木曜日「五分前は恋人だった僕ら」1



 仕方ない。

 昨日の夜から、何度も何度も反芻してきた言葉だ。

 

 仕方ない。

 これは妥協のなせるわざである。

 

 仕方ない。

 私の本意ではない。

 

 お兄ちゃんから届けられたQQLのチケットがカバンの中にある。

 ただチケットに書いてある条件が問題だった。

 

 お兄ちゃんが送ってくれたチケットは、二枚。

 次の日曜である日付と時間、それにライブハウスの地図が書かれていた。

 そしてチケットの下に書かれている文字が私を昨日の夜から悩ませていた。

 

『男女一組での入場に限る』


 それが、チケットに書かれたライブに参加するための条件だった。

 もしこれがないのであれば、当然私と月村さんの分になっていたに違いない。

 男女一組でも、お兄ちゃんと二人でデートというのがベストだけどそれはメールを読む限りは望めそうにない。

 となると私が行くためには誰か選ばなければいけない。

 誘えるくらいの仲で、興味があってのってくれるか、興味がなくてもついていってくれそうな男の子。

 これは帰納法を駆使した高度な帰結。

 だから、仕方ない、ということだ。

 物を頼む屈辱とライブに行ける喜び、それを天秤にかけて私は後者を取った。

 つまり、ポチに頼まなければ私はライブに行けないのだ。

 

 昨日のことは水に流してあげよう。

 私も自分が不自然だったことは認める。

 

 ポチはQQLの存在自体を知らないだろう。

 音楽にあまり関心がないというのが私の評価だった。

 

 今も私のイヤフォンからはQQLの音楽が流れている。

 

 曲名は『五分前は恋人だった僕ら』だ。

 彼らにしては静かな曲調で、語りかけるように呟くようにナルが歌っている。

 すれ違いによって別れることになった二人の帰りの電車が来るまでの五分間を『僕』の立場から歌っている。

 『僕』は彼女に何を言うべきかひたすら考え、結果何も言うこともなく電車が到着し、そして繋いでいた手を離す。

 私には恋愛ではそういった経験はない。

 でも残された時間の中で何かを言わなければもうそれっきり、という場面は私にもある。

 現実はドラマのように劇的ではなく、ひっそりと終わるのが常だ。

 そこにはいつも、逆らえない大きな力が働いていて私の口を塞いでしまうのだ。

 

「おはよー」


 教室に入り、イヤフォンを外して、先に席に座っていた月村さんに声をかける。

 

「あ、おはよーアンちゃん」


 彼女は最初こそアンズちゃんと呼んでいたがどうやら舌が回らないらしく二週目にしてズが省略されてしまった。

 言い方がかわいらしいので許してしまうが正直なところ微妙だ。

 

「月村さん、今日は早いんだね」

「うん、朝練があったからねー」


 いつもの緩やかな声で月村さんが返す。

 いつものような朝の場面、これからきっと、何度も何度も繰り返すはずのすでに見慣れてしまった風景だ。

 教室にはポチの姿はないが、机の上に本が置かれているので登校はしているはずだ。

 

「ポチは?」

「私が来たときにはもういなかったよ、十分くらい前」

「そうなの?」


 まあ、そういうときもある。

 本当なら朝のうちにお兄ちゃんからのメールの件とQQLのチケットの話をしておこうと思っていたけれど、もう少ししたら来るだろう。

 

「ユウトなら、向こうの廊下にいるのを見たよ」

「あ、紫桐さん、おはよう」


 後ろから声をかけられて、全身を使って月村さんが挨拶をした方向に振り向く。

 紫桐さんが相変わらずきりっとした顔で私を見ていた。

 昨日のポチとの会話を思い出し、一瞬なんとも言えない気持ちになる。

 気恥ずかしさとも違う、どうしようもない気分だ。

 

「今日は私と一緒に来たから、結構前からいたけど、用事があるからって」


 そういえばポチの名前はユウトだったな、とどうでもいいことを思ったのと、『私と一緒に』のとこに若干の引っ掛かりを感じつつも、ありがとうと言う。

 

「藤元さん、ユウトと、幽霊探しをしているって本当?」

「うん、一応」


 正確には幽霊騒ぎを起こしている犯人探しだけどと思ったけど、違いはないかもしれないのでわざわざ訂正はしない。

 幽霊が捕まれば自然とその犯人もわかるからだ。

 

「そう、幽霊、ね」


 紫桐さんが、軽く微笑んだのか口元を緩ませる。

 

「それは、大変ね」


 そう言って彼女は去っていった。

 気の強い彼女だからだろうか挑戦的な物言いにも聞こえた。

 あるいは私がそう解釈するだけの何かが私か紫桐さんのどちらか、もしくは両方にあったかだ。

 心配そうに私たちを交互に見ていた月村さんが瞳をこちらに向ける。

 

「私、ちょっと、行ってくる」


 席を立ち上がって教室を出る。

 いってらっしゃい、という月村さんの声が聞こえた。

 

 教室を出て左手に東階段を見ながら少し越えて左に折れる。

 吹き抜けの前の廊下、四組の教室の前でポチを見つけた。

 柏木さんと一緒にいるポチを、だ。

 二人の声は聞こえていないが雰囲気から和気あいあいとしていることは読み取れる。

 見たことのない笑顔で柏木さんはポチと会話をしていた。

 今のところ一度も彼女とメールをしていない。

 全ての連絡はポチとやり取りしているのだ。

 どうしたものか。

 私が先に視界に入りそうなのは柏木さんだけど、私を覚えているかも怪しい。

 今のあの状態なら尚更、周りが見えていないのかもしれない。

 

 長い呼吸一つ分、十分に考えて、私は教室に戻ることにした。

 

 あるいはこの呼吸の間、ポチが振り向くことを一瞬期待でもしていたかもしれない。

 

「なしたの?」


 一人で戻ってきた私を見て、月村さんが不思議に思ったのだろう。

 

「ちんまいのとご歓談してた」


 頭にクエスチョンマークを浮かべている月村さんを横目に、私は再び長めに息を吐く。

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