第四週目「ロッカーと解答とパラシュート花火」2
保健室を出る直前で昼休みのチャイムが鳴った。
このまま教室に戻るのは気が引けたので、どうしたものかと廊下を歩く。
昼食の時間帯にざわめいている校内を避けていると、自然と靴を履き替えてロッカーに向かっていた。
日射しは強くなく蒸し暑さもなかった。
風は微かで服の間を優しくすりぬけていく。
「二人で会うのは、久しぶりだな」
ロッカーの前に立っていたのは一ノ瀬先輩だ。
今はヘッドフォンをしていない。
何となく、ここで会うのは必然みたいに思っていた。
「お久しぶりです」
冷静に振る舞う。
「話したいことがあるんじゃないのか?」
「では手短に。美術部の絹木先輩はご存じですね?」
「質問か?」
「はい」
皮肉っぽく片方だけ口の端を上げる。
「俺に質問する、ということは、質問される、ということだが」
「答えが得られるのなら」
新聞局に所属している、というのとは全く無関係に、先輩は常に情報を欲しがっている。
それがどんなに些細なことでも、積み重ねることで、あるいは他の情報を組み合わせることで、価値を持つ、と信じている。
「質問の答えは、イエスだ」
「そうですか」
あっさりと先輩は認める。
「じゃあ俺の質問だ。最近あいつに変わったことがなかったか?」
先輩があいつ、と呼ぶのはポチのことだろう。
「いえ、特には」
「だったらいいさ。全く日和見主義になっちまったな」
惜しいことをした、とぼそりと言う。
「先輩は、ポチとどういう関係なんですか?」
「あいつは何も言わないんだろう?」
「はい」
「だったらそれには答えられない。知りたかったら直接あいつに聞くんだな」
先輩が答えられない、というのだからこれ以上聞いても意味はないだろう。
過去に何かがあった、くらいしかわからないし、ポチもきっとこれからも教えてはくれないはずだ。
「絹木先輩のことをどう思っていますか?」
「そうだな、絵のことはどうでもいいが、まるでぐちゃぐちゃの感情を消化できないくせに、何とかまともに見せようとしているところなんかがいかにも人間臭くていいな」
私には到底理解不能な評価だった。
それでも、柏木さんが最初の頃に見ていた表面的な彼女ではないだろう。
なら、彼の方が彼女のことをわかっているということかもしれない。
「付き合っているんですか?」
「そんな申し出は一度も聞いたことがないな。少なくとも俺は受けた覚えも了承した覚えもない」
「……そうだったんですか、付き合っているわけではないんですね」
「向こうはそう思っているかもしれないがな。俺には関係ないことだ」
「関係ないって、そういうことはないでしょう」
無責任に聞こえた先輩の台詞に反応してつい出てしまった言葉に、先輩は新しいおもちゃを見つけたような楽しそうな顔をした。
「やけに干渉するな。
まるで『正義の味方』みたいだぞ」
「……何ですかそれ」
彼によってポチに与えられた『正義の味方』という称号を私にもつける。
ポチから先輩につけられた呼び名は『詐欺師』だ。
「いいや、『正義の味方見習い』か。じゃあ聞くが『正義の味方見習い』の杏ちゃん、そもそもどうすれば付き合っていることになるんだ?」
「それは……」
「『一方が付き合ってくれと告白して、それにもう一方が応じたら』なんて愚答はやめてくれよ」
見透かされた私の頬に熱を感じる。
「そんな契約主義で人間関係が成り立っていると思うなら、俺はもっと簡単に生きられるんだが」
対話をコントロールする術に長けている先輩は笑顔でそう言った。
「第一、あいつは俺の後ろをひよこみたいについてくるばっかりで、俺とろくに話もしてないんだぞ。登下校も気が付いたらいるし、無意味に部室に来たかと思えば何も言わずにじっとしているし、最初に絵のことで話しかけてからだな、ああなったのは」
それは、つまりストーカーというものでは。
「俺になんて構う暇があったら、似たようなのに『正義の味方』がいるからそっちにつきまとってくれって言ったくらいだが」
だからそのときに絹木先輩はポチのことを知ったのか。
それにしても『似たような』とは。
「先輩は、絹木先輩が告白したら、どうするんですか?」
「杏ちゃんがあいつに告白したら、どうなると思う? それとさして違いはないと思うぞ」
「な、な」
何を言っているんだ。
「前に言ったことを覚えているか?」
腕を組んで私を見下ろす。
言葉にせず首を縦に振った。
彼は私に向かって、君は普通の女の子でポチといても意味はない、と言い切ったのだ。
「そうだ、これは雑談なんだが」
前置きをして、息を吸い込む。
「杏の種は杏仁といって漢方なんかにも使うそうだが、杏仁豆腐の杏仁だな、わずかだが毒があるそうだ。体内で、青酸カリと同種の毒になるらしい。もっとも致死量まで食べることは普通ないだろうが」
無言で、彼の話を聞く。
とはいえ自分の名前なのだから、実はそのくらいの知識はある。
とはいえ他人に毒がある、と言われて良い思いはしない。
「撤回しよう。君はあいつに影響しない、と言ったが、どうやら俺の思い違いだったようだ。君は毒だ、甘い香りのする、な。あいつにとっての」
「ど、どういうことですか」
「いずれわかる。君は、あいつを好いているんだろう?」
「そ、そんなこと」
ない、と言いかけて、続きの言葉は出なかった。
彼の前で嘘をつくことは、自殺行為だということを知っている。
嘘、だって?
嘘もなにも。
「まあいいさ、そうやって行ったり来たりしていればいい。それこそがあいつの毒になる」
「どういう意味ですか」
「答える義理はないな」
そこで昼休みの終了を告げるチャイムが鳴る。
午後の授業まであと五分だ。
「じゃあな」
「ま、まだ」
話は終わっていないのに、先輩は軽い足取りで行ってしまう。
「おっと」
先輩の肩がぶつかってバランスが崩れる。
今日は地面が濡れていないので転ぶことはなかった。
「悪い悪い」
簡単な謝罪だけをして去っていく。
先輩がいなくなったあとで改めてロッカーの前に立つ。
二つあった南京錠は、一つに戻っていた。
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