第一週目「七夕と短冊とロケット花火」4
「どうかしました?」
声を上げたきり固まっている私に、柏木さんが話しかける。
「これ、なんだろう」
私は一枚の短冊を机の真ん中に置く。
そこにはアルファベットでこんな文字が並んでいた。
a d i z v j p o v h t v x j s
一字一字、しっかりとした筆跡で書かれている。
一文字でも間違われては困るとでも言いたげな、印刷のような正確さだった。
「なんですか……」
柏木さんが息をのんで短冊を見ている。
「これ以外には、何も書いてないみたい。裏も見たけれど」
私の言葉と同時に、柏木さんが短冊を持ち上げひらひらと裏表を確認している。
「私達が用意した紙ですね」
ホールに置かれた笹の横に、自由に使えるように去年の学校祭のときに余った色つきの厚紙を切って置いていたのだ。
もちろんどこでも買えるものではあるけれど。
「普通に考えれば、暗号文だろうね」
机の反対側からポチが当たり前じゃないか、という感じで言う。
「普通に考えれば?」
「そうだろ、無意味そうな文字列が並んでいたら、まず暗号文じゃないかと疑うのは普通のことだ」
「ですが、七夕の短冊に暗号文なんて飾るでしょうか」
柏木さんの意見ももっともだ。
「ポチ、普通に考えれば、そんなことしないんじゃない?」
彼の言葉を借りて返す。
「さあ、そんなことまでは知らないけど」
「でしょ」
「じゃあ、普通に考えて、七夕の短冊に意味不明な文字列が書かれている理由はなに? 杏さん?」
「それは……」
さらに『普通に考えて』を重ねて、ポチが問い直す。
「わからない、けど、じゃあ、ポチはこれ解けるの?」
「それはちょっといきなりすぎるな」
「本の虫なんだから、それくらいできないの?」
皮肉を言われたお返しをする。
ポチは活字なら何でも構わないという姿勢で硬軟ないまぜで小説から科学雑誌、ノンフィクション、専門書までいつも何かしらの本を携帯し、隙さえあればそれを広げている。
以前、手持ちの本がなかったのか、英和辞典を一ページずつめくりながら眺めていた。
本を取り上げたら禁断症状が出てしまうのではないか。
「それは全然関係ないと思うけど」
そう言いつつも、柏木さんが置いた短冊を拾い上げて蛍光灯の明りに照らしながら一文字ずつ声に出してゆっくりと読み始める。
「もし、特定の人物にではなく、誰でもいいから解読してほしい、というつもりで暗号文を作ったとしたら、十中八九後者だろうけど、そんなに難しいものではないはずなんだけど」
「どういうこと?」
「これが本当に秘密の通信に使われているのなら、たぶん、強力な暗号を使うだろう、ということ。そもそも、特定の個人に伝えたいなら、メールアドレスを聞いてからメールした方がいいよ」
それもそうか。
昔は女の子同士で授業中にメモを回すこともあったと聞くけれど、それなら必要な人にケータイからメールを送った方が速いし正確だし、予定外の人に見られる心配もなくなる。
「じゃあ、この暗号は、『解かれたがっている』ということ?」
「そうなるね」
もう一度、彼はアルファベットを復唱する。
「隠すための暗号文、でも、これは明らかに、誰かがこの暗号文を解くことを期待している。その可能性がもっとも高い」
「でもどうしてそんなことを?」
「それ、杏さんの悪い癖だね」
「ん?」
「理由がわかったところで、大して意味はないかもしれないよ。むしろ理由を考えさせることで混乱を狙っているかもしれない、という可能性を考えるべきだ」
「そうかもしれないけど」
以前それで痛い目を見ているだけに、ポチには返す言葉もない。
「それで、この暗号文だね。時間があって、解こうとする気力があれば誰にでも解ける程度の強度で作られているとしたら」
今度は指でじっと文字をなでる。
その指が途中で止まる。
「vが多いな……なら」
机の脇にあったメモ用紙に、暗号文を自分で書いている。
そのあと、vに丸をつけた。
彼の言う通り、vが三回でている。
次に多いのがjの二回だ。
「ああ」
何かを思いついた声を出して、彼が声を上げる。
「わかった、気がする」
「え? もう?」
「うん、でも、一緒に検証する? それとも考える?」
彼もまだ自信があるわけじゃなさそうだ。
しかし、それが正しいとして、あっさりと解説されると何か悔しい。
「ううん、私も考える」
「そう、じゃあ、ちょっと。十分もかからないはず」
そう言って彼がメモを持って立ち上がる。
彼が部屋の右手にある机に移動する。
ロッカーを隔てて私達からは見えない。
普段はあまり外から見られたくない打ち合わせや、洗面台とコンセントがあるのでお茶を飲んだりお菓子を食べたりするのに使っているスペースだ。
取り残された私と柏木さんは問題の短冊を見る。
「何かわかりますか?」
柏木さんもこちら側に残っている。
可愛らしく首を傾げて短冊を見ている。
彼の側には行かない、ということだ。
「うーん、ポチが解き方に気がついたのって、vに丸をしてからだよね」
「そうですね」
私も、メモ用紙に、暗号文を写して、vを丸で囲む。
a d i z (v) j p o (v) h t (v) x j s
「もしかしたら……」
声を出したのは柏木さんだ。
「なに?」
「これは英文なのではないでしょうか? もしそう仮定すると、vは単語と単語の間にあるものですから……」
「スペース?」
日本語ではなく、英語なら単語と単語の間にはスペースが必要だ。
「そう、だと思います」
柏木さんが、私のメモの下に追加で書きこむ。
v → スペース
a d i z j p o h t x j s
「それぞれ、ワード数が4、3、2、3になりますね」
「うん。英語だから……」
でも、それだけじゃだめだ。
四単語からなる短い文章だとしても最初の単語は主語かもしれないし、主語に係る形容詞かもしれないし、動詞かもしれない。
まだヒントがあるはずだ。
「htは二文字なんですね。二文字の英単語といえば、前置詞でもいっぱいあります」
彼女が、途中から声をしぼませていく。
多くはないといっても、二文字の英単語は、on, at, ofといった前置詞を含め、goという動詞もあれば、meやmyもある。
「せめて一文字ならaかIっていうことにできたんだろうけど」
英語で一文字で単語になるならaかIしか考えられない。
「あと複数出てくる文字は、jだけです」
柏木さんが眉間にしわを寄せる仕草をする。
「jは何に対応しているのでしょう」
「一文に二回出てくるもの……、ううん、それだけじゃ……」
たぶん、意図的に入れたとしなければ、あまり使われないqやzではないだろう。
わかることはそれくらいだ。
「ポチが丸をつけたくらいで思いつくんだから、難しく考えすぎなのかも」
当然ポチの考えが合っているかはわからないものの、それなりの根拠があるからこそあんなことを言ったのだ。
可能性が低いと判断すればまだ無言だっただろう。
だから、vがスペース、と気がついたときにはもう解けるような、解けたと思ってしまうほどの平易な何かだ。
「そういえば、柏木さんって、ミステリーを読むんだよね?」
確か、柏木さんが読むものは現代小説がメインだったはずだ。
「ええ、でも、こういう暗号モノというのは最近の流行りではありませんね。難しすぎると読者がついてきませんし、かといって簡単すぎる暗号を物語の中心に据えると一旦解いてしまった人はそうそう楽しめるものではありません。ジレンマというか、溝のようなものですね」
読者がいることを想定したフィクションとしてのミステリーの限界、というものか。
何でもかんでも難易度を上げることもできない。
解けたときに納得できる程度の謎でなくてはいけないし、途中で簡単にわかっても興ざめになる。
読者と作者にもずれがあるのだ。
ずれる?
vがスペースに「なった」のではなく、vがスペースに「ずれた」と考えたら、どうだろう。
スペースそのものは、アルファベットの中にはない。
だから、アルファベットの「外」にスペースはある。
「私、わかったかも」
「本当ですか?」
「うん、ちょっと書いてみる」
新しいメモ用紙に、アルファベットをaから書き、zまで行ったところで、最後にspaceを足す。
a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z (_)
「アルファベットの並びがこうで、vがスペースに該当するなら、後ろに五つ動いているっていうことだから」
「なるほど」
柏木さんにも私が言おうとしていることが伝わったみたいで口に手を当てる。
「他のアルファベットも五つ後ろに動かせば……」
今しがた書いたアルファベットの下に、五つ分だけずらしたアルファベットの列を書きこむ。
a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z (_)
f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z (_) a b c d e
「それで、これを対応させると」
a d i z (v) j p o (v) h t (v) x j s
f i n d o u t m y b o x
「find out my box」
短い英文が浮かんできた。
「『私の箱を、見つけ出して』かな?」
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