第一週目「七夕と短冊とロケット花火」3



 翌日、予報通り小雨になった。

 

「ようやく終わりましたね」


 横で笹を糸で束ねている女の子が呟いた。

 小さな体に小さな頭と重たげな黒い髪を乗せている。

 彼女が言っているのは単にこのイベントのことだけではないだろう。

 私達にとって初めての生徒総会が五月の終わりに行われ、その事後処理にずっとかかりっきりだったからだ。

 

「うん、疲れた」


 返ってきた小テストのことなんてすっかり頭の中から追い払って、目の前の作業に没頭する。

 

 私達の所属する生徒会執行部は、東西に長い校舎の西側の四階にある。

 横の音楽室からは合奏の音が、反対側からは合唱部の歌声が微かに聞こえていた。

 窓の外では夕暮れが近づき、下校する生徒が見える。

 

 生徒会執行部といっても大して権限があるわけでもなく、各生徒が所属する部局、同好会、委員会の取りまとめや、各種イベントの補佐をしているに過ぎない。

 

 五月に生徒総会が行われ、その後様々な審議事項で六月いっぱいまで後処理は続いた。

 

 中心は各部活動への予算配分と校則などの見直しだ。

 そう言ってしまうと大きな話に思えるかもしれないが、執行部が独立して全てを行うわけもなく総枠は教師側から伝えられているうえに部員数などによって自動的に配分されるものがほとんどだからその点では活動範囲は狭い。

 その他予算を申請してきた個別の案件に対して認めるかどうかを体育会と文化会で話し合うのだ。

 

 だから愉快な事件などそうそう起こるものでもなく、大体が細かな事務作業に追われることになる。

 少なくとも建前上はそうなっているし、実情もそんなものだ。

 

 そもそも執行『部』という名前のとおり、執行部は単なる部活動の一つだ。

 執行部長だけが一応の投票で選ばれるらしいがここ何年も部員以外に立候補する人などいなく、形だけの信任投票が行われる。

 

 部活動だから入部するのも退部するのも本人の自由である。

 特に面白味もない雑務に身を置くことを選ぶ、ということ自体が妙な話かもしれないが、そういう意味ではここに所属する執行部員は癖のある人ばかりなのだろう、私以外は。

 

「ん、と」


 彼女が背丈の二倍もある笹を抱え、部室の隅に立てかけようとしている。

 

「柏木さん、大丈夫?」


 よたよたと歩く彼女に思わず声をかける。

 

「大丈夫、です」


 笹ごと倒れそうになりながら、体重移動をして壁にもたれかかる。

 

 彼女は柏木くるみさんで、クラスは違うけれど彼女も私と同じ執行部の一年生だ。

 執行部員は今のところ十人で活動をしている。

 一年生には役職はなく、『庶務』と呼ばれる立場になり全体的な補佐業務をする。

 秋口に三年生が抜けてから何かの担当になる予定だ。

 

 今この場にはその雑務をしている一年生だけしかいない。

 

「そういえば、柏木さん、絵が上手いんだね」


 短冊記入用の台には、『ご自由にどうぞ』というメッセージとともに可愛らしいウサギのイラストが描かれたポップが置かれていた。

 柏木さんが描いたものだ。

 リアルなタッチではなくマンガっぽいそのイラストは彼女が描き慣れているのを感じさせるには十分だった。

 

「いえ、私は絵の才能はありませんから」


 彼女は私の褒め言葉にも謙虚に返す。

 

「それにしても、数が多いなあ」


 ポチが愚痴をこぼす。

 

 七夕が終わったので、短冊を執行部に持ち運び、一つ一つ短冊をほどきながら片づけをしている。

 

 内容は成績に関するもののほか、学内カップルの熱い気持ちや片想いを思わせる切なげなメッセージ、果ては世界征服などという冗談までさまざまだった。

 それらをぼんやりと眺めながら私は短冊を重ねていく。

 悲しいかな、短冊は焼却処分されるのを待つのみだ。

 

「『私の気持ちを届けてください』か、七夕らしいね」


 短冊に書いてあった言葉を思わず読み上げる。

 たぶん、片想いの誰かが書いたものだろう。

 

「織姫と彦星は、恋人じゃなくて夫婦だよ」


 短冊に対する突っ込みなのか、ポチが短冊を機械的に並べながらちらりとこちらを見た。

 

「そうなの?」

「もちろん、引き裂かれた恋人同士、という説がある可能性も否定はしないけれど」


 彼の口癖は『可能性』と『場合分け』だ。

 どんなに明らかに見えても、わずかな可能性を否定しない。

 神経質に見えなくもないけれどこれはこれで口上として言っているだけで結構アバウトなので次第に気にしなくなってきていた。

 

「そもそもさ、どうして夫婦が一年に一度会えるという大事なときに他人の願いなんて叶えてあげようだなんて思うんだろう。きっと、僕と同じ疑問を、短冊に願いを込める人と同じくらいの数の人が抱いているよ」

「サービス精神っていうやつじゃないの? 幸せのおすそ分けというか」


 せっかくいい気分なんだから少しくらいは人のために力を貸してあげようじゃないか、くらいの気持ちかもしれない。

 

「杏さん程度にはお人よし、ってこと?」

「なにそれ、皮肉?」

「言葉通りの意味」

「それはどうも」

「素直が取り柄の杏さん」


 四ヶ月ほど一緒に行動してわかるけど、どうもポチはいつも一言多い。

 

「一年に一日は会えるのか。365日に一日、割合だと0・3%弱。一日に直すと、一日は1440分だから、0・1%で1・4分。毎日四分会えるのと同じくらいか」

「会えるのは夜だけですよ」


 ポチの思考に、柏木さんが部屋の端から突っ込む。

 

「そうか、じゃあ、半分の二分。これって長いのかな、短いのかな」


 誰に聞くでもない、自問自答のような声の小ささだ。

 

「やっぱり、できればずっと一緒にいたいもんじゃないの?」

「杏さんはそういうタイプ?」

「な、なに、そういうタイプって」


 思ってもみなかった切り返しに、うろたえる。

 

「いや、好きな人と四六時中いたいタイプかって」

「そ、そんなのわからない、けど……」


 ずけずけと踏み込んだ質問に、あいまいに返す。

 

「ふうん、じゃあ、柏木さんは?」


 気になったらとりあえず聞いてみる性格のポチが、笹を抱えたままこちらをちらちらうかがっていた柏木さんに矛先を向ける。

 話に入りたがっているような、でも恥ずかしいような、そんな態度だ。

 

「え? ええ? そ、そんなこと考えたことないです!」


 柏木さんは、頭を振りながらわかりやすく慌てている。

 

「そういうポチは?」

「僕? あまり興味はないな」


 本心かどうか、投げやりに応える。

 

 沈黙。

 

「藤元さん、こちらの七夕は初めてなんですよね?」


 一旦笹を壁に立てかけた柏木さんが会話と部室の空気の流れを戻すためか、短冊まとめに参加しようと私の横にちょこんと座りながら話しかけてきた。

 

「うん」


 私は春に引っ越してくるまで東京にいた。

 

 ここは母親の実家があった街で、私の病気の療養もかねて越してきたのだ。

 

 療養と言う割には、小さいながらも工業都市のためお世辞にも空気はきれいとは言えず、おまけに海風の影響なのか空気は湿りがちで、曇りか霧の日が多い。

 環境が良いとはお世辞にも言えないだろう。

 

 今は父親と猫のコタローの二人と一匹で暮らしている。

 母親はもういない。

 

「でしたら、ローソク出せ、って知っています?」


 出会ってから二ヶ月以上も経つも、彼女はまだ丁寧な口調を崩そうとしない。

 ポチや先輩に対しても同じような口ぶりなので、そのまま慣れてしまった。

 

「ろーそく、だせ?」

「そうか、知らないのか」

「なにそれ」


 驚いた様子もなく、納得するようにポチが言う。

 

「浴衣を着て提灯をぶら下げた子ども達が七夕の夜に街を練り歩いて、家々を訪ねてお菓子をねだる風習があるんです。北海道ならどこでも、というわけではないそうですが、家のドアを開けては、こう歌うんです。 

『ろーそくだーせーだーせーよー、だーさーないとーひっかくぞー、おーまーけにかっちゃくぞー』

って。地域によって歌は多少違うそうですけれど」


 節まで付けて、柏木さんが歌ってくれた。

 

「それって」

「そう、トリックオアトリート、お菓子をくれなきゃいたずらするぞ、です」

「ハロウィンみたい」


 というかハロウィンそのものだ。

 違いは時期と仮装していないことくらい。

 

「直接の関連性は知りませんが、両親が子どもの頃、ハロウィンがあまり浸透していなかった頃にはすでにあったそうです」

「聞いた話だと、百年前にはもう似たような風習があったみたいだよ」


 ポチが補足する。

 

「最近は色々物騒だからって、明るい時間にやったり、そもそもやらなかったりもするみたいだけど、あれがあって初めて七夕って気がするなあ」

「昨日、うちには誰も来なかったと思う。七夕、東北とか北海道で、八月にやるところがある、っていうのは知っていたけど」

「ああ、旧暦だね。この辺は七月だけど、場所による」

「ポチもやってたの? えっと、ローソク出せだっけ?」

「そりゃ、このあたりで育ってやったことがない子どもの方が少ないんじゃないかな。ローソク出せっていうから、新しく越してきた人が本当にローソクくれちゃって、僕ら皆がっかりしたりね」


 それはそうだ。

 元々は提灯の明かりのためだったんだろうけど、風習としてローソク出せ、と歌っているだけで、ローソクをもらって喜ぶ子どもはまずいない。

 

「そんなこともありましたね」


 笑顔で柏木さんがポチに同意する。

 

 執行部で四月の終わりに初めて会ったにも拘らず、ポチと柏木さんは仲が良い。

 私よりも柏木さんとメールをしている回数の方が多いだろう。

 同じクラスで席が近いポチとメールをする必要も私にはないと言えばないのだけれど。

 

 ポチほどではないが柏木さんも読書量が多いらしく、二人で本の貸し借りをしているのを見たこともある。

 特別な気持ちがあるわけでもないけれど、三人しかいない執行部の一年生で何となく居心地が悪く思うときもある。

 

 ほんの少しの疎外感で、私が下を見る。

 

「あれ」


 自動的に、読みもせず重ねていた短冊の一番上に奇妙な文字列を発見した。

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