水曜日「クリームソーダ症候群」3
図書室は一階の正面玄関を通ったすぐのところにある。
入学時の校内案内でしか入ったことがないけど、それほど大きくはなかったはずだ。
自習室は別に空き教室が利用されているので図書室で勉強する人も少ないのだろう。
普段使っている教室とは違う、耐火式で重みのあるドアを開けた。
図書室常連であるポチの先導で図書室に入る。
記憶の通り、奥に整然と並ぶ本棚に大小さまざまな本が収められていて、手前には長机が向かい合わせに数組置かれている。
座って読むことができるように配慮されているらしい。
ドアを抜けた左横にカウンターがあった。
カレンダーが返却期限の二週間後を指している。
そして、そのカウンターに頬杖をつきながら完全に寝入っている女の子がいた。
ゆらゆらと二つに縛った髪を揺らしている。
天然なのか染めたのか赤みがかった髪だ。
校則で髪色の指定はないためこれくらい染めていたとしても不思議はない。
左こぶしに頭の重みを全て乗せていて、揺れるたびに赤いセルフレームのメガネがカチカチ鳴っていた。
「起きてください、起きてください」
ポチがいつもそうしているように、声をかける。
一方話しかけられた生徒は、空いている右手で脇に広げられたノートを指差す。
「あーい、貸出ならそこに名前を書いてハンコを押してねー、返却なら勝手に置いてー」
「違います、聞きたいことが」
ポチがここまで言ったところで、彼女ががばっと顔を上げた。
反動でメガネがずれる。
「はっ! それはつまりお勧め本を探しているわけだね! よおしお姉さんがとびっきりの傑作をだな!」
目がらんらんと輝いている。
一目して、いるべくして図書局にいるような人とわかるのも珍しい。
かえって半端なキャラクタつくりをしているのではと疑ってしまうほどだ。
「いや、お断りします」
きっぱりとポチが拒否をする。
「なにようなによう。てあれ、いつもの青年じゃないか」
ようやく目の前の人間に気がついたのか、途端に彼女が落ち着きだす。
「シロ君なら、私が勧めるまでもないね。お好きにしなさいな。たまには軽い文庫本も読むといいわよ。それともなになに?」
こめかみに接着されていた手を離して、人差し指を立てる。
「わかった! そこの可愛い子にナイスでラブリーな恋愛小説でも読ませたいわけだね!こう、伝えきれない、でも伝えたい密やかで熱い燃えたぎる想いを先人たちのとろけるような甘い言葉で代弁させようって魂胆だね! 何たる青春! それでは私のお勧めはだな」
全然わかってないし。
うねうねと動きながら一人で盛り上がっているところとても申し訳ないのだけど、このまま暴走を見ていると時間がいくらあっても足りなそうだ。
早めに切り上げないと。
「ごめんなさい、違います」
「というかそうだとしても面と向かってネタばらしされたら使いようがないじゃないですか」
「それもそうだ! シロ君にはあとで極上のだな」
「だから違いますって」
「いいんだよ隠さなくて。私のこの腐った眼にはビンビンと恋の予感が映っているのだよ!」
「だから違うって言ってるでしょう」
否定はポチに任せておこう。
私も加わると要らない誤解をどんどん追加して、明後日の方向に彼女が走り出してしまいそうだ。
「なによう、青年よ、お姉さんにもちょっとは甘い汁を吸わせてよう」
指を唇に当てて、ウィンクをする。
なんか、扱いにくいなこの人。
「カブトムシですかあなたは。それに『甘い汁』はそういう使い方はしません。本当に自称文学少女ですか」
「自称するなら誰でもできる!」
「なんで誰も彼も偉そうなんだ」
その中に私が入っているような気がしたが、わざわざ突っ込むのも面倒くさい。
「じゃあ何よ聞きたいことってのはさ。本のことはあんたが十分知ってるじゃないのよさ」
ようやくスタートラインに立てた。
「新聞局が昔に出した新聞を製本して、図書室に保管しているって聞いたんですけれど」
「ん? んー? 新聞?」
「そうです」
「なんだっけ記憶が途切れてるにゃー。ま、いっか。製本したものはね、一番奥の窓際にあるよう。他部局の会報も年ごとにあるはず、でも禁帯出だから見るんだったらそこの辺で読んでってね」
「禁帯出?」
耳慣れない言葉に小声でポチに聞く。
手で口元を隠してポチが返す。
「貸出禁止のこと」
余計な言葉が聞こえると、彼女を刺激してしまうかもしれないからだろう。
「あ、そう」
「あーあー青春ってのは、いつ見てもはかなくていいわねえ」
ニヤニヤしながらこちらを見ている彼女を背後に、図書室の端まで移動する。
「ところで、今更なんだけど」
「うん」
「あの人は、何?」
「誰、と聞かないところにそこはかとない悪意を感じる」
「そんなことはないけど」
たぶん、ね。
「図書局員の二年生だよ。自称文学少女。人偏の左に同じ記号と樹木のモクで佐々木、凛とした、の凛に、子どもの子で凛子。本人はリンゴさんって呼ばれたがっているから、もし呼ぶ機会があったらそう呼んであげて」
「前から知り合いなの?」
「僕は毎日通っていたら目をつけられただけだよ。あんまり図書室を使う人がいないらしいから」
毎日何かしらの本を読んでいる人は、校内探してもポチ以外にそんなにはいないはずだ。
「それは、何か、残念ね」
「それも、悪意を感じる」
「黙っていれば、割と美人なのにね」
「本人はコンプレックスらしいよ。もっとちっちゃくてかわいらしい感じがいいらしい」
私なんかと比べれば望ましいプロポーションに見えなくもないけど、それはそれで、本人にしかない悩みも当然あるのだろう。
「ちっちゃいって、柏木さんみたいな?」
「ああ、まあそうかもね。引き合わせたら大変なことになりそうだ」
あのペースでやり取りをしたら、ショックで柏木さんが倒れるのが容易に想像できた。
「男子も、柏木さんみたいなちっちゃいのがよいの?」
「そりゃ、好み次第でしょ」
窓際に着き、腰をかがめて下に並べられた本を端から見ていく。
「ふうん、ポチは?」
ここが製本された学校独自の棚のようだ。
どの本にも背表紙の下に『禁帯出』とラベルが貼られている。
利用されることもそれほどないのかどの本も乾いて沈黙している。
「え? 僕は」
背表紙を指でなぞりながら本を探していたポチが止まる。
「な、なによ」
ポチが真面目な顔で振り返り、私と目が合う。
「ノーコメント」
それだけ言って作業に戻った。
探すエリア自体がそれほど多くないため、すぐに終わる。
「あったけど、おかしいな」
「うん、どうしたの?」
「新聞局の新聞、確かに製本されているんだけど」
かがんだポチの後ろに立って、ポチの顔の横から本の一群を見る。
深い緑色のカバーで、西暦と『新聞局発行集』という名前、それにナンバーが書かれている。
「ここ、この区間だけぽっかり抜けてる」
ポチが指した辺りでは、十年前と、九年前の二冊が存在していなかった。
「なんだろう。製本漏れかな」
「シロ君そりゃおかしいわ」
「ひゃあ」
リンゴさんが私の顔の横からにゅっと顔を出し、ふー、と私の耳に息を吹きかけてきた。
勢いで立ち上がろうとしたけど、そうすると横の先輩の顎をクリーンヒットしなければいけない、と気がついてなんとか留まる。
「逢引きお邪魔してごめんね。昨日の棚卸が終わってなくて、今日はあとちょっとで臨時閉館なんだわ。それとも、鍵だけ渡して先に帰ろうか? にひひ」
「結構です!」
ヒットさせておけばよかった。
「あと三十分あればひとまずは」
「んじゃ、奥で作業しているから、終わったら教えてな。閉室の案内、ドアに出してくるから、あとはお好きにどうぞ、いろいろとね」
「ありがとうございますリンゴさん。それで、おかしいっていうのは?」
最後の台詞は当然無視し、ポチが会話を続ける。
「にゃあ、そこら辺、先週整理したばっかりだからね。抜けなく揃ってたよ」
だとすると、何かの理由で発行しなかった期間があるわけでもなく、製本漏れがあったわけでもなく、先週までは存在していたということになる。
「誰か、最近、見ていたってことは?」
「あーそれだ! 私の灰色の脳細胞がさっき伝えようとしたことは! 誰かが、昼休みに過去の新聞をどこに保管しているのか、って聞きに来てたかなー」
「それは先に言うことでは」
「聞かれてないもん」
「リンゴさん、昼休みにもいたんですか」
「そうよう、ここは私の森なんだから」
えっへん、と脇に手を当てて、胸を張る。
顔立ちも体つきも大人っぽいのに、仕草は子供っぽい。
仕草だけでも自分の理想を演じているのだろうか。
「図書室に入り浸るのは友達がいないだけじゃないですか」
「い、いるよ! それに本も友達だよ! 語りかけてくるよ!」
慌てふためいて両手を振る先輩。
悲しい図星のつかれ方だ。
「……典型的なダメな子だ」
「あんまり先輩を憐れんだ目で見ないでよ」
ポチの言葉に、う、う、と泣き真似をしながら、こちらをちらちら見てくる。
本当、面倒くさい先輩だな。
「で、誰ですか?」
「そんなこと覚えてないよう、知らん人。
私、文字と可愛い子以外は覚えられないんよ」
正直それもどうかと思うけれど。
「お願いですから思い出してください、リンゴさん」
「うーん、ちょっと待ちーな。あー、あ、私は好みじゃないけど、わりとイケメンの三年生だったねー。影のあるタイプってやつ? 私はもちろん青年の方が好きよー」
あ、とポチの顔を見ると、軽く唇を噛んでいた。
そんな人は一人しか思い当たらない。
いいや、むしろ本が不自然に抜けていた段階で目星はついていた。
「一ノ瀬先輩だな」
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