第二週目「先生と箱とねずみ花火」3



 その日の放課後、私は執行部の部室にいた。

 

「遅いです、ね」


 ぎこちなく柏木さんが私に聞く。

 そう聞こえたのは、普段はポチが間に入って三人で会話をすることが多いのであまり二人きりに慣れていないことと、私が北条先生の件でほんのちょっとだけ機嫌が悪く見えたかもしれないことと、それからいくつかの小さなことが重なった結果だと思う。

 

「ちょっと用事があるからって」

「そうですか」


 明らかに落胆して柏木さんが返す。

 ポチはホームルームが終わったあと、あとから行くと言ってどこかに消えてしまった。

 大方図書室にでも行って新しい本を借りてくるのだろう。

 

「柏木さん、何かわかった?」

「いえ、今のところは。藤元さんは……」

「私も」


 なるべく感情を込めずに返事をした。

 先週柏木さんが紅茶をこぼしてしまったことで暗号が二つ見つかった。

 

 それらは二枚の短冊で、どちらも『何も書かれていない紙』だった。

 というよりも、何も書かれていなかったように見えた紙だ。

 

 紅茶が紙にシミを作って、白紙の短冊から文字が浮かび上がってきたのだ。

 内容以前に何も書かれていなかった短冊が束に混ざっていたのを、一応柏木さんが除けておいたものらしい。

 

 ポチいわく、ロウか何かをこすりつけてその部分だけ水を弾くように作ったものだろう、ということだった。

 蛍光灯の明りに照らして良く透かしてみるとそこだけ異なって反射をしているのがわかる。

 

 一枚目には、


『 b4 , b7 , a3 , b3 , a5 , c2 』


 とあり、二枚目には、


『 N=B Q 』


 と書かれてあった。

 

 紙を乾かしながらその場でしばらく考えてみたものの誰も有益な案を出すことができず、持ち帰りとなったのだった。

 

 私も週末にかけて数学の宿題のついでに何かひらめかないかと自己逃避をしながら考えてはみたけど、一向に何も浮かばなかった。

 もう少しヒントがあればいいのに、と見知らぬ製作者に愚痴をこぼしていた。

 

 ポチは何かの法則に従って文字が隠されているのではないのか、と言っていた。

 当然それだけでは、ヒントになりもしない。

 

「ポチ、遅いね」

「はい、そうですね」


 会話が持たず重苦しい空気が流れていた。

 

 私も人と接するのが得意ではない方だと自覚はしているが、柏木さんも相当なものだろう。

 かといってそれを打開しよう、なんて考えも私にはない。

 このままポチが来るまでじっとしていれば済むだろう。

 

「まあ、だいたいポチは色々適当すぎるからね」


 むしろ地に足がついていない、と表現したほうがいい。

 気がついたらいるし、気を抜くといなくなってしまっている。

 

「あ、あの、折り入ってお伺いしたいことがあるのですが」


 机の正面に座った彼女が、意を決したような表情で聞いてくる。

 じっと私を見つめて、決心したのか頷く。

 

「お二人って、付き合っているのですか?」

「な!」

「いえ、その、いつも仲が良いようですし」

「ななな! そんなことあるわけないじゃない!」


 私と、ポチが?

 そんなの、冗談にもほどがある。

 

「そうですか」


 納得したような、安心したような、そんな顔で何度かうなずいている。

 

「でも、どうしてそんなことを聞くの?」

「え? あ、い、いえ、別に、何か、あるというわけでは……」


 明らかに動揺している彼女に向かう。

 

「ひょっとして、間違っていたらごめんね、柏木さん、ポチのことが好きなの?」


 私の問いかけに彼女はうつむいてしまった。

 またも沈黙があって、部屋が静かになる。

 これは確定的と言っても良いのではないのだろうか。

 

 先週の彼女の振る舞いを見て、それに気が付かないのは当人のポチだけだろう。

 いや、ポチも気が付いていて、知らないそぶりをしているのかもしれない。

 

 どっちが良いだろうと考えてしまって、もやもやをかき消した。

 

「いや、うん、悪いとは思わないけど」

「……本当はよくわかりません」


 一応ポチのフォローを入れてあげようかと思っていたところで、彼女が言う。

 

「え?」

「良い人だとは思います。私は、小さい頃から男の子と話すのが苦手でしたので、緊張せずに話せるのは珍しいのです。御堂先輩とも十二分に話せますが、もちろん、後輩として接してくれているから緊張しなくて済むのですし」

「それは、そうかも」


 ポチは持っている空気からして気楽というか、どこか気の抜けたようなぼんやりとした性格だから、話しやすいというのはわかる。

 

 しかも気になったことはとりあえず相手に聞いてみる、という態度なので、会話の切り出しはいつもポチになる。

 話し上手というよりは、聞き上手なタイプだろう。

 

 クラスにも最初の一ヶ月で男女の区別なくすっかり溶け込んでいた。

 性別による扱いの違いがほとんどないのもポチらしい。

 

「だからといって、それで、その、好き、かと言われるとちょっとよくわからないのです。誰とでも話せる人柄に憧れているのかもしれません」


 憧れと恋愛の違い、か。

 そう言われてしまうと私にだって答えられない。

 

「藤元さんは、他に好きな人がいるのですか?」


 伏し目がちに、これから大切なことを引き出そうとでもしているみたいに彼女が質問してくる。

 

「うん、いるよ。ずっと会えてないけど、来週会えるの」


 とっさに出た答えはそれだった。

 もちろん相手はお兄ちゃんだ。

 

 誰かのことを好きかと言われれば、まず顔が浮かぶのはお兄ちゃんだ。

 年齢が離れているのもわかっている、自分を妹扱いしかしていないのも本当はわかっている。

 それでも、誰かを思い浮かべるのならお兄ちゃんしかいない。

 

「それは、良かったですね」


 それが良いことなのかどうかも、わからない。

 

「うん、だから、私とポチはなんでもないよ」

「私も何かあるというわけではないのですが」


 私に向かって、小さく笑った。

 

 もし彼女が真剣にポチのことを好きだというのなら、応援したい気持ちもある。

 二人のことだから本や何かで趣味は合うだろう、少なくとも私なんかよりは。

 

 そう思うのに、何かがチクチクするのはなぜだろう。

 

「あ、でも」

「なんでしょう」

「うーん、本当のところはわからないけれど、ポチは同じクラスの幼馴染と何かあるんじゃないのかなって」

「何か、ですか」

「付き合ってるとは言っていなかったけど、ただならぬ仲って感じ」


 それはクラス委員の紫桐さんだ。

 きりっとした顔立ちで多少厳しいところもあるけれど、皆をきちんとまとめてくれる、皆も認めるしっかり者だ。

 ポチと彼女は生まれたときから近所の幼馴染であり、幼稚園から同じだという。

 

「そうなのですか」

「だって、ポチ今一人暮らししているみたいなんだけど、ときどきその幼馴染が掃除をしに行っているっていうし」


 これはポチ本人から聞いたから間違いない。

 彼は幼馴染なんだからおかしいことなんて何もないと言い張っていたけど、ポチの若干の言いよどみも相まって、さすがに普通に思えない。

 

「私には到底考えられないですね」

「でしょ、だから怪しいと思うんだよね」


 柏木さんも同意見のようだ。

 

「その件はいずれ調査いたしましょう、私と藤元さんで」


 互いに顔を見合わせて、笑顔で相槌を打ち合う。

 

「遅れてごめん」


 そこへドアを開けてポチがやってきた。

 

「何? 何話してたの?」


 私達が同時に会話を止めて振り返ったことに驚いたのか、いぶかしげにこちらを見ている。

 

「べーつに」

「別に、です」


 私と柏木さんが順番に応える。

 

「悪い予感しかしない」


 苦笑いでポチが肩をすくめる。

 

「日頃の行いが悪いとそういう邪推もするものね」

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