金曜日「帰納法的分析(もしくは分散)」

金曜日「帰納法的分析(もしくは分散)」



 目を開ける。

 病室ではなく、もっと広い空間だった。

 どこかの街の交差点近くの歩道に立っていた。

 霧の中にいることには違いはないけれど、最初よりも薄く人影がまばらに確認できた。

 見覚えがあるようなないような夢だから色んなものがごちゃ混ぜになっているのだろう。

 

 周りを見渡しても、『私』はいなかった。

 前が一年前、その前が三年前だった。

 

 だとすれば、ここにいるのは『今』の私だろうかと、関連性がなくたってお構いなしの夢に順序だった秩序を無意識に求めていた。

 連続していても意味があるかはわからない。

 

 ともかくこの状況でどうすればよいだろうか。

 考えなくてはいけないことは山ほどある。

 

 たとえば……

 なんだっけ?

 解決しなきゃいけないこと、さっきまで覚えていたはずなのに、思い出せない。

 最初から、そんなものなかったかのように、すっぱりと記憶から消えている。

 何のことだろう、忘れてしまったのか。

 それとも、最初からなかったのか?

 何も、考える必要なんて、どこにも、なかったのか?

 頭の中を、ぐるぐると回る。

 問題が消えてしまった。

 そうだ、問題だった。

 眠る前の世界では、問題だと思っていたものだ。

 

 それはどこにやってしまった?

 誰かが隠してしまった?

 でもそれは誰?

 誰かがいたような。

 でも、思い出せない。

 探さないと、問題を。

 解くための、問題を。

 誰かが私に用意してくれた、問題を。

 

 そのためには?

 まず、行動だ。

 歩いて、歩いて、見つけないと。

 そうしないと、答えが見つけられない。

 

「なにしてんだ!」

「ふえ?」


 衝撃を肩の辺りに感じ一歩下がって尻餅をついた。

 猫みたいにぐいっと首根っこを掴まれて、後ろに飛ばされたのだ。

 ほんの一瞬あと、目の前を黒い大きな車が駆けていった。

 私との距離は腕ひとつ分しかなかった。

 交差点だと認識していたはずなのに足を進めてしまったのだ。

 霧の中だと思っているのは私だけで、私以外のものは普通に動いていたのだ。

 

 力が抜けて立ち上がれないでいると、もう一度首を掴まれてさらに後ろに引きずられる。

 

「痛い痛い」

「痛いじゃないだろ、轢かれるところだったんだぞ」


 踵が歩道の縁石に触れた感覚でようやく歩道まで戻ってきたことを知る。

 そこで襟から手を離された。

 顔を上げると私を引きずった張本人が腕組みをして私を見下ろしている。

 

「ぽ、ポチ?」

「はあ?」


 ぼんやりとした、眠たそうな瞳で、呆れたように私を見ている、学生服の男の子。

 

 紛れもなく、そこにいたのはポチだった。

 

「ポチじゃないの」

「何だよポチって、犬じゃあるまいし」


 いぶかしげな、面倒なものを捕まえてしまったという表情で首を傾げていた。

 

「何だよ、って……」

「ん?」

「ごめん、なんでもない」


 まだここは夢の世界だった。

 つまりこの世界では私とポチはまだ出会っていない、ということなのだろう。

 だから私がポチを知っていることも、これからポチと呼ばれることも知らないのだ。

 

「立てる?」


 差し出された手には触れず、両手で地面を押して体を起こす。

 

「何してたんだ? うっかり飛び込むような道路じゃないだろ」

「だって、霧が酷かったから、前が見えなくて」


 服についた埃と砂を払って、答える。

 

「霧? 何言ってるんだ? 頭でも打ったか? 今日は快晴だろ、雪だって降ってな……あれ、その制服、この辺りで見たことないな」


 ポチに言われて、私が引っ越す前の中学校の制服を着ていることに気がついた。

 

 それに辺りに霧もなかった。

 高くはないけどビルも並んでいる。

 見晴らしのいい交差点で数メートル先には横断歩道もある。

 街を歩く人たちがこちらを訝しげに眺めていた。

 

「え、ああ、こないだ、引っ越してきたの。四月、高校から、こっちで」


 なんとなく、駅向こうにある見えない高校を指差す。

 

「ああ、僕と同じ学校か、同級生かな。で、どうするの?」

「どうするって?」

「どこかに行きたかったんじゃないの? 道を知らないなら案内するけど」


 行きたい? どこへ? 私、何でこんなところにいるんだっけ?


「僕の名前は、城山口、城山でも山口でもない、城山口」


 そんなこと知ってるよ、と言いそうになったけれど、言葉は出なかった。

 

「あ、あ、私は、藤元」


 どうしよう。

 頭が、また、揺れて。

 潰れてしまいそう。

 

「フジモトさん、フジモトさん、ああ、クラスに一人いたような気がするけど。何組?」

「……一年、七組」


 耳の奥が、キーンと鳴り響く。

 もういやだ。

 もう、止めて。

 

「ああ、やっぱり。僕も七組なんだ。じゃあ、これからもよろしく」


 またも伸ばされたポチの手を、私はやっぱり掴むことができない。

 

 そうだ、これは夢じゃないか。

 

「とりあえず、どこかで休んだほうがいいんじゃない? 顔が真っ青だ」


 現実じゃない。

 本当に起こっているわけじゃない。

 

 この街も、目の前にいるポチも、ここにいる私も、全部偽者で、私が創った偽物だ。

 

「手持ちがないっていうなら、多少はあるから心配しなくていいよ」


 この夢を終わらせよう。

 ここにいてもどうしようもない。

 私は私を諦めて現実に帰ろう。

 いつものように、目を閉じて、想像する。

 

 壁にいくつものレバーが上を向いてくっついている。

 

「だから、ひとまずは休もう。何をするにもそれからにしないと」


 それはまるで、電気のブレーカーのようだ。

 それを端から、ひとつひとつ下におろしていく。

 全部おろせば、この夢ともさよなら。

 ブウン、と機械音がこの世界を消していく。

 

 あと少し、あと少し。

 真っ暗になっていく視界も気にせず、ブレーカーを落としていく。

 

 これで、最後。

 右端のブレーカーを、力いっぱい引き下ろす。

 

「大丈夫、僕が君を助けるから」


 そこで、夢は終わった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る