第一週目「七夕と短冊とロケット花火」2



「これも明日片付けか」


 横で眠たそうにまぶたを下ろしたり持ち上げたりしている男の子がぼんやりと言った。

 糊が効いていない長袖の白いワイシャツをだらしなく着ている。

 一人暮らしだから洗濯も適当なのだろうか。

 

 今日は週の真ん中の水曜日で、七夕だ。

 

 私と彼は学校の一階の玄関を抜けた先にあるホールに来ていた。

 吹き抜けになっていて見上げると四階の天井がある。

 普段はホールにはグランドピアノが置かれているけれど、誰かが演奏しているというのは見たことがない。

 

 今月に入ってからここには私達が設置したあるものが置かれていた。

 

「結構集まったね」


 私がカラフルないくつかの短冊に触れる。

 

 七夕まで笹が数本まとめられ自由に短冊を飾れるようにしてあった。

 執行部からのささやかな毎年恒例のイベントだそうだ。

 

「でも、天気、良くないね」


 今日はあいにくの空模様だった。

 雨は降らないまでも、雲が月と星の光を遮っている。

 明日は雨の予報らしい。

 

「雲の上はいつも快晴だよ」


 七夕飾りにはもう注意を払わず、ホールを歩き出したポチがそっけなく言った。

 相変わらずの屁理屈お化けっぷりである。

 

 彼の名前は城山口優斗、噛みそうなため誰も本名で呼ばない。

 通称は『シロ』だったはずなのだけど、私の提案した『ポチ』が予想以上に広まったため、今では『ポチ』と呼ぶ人の方が多い。

 

「ロマンがないなあ」

「ロマン? あいにく持ち合わせがないね」


 笹と反対側まで行ったポチが足を止める。

 

 壁に掛けられたものに興味があるようだ。

 

「なに? 気になったの?」

「いや、うーん、まあ」


 そこに掛けられていたのは一枚の絵だった。

 

「ああ、すごい」


 思わず息を漏らしてしまう。

 

 コンクールで入選した絵のようだ。

 描いたのは二年生の美術部員で、タイトルは、えーと。

 

「だいななかんかいほうこう」


 私が読みにくそうにしているのを察したのか、ポチが読み上げる。

 

『第七官界彷徨』

 精巧なタッチで砂浜に押し寄せる波が描かれていて、どんなに近づいてみても、筆先は繊細で、ぶれることがない。

 これは教室の窓から見える景色だろう。

 

「写真みたい」

「そうだ、写真みたいだ」


 ポチも同意する。

 その後、褒めるでもなく、ポチは二の句を継ぐ。

 

「でも、写真みたいな絵って、意味あるのかな」

「え?」

「ああ、いや、うん、この絵は上手いと思うし、僕にはとてもじゃないけど描けるようなものじゃない。そういうのはわかる。でも、写真みたいにそっくり写し取るんだったら、それこそ写真でいいんじゃないかな、と思うよ」

「それこそロマン、みたいなものじゃない」

「まあね、不必要な労力を重んじる世界というのはどこにでもあるからね、それが伝統、文化、芸術になりうるのも否定しないよ」

「その割にはポチ、いつも小説読んでるじゃない」

「何を言っているんだ? 小説は古くなんかならない。漫画やアニメや映画がどんなに発達したとしても、文字の完全な代替にはならない。古い作品があったとしても、小説というジャンルが古くなることはない。というか常に新しいものを取り入れることができるのが小説というものだ」

「そう、そうなんだ……」


 何かがポチのスイッチを押したらしく、妙に熱弁になる。

 

「そもそもね、小説というのは、読者の想像力に任せる要素が大きく、それを読者に要求するからこそ面白いのであって、安易な映像化なんて」

「わかったわかった」


 止めどなく溢れてきそうな熱弁を押し返す。

 

 ロマンあるじゃない。

 

「そうか。しかし、それにしても……」


 私の方を見たポチが、そのまま停止する。

 

 視線は私よりも先にあるみたいだ。

 私もそれに倣って振り返る。

 

 そこに女の子が立ってこちらを見ていた。

 

 靴のラインは赤。

 私達の学校は上履きのラインで学年分けがされている。

 赤は二年生だ。

 

 制服の上からエプロンをかけ、肩すぎほどまでふわふわに髪を伸ばして、一部を後ろに縛っている。

 寝不足なのか、それともエプロンと同じように塗料がついているのか目元が黒く淀んだ色をしていた。

 

 口を開いたのはポチだ。

 

「これ、先輩の絵ですか?」


 先輩は、こくん、と無言でうなずく。

 

「あ、ごめんなさい、変なこと言って。すごく、素敵な絵だと思います」


 ポチの失礼な感想にフォローを入れた私に、彼女は小さく首を横に振った。

 

「どう思うかは……、自由だから……」

「先輩、一つ伺いたいのですが、良いですか?」


 手元をエプロンで拭い、伏し目がちに先輩が傾げた頭を更に深くする。

 

「先輩が描きたかった絵、本当にこれですか?」

「ちょ、ちょっと、ポチ何言ってるのよ!」


 あまりな物言いに諫めようとした私は、ポチを謝らせようと彼の後頭部を掴む。

 そこではっとした顔つきになってポチを見つめている先輩に気がついた。

 

「どうかしました?」


 ポチもその表情に気がつくも、驚いてはいないようだった。

 

「何でも、ない……、そう……、あなたが『正義の味方』なの……」


 その言葉だけを残して、先輩は背を向けて去っていってしまった。

 

「あの先輩、どうして僕のこと知ってるんだ?」

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