第一週目「七夕と短冊とロケット花火」

第一週目「七夕と短冊とロケット花火」1



 バスは重々しく私を運ぶ。

 

 蛇行するように、道なりにゆるく曲がり続ける。

 長い上り坂を力を込めてゆったりと進んでいた。

 バスの重さが変わったわけでもなく、私の心持ちがバスを包みこんでしまうほどに重たいのだ。

 

 今日予定では数学の小テストがある。

 高校に入学してから三ヶ月ちょっとが過ぎ、明らかに数学が苦手科目となってしまった私は、薄っぺらい青い問題集を開く。

 

「次は、母恋駅前です」


 バスが止まる。

 この街は本当に坂が多い。

 平地を探す方が大変なのではないかと思うくらいだ。

 都市開発時に平坦にしようとしなかったのが悔やまれる。

 

 制服を着た高校生でバスが埋められていく。

 白いセーラーの夏服にタイという、いたってシンプルな私と同じ制服ばかりだ。

 球体を四角い箱にみっちり詰めても二十五パーセントくらいの隙間はできる、と私に言っていたのは誰だろう。

 記憶にはないけれどそんなことを言いそうな相手は一人しかいない。

 

 七月に入ったとはいえ、東京に比べれば北海道は涼しいを通り越して肌寒く、私は半袖のセーラーの上にブラウンのカーディガンを羽織っている。

 少し余った袖からはみ出る指でイヤフォンのコードをくるりと回した。

 

 乗り込んできた人の中に見知った顔を発見して小さく手を振る。

 向こうも私に気がついてするすると間を縫って近づいてきた。

 細身だからこそできる技だ。

 

「おはよう、アンちゃん」

「おはよう、ケーカ」


 座っている私の隣に彼女が立つ。

 私の本来の名前はアンズなのだけど、目の前の彼女は略したうえで『ちゃん』をつけて呼ぶ。

 

「QQL?」


 彼女が自分の耳をこつんと指先で触るジェスチャーをする。

 彼女のケータイについているシュークリームを模したストラップが軽く揺れた。

 

「あ、うん」


 外すのを忘れていたイヤフォンを耳から外し停止ボタンを押す。

 

 QQLとは主にインターネットで活動している二人組の音楽ユニットで私と彼女のお気に入りだ。

 ポップな電子音を多用する、ふわふわとした甘くて優しいボーカルがストライクだったのだ。

 

「ラジオ明日だねー」

「もうそれしか楽しみがないかも」


 QQLは毎週木曜日の夜にネットラジオをやっている。

 いまだに商業的なCDを発売したりすることはなく、二人とも本業ではなく趣味であると公言している。

 新曲はたいていラジオで紹介され、そのあと公式サイトでダウンロードができるようになっている。

 

 ひょんなことから一度だけ札幌で行われたシークレットライブを観に行ったのが私の密かな自慢だ。

 顔写真を公開していないボーカルのナルは想像通りの柔らかい顔の美人で、作曲のユーリは後ろのうす暗い場所でときどきいたずらっぽい犬のような表情を浮かべていた。

 

「勉強、した?」


 一応の確認をする。

 

「とりあえず」


 彼女は不安げながらも笑顔で応える。

 

 でも彼女は試験をクリアしてしまうだろう。

 

 彼女、月村桂花は私と同じ一年七組のクラスメイトだ。

 左の目元の小さなほくろが特徴的で、大人びた表情に華奢で小柄でふわふわとしたしゃべり方という、私とは比較にならないかわいらしさの集合体であり、かつ数学の能力ではトップクラスに属するという女の子だ。

 だから彼女が小テストくらいで落第点を取ることは考えられない。

 

「そうそう、皆川先生の話聞いた?」


 彼女が話題を変えて話しかけてくる。

 

「なんのこと?」

「ほら、こないだ倒れたって」

「ああ、そういえば」


 皆川先生は私達のクラスの現代文を担当している先生だ。

 もう間もなく定年で、物静かなおじいちゃん先生として生徒からの評判も悪くない先生だ。

 

 それが先週、騒ぐ生徒を怒鳴りつけた拍子に血圧が上がったのか、そのまま具合が悪くなって職員室で倒れてしまったらしい。

 普段怒らない分加減がうまくできなかったのだろう。

 命に別条はないというのが不幸中の幸いだったけれど、体調自体が元々それほど良くなかったのか検査も兼ねて数週間は入院が必要になってしまった。

 復帰するとしても秋ごろまで待たなくてはいけないらしい。

 学校に救急車がやってくるくらいの出来事で、私の所属している部活でも報告事項として上がっていた。

 

「したっけ、代理の先生が来たんだけど、それがすっごい美人らしいの!」


 目をキラキラさせて彼女が言う。

 

「ふーん」


 異性で格好良いならともかく同性で美人と言われてもあまり心が動かされない。

 

「それも、私達の先輩らしいよ」

「そうなんだ。でも今週はもう現文の授業ないね」

「うん残念、どんな人だろう。他のクラスの人に聞いてみようかなー」


 彼女は弓道部でもあるので同学年の知り合いは私よりも多い。

 彼女と違い高校からこの街に引っ越してきた私はまだ馴染み切っているということもなく、同学年でかつ他クラスの知り合いはまだ多くない。

 部活だと一人しかいない。

 

「ところで、誰からの情報?」


 彼女が小さく首を傾げる。

 それは言わなくてもわかるでしょ、という合図だ。

 

「ああ、ポチね」


 わかりきった答えに苦笑いをする。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る