ行くことにした。
渡り廊下自体は十メートルにも満たない距離で、壁がなく雨だけは防げるようにアーチ状の屋根がついている。
ここまで作ったのなら壁も作ればいいのに、と入学式のときに思ったものだ。
禁止はされているものの廊下を土足で横断することも可能だ。
私たちも土足なのでなるべくコンクリートの廊下に土がつかないよう横断して芝生に出る。
廊下を背にして右手に見えるのが弓道場だ。
ここから中を見ることはできないし、体育で弓道はないので構造はわからない。
ここからグラウンドへ抜けることができそうだ。
左手に校舎がある。
四階の音楽室を見上げてみたものの、中が見えるような角度ではなかった。
小さな発見でもあればとダメ元で芝生に来てみたものの、それは簡単に見つかった。
足元の芝生をつま先で削ってみる。
そこにはわずかに白いものがあった。
「ポチ、なんだろう?」
「お前らか!」
その白い粉を摘もうとしたところで渡り廊下から声がした。
「二日間見張ってたかいがあったぞ! なんてことしてくれたんだ!」
廊下から上履きのままずかずかとこちらに来るのは大柄な男子生徒だ。
上履きの色は赤だから二年生だ。
どこかで聞いたことがある気がする、低く通る声だった。
「え? え?」
「誤魔化そうったってそうはいかないぞ!」
「待ってください。何のことですか?」
ポチが聞くよりも早く、相手はポチの襟首を掴む。
「落ち着いてください」
「何が落ち着いてだ! きっちり弁償してもらうからな!」
「何の話ですか?」
「だから誤魔化すなって。大体お前らなんなんだよ」
「僕らは、執行部です」
体格差で掴まれたポチの足が浮いている。
のどが押されているようで、声も苦しそうだ。
「ああ? 執行部?」
「は、い。杏さん、あの紙」
「え、ああ、うん」
宙に浮いたポチに促されてカバンからファイルに入っている紙を取り出し、両手に持って先輩に見せる。
一度私を睨みつけたあと、その紙を読みゆっくりとポチを降ろした。
柏木さんに月曜日にもらった執行部の調査活動中であることを示す紙だ。
説明によれば部室に入るときに使うものだけど、私たちが執行部であることを証明する手立てにはなる。
「なんだ、執行部か。何してるんだ」
「ちょっと調べものですよ。先輩こそどうしたんですか」
のどに手を当てて咳払いをしながら呼吸を整えている。
あとで私の飴を上げよう。
「すまないすまない。早とちりだ。俺は放送局の橘だ」
げほげほと咳き込んでいるポチに謝り、先輩が名前を告げる。
執行部であるだけで、先輩の怒りが逸れる。
先輩の態度で、執行部はある程度信頼されているらしいこともわかる。
「知っています、月水担当ですね。僕は城山口、彼女は藤元」
「ああ、聞いてるのか」
先輩が意外そうな顔で照れくさそうにする。
それで声に聞き覚えがある理由がわかった。
私たちの学校では昼休みに校内放送がある。
とはいえ、各委員会や部活動のお知らせとリクエストのあった曲を数曲流すくらいだ。
ほとんどの生徒がどうでもいいと思っているだろう。
ポチの言う通りなら、月曜日と水曜日を担当しているのが目の前の橘先輩なのだ。
「それで、どうしたんですか?」
「ああ、実はな、一昨日の夕方過ぎに、ここに立っていたんだが、いきなり上から白い粉が振ってきやがったんだよ。おかげで酷い目にあった」
腹立たしそうにこぶしを固くしている。
「粉?」
「ああ、白いってわかったのもちょっと経ってからだったが、本当酷いもんだぜ。グラウンドの照明で照らされてようやく確認できたくらいだ。誰かがいたずらしたんだなありゃ」
この粉はそのときの粉で、弓道部員が見たのは先輩だったのではないのか。
渡り廊下から芝生を見ればその先は右に野球部のグラウンド、左はサッカー部が使うグラウンドがある。
そのどちらも夕方以降は照明がついている。
先輩は照明を背負うわけだから逆光となって彼女には良く見えなかったのではないか。
そして、都合良く噂となっている幽霊と勘違いをした。
ポチを見る。
無言でうなずき、私の推理を肯定しているようだ。
「悲鳴のようなものを聞きました?」
「悲鳴? いや、聞いてないな。悲鳴を上げたかったのはこっちの方だったしな。しばらく何が起こったかわからなくて呆然としちまったぜ」
確認のために聞いてみたけれど先輩は声を聞いていない。
「だからここで待ち伏せしていたんだよ。ひょっとしたら、いたずらをした奴が粉を片づけに来るかもしれないからな。犯人は現場に戻るって言うだろ。そこへ丁度良くあんたたちが来たわけだ」
「そもそも、どうしてこんなところにいたんですか?」
「まーなんだな、話は長くなるが」
「大丈夫です」
「ぶっちゃけた話、校内放送って誰も聞いてないだろ。君は俺の名前どころか担当曜日まで知ってたけど、そんなの極少数だ」
「そんなこと……」
「いいっていいって、それくらいはわかってるさ」
否定しようとした私を制止して、先輩が手を振る。
「うちの局員も、校内放送を本気でやる気はないわけよ。放送局っていっても、ラジオドラマを作って大会に出たり、アナウンス大会に出たり、そういう競技的なものには結構力も入れるしそれなりに成果も出ているんだが、俺はそういうのはあんまりでもっと楽しんでやりたいわけよ。深夜放送のようなノリは無理だとしても、聞いてて楽しくなるようなラジオがやりたいと思っているんだ」
熱い想いを語る先輩。
「だからってわけじゃないが、まあ、ちょっとな。放課後に有志だけでも聞けるように、近距離だけ電波に乗せられないかな、と思って。使われていない機材もあったし、つい実験してみたくなってな。それで受信状況をいろいろ調べていたわけだ」
「それ、違法なんじゃないですか?」
「え、ああ、まあな、出力的にはグレーだけどな。だからこっそり試してたんだよ。二日前のことも誰にも言わなかったのもな。あ、報告書とやらには書かないでくれよな?」
ポチの疑問に、橘先輩が苦笑いをする。
「はい、関係のないことは極力書きません」
「そうかそうか、それは良かった」
「あ、一つお聞きしたいんですが、春休み中にも、同じようなことをしていましたか?」
「え? なんで知っているんだ?」
あからさまに驚いた顔をして、先輩が問い返す。
「ヘッドフォンをして?」
「ああ、二日前もしていたよ、だから周りの音が良く聞こえなかったんだ」
ポチがこちらを見る。
吹奏楽団の高橋先輩が言っていたヘッドフォンをしていた人というのは橘先輩のことだったのだ。
それに周りの音が聞こえなかったのだから、月村さんの友達が見て驚き悲鳴を上げたとしても、気が付かなかったのもおかしくはない。
「いやでも、そのときは別件だよ。緊急放送の点検ってことで、職員室から依頼されてやったんだよ。直接依頼したのは執行部だから何か手続き書は残ってると思うぜ」
先輩の言葉に嘘はないように聞こえる。
先輩にしてみれば自分は被害者だと思っているわけだし、そもそも嘘をつく理由もない。
「わかりました。ありがとうございます」
「じゃあな、もしついでに粉まいた犯人がわかったら教えてくれよ。締め上げてヘッドフォンの弁償させないとな」
先輩が立ち去る。
「まあ、現実ってそういうもんだね」
「幽霊扱いされちゃったしね」
先輩は見知らぬところで幽霊にされてしまったのだ。
告げはしなかったものの、言ったところで気分が良い話ではないだろう。
「この調子でいけばいいんだけどね」
「でも、吹き抜けのがあるし」
私達が見たものはただの勘違いではない。
想像しても今の先輩のような、いくつかの偶然が重なりあってあのような吹き抜けを渡る影が生まれるとも思えない。
「あ、杏さん」
「何? 何かまた見つけた?」
ケータイを見ていたポチが、ばつが悪そうに私に言う。
「いや、ごめん。ちょっと用事ができた。続きは明日にしない?」
「そう、今日は発見もあったし、これくらいにして帰ろうか」
少なくとも月村さんの友達が見たという幽霊の正体はわかった。
まさしく昔の言葉にある通り、幽霊の正体みたり枯れすすきである。
この場合は放送局員の不運な事故だけれど。
「いや、うん、ちょっと、ここでお別れにしよう。教室に一旦戻るから」
「ああ、そう。じゃあ、また明日ね」
正門の近くまで歩き、私は門外へ、ポチは学校の中へと戻っていった。
ポチもカバンを持っていたから、用事というのは教室にあるのだろう。
忘れものでもしたのだろうか。
そうだ、忘れものといえばQQLのチケットのことをポチに言うのを忘れていた。
メールで伝えてもいいのだけど、妙に長くなってしまいかねないし、ライブに誘うという行為はかなり危険な気がした。
誤解のないようにことを運ばなければいけない。
今から追いかければ、ポチが教室に着いたのと変わらず追いつくことができる。
彼の用事がなんであれ、私の方は用件を伝えるだけだから五分もかからないはず、迷惑にはならないだろう。
用事がすぐ済むようなら、どこかでご飯を食べて帰ってもいい。
このあたりはまだ不慣れだから、ポチに聞いて食事処を増やしていくのも悪くない。
十秒ほど考えて、私は踵を返して教室に戻ることにした。
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