第三週目「お兄ちゃんとラジオとへび花火」5



 家に着くなり、お兄ちゃんは北条先生と帰ってしまった。

 北条先生は街中に自分のマンションを持っていて、お兄ちゃんもそこへ一緒に行くのだという。

 婚約者なのだから、それは当然だろう。

 

「またね」と玄関先で言うお兄ちゃんに私は曖昧に笑うことしかできなかった。

 

 今日はQQLのネットラジオがある。

 あとでサイトにもアップされるからリアルタイムで聞く必要はないとはわかっていても、そこはファン心理である。

 

 でも、お風呂にもそろそろ入らないといけないし。

 数秒の重要ではない逡巡のあと、お風呂を優先した。

 

 ゆっくりとお湯につかり、意識をぼうっとさせて、混濁した考えをいくつかまとめようと努力をしたり、結局諦めたりして、時間を過ごす。

 そういえば、夕方にもシャワーを浴びたっけ。

 

 考えなければいけないことが山積みされている気はしていた。

 その一方で、これらを無理に関連づけようとしている私もいた。

 

 部屋に戻り、髪を乾かしながらパソコンの電源を入れて、ラジオの時間が始まるのを待つ。

 今日は掲示板は開かないことにした。

 二人だけの声に集中をして、他の人を頭の中から外す必要があった。

 

 時間になるまでお気に入りのサイトをいくつか巡回し、メールを開く。

 ファッション通販サイトの新作紹介のメールがあったくらいで、それ以外は何もない。

 

 QQLのサイトを開き専用ページをクリックする。

 ソフトが起動して、接続が始まる。

 まだ無音だ。

 

 そして、ラジオの開始時間になった。

 

「あーあー」


 スピーカーから、間延びした男性の声がする。

 

 個人でやっているネットラジオなのだから、これくらいはいつものことだ。

 時間ぴったりに始まることの方が稀である。

 

「こんばんは、ユーリです。聞こえてる? 聞こえてるなら誰か書いて」


 今頃、掲示板では誰かが聴取報告をしているだろう。

 

「オーケー、聞こえてるね。ところで、先週公開のあの映画見た? そうそう、あの監督の。先週見るって言ってたやつ。あれ恵比寿で見たんだけどさ、あれって、予算の無駄使いって気がしない? 風呂敷を畳まないなら畳まないなりのやり方ってものがあると思うんだよね。つまるつまらないの問題じゃないよね。じゃあ、そろそろいこうか」


 毎度の定番、始まる直前に何かを言う。

 

 ここはサイトにアップされたときには必ずカットされているので、リアルタイム専用の特典みたいなものだ。

 音質が安定しないときには、五分以上一人で無駄話をしていたこともある。

 それに比べれば今日は調子が良かったらしい。

 

 無音のあと、軽快なジングルが流れる。

 

 ジングルがフェードアウトして、女性の声が聞こえる。

 

「QQLの『夜のラジオ』へようこそ。お話し相手は、私、ナルと」

「ユーリ」

「の二人でお届けいたします。一日の終わりの大切な時間、あと三十分だけ、私達と付き合ってね」


 跳ねるような、それでも丸い、優しい声で、ささやく。

 もの言いは柔らかく、おっとりとしているようで、子どものようにはしゃいだりもする。

 外見がわからないとしても、声だけで素敵な姿を想像してしまう。

 実際に観たときも、印象と寸分変わらなかった。

 この声が、QQLの作詞とボーカル担当のナル。

 

 その前に呟いていたのが、作曲担当のユーリで、ときどき意味不明な言葉を発し、理解不能な論理で聞き手を煙に巻く。

 超がつくほどの映画好きで、映画の話だけで放送が終わってしまったことも多々ある。

 

 そんなでこぼこの正体不明の二人が、QQLだ。

 

「ではまず一曲目から、『五分前は恋人だった僕ら』をどうぞ」


 フェードインから、ボリュームが上がっていく。

 恋人と永遠の別れをする五分前の心境を呟くように歌った曲だ。

 ナルの歌う『僕』がうつむいている。

 終わりのないものはないと自己正当化をして、どうにかなるかもしれないと楽観視して、やがて全ては仕方がなかったんだと諦めていく。

 

 嫌でも今日のことを思い出してしまう。

 

 大抵ラジオでは二曲か三曲が流れる。

 合間合間でメールや掲示板の書き込みを読み上げて、質問に答えたり、日常の話をしたりする。

 

 二人ともに音楽が専業ではないらしく専門的な話は少ない。

 ナルは洋服や旅行の話を、ユーリは映画の話をすることが多い。

 

 音楽が終わり、ナルが話し始める。

 

「あらためましてこんばんは。それでは、まずはメールから。

 ハンドルネーム『踊るイチゴ』さん。

『こんばんはナルさん、ユーリさん。私は高校生で、今まで友達だと思っていた男の子が、急に格好良くなってきて気になり始めています。私はどうすればよいのでしょうか? 友達のままでも満足していますが、いつか相手に彼女ができたらと思うだけでつらくなってしまいます。私のことをどう思っているのかは聞いたことはありません。こういうとき、お二人ならどうしますか?』

 あらあら、とても初々しい感じがして素敵ね、どうユーリ?」

「凶暴化したトマトが人間を襲う映画があったなあ」

「まさかハンドルネームからそんなことを考えていたの……」


 ずれた返答に呆れた声でナルがぼやく。

 

「じゃあ、告白したらいいんじゃないかな。気になるならはっきりさせたらいいと思う」

「ユーリ、結論が早すぎる。こういうのって、すごく大事なんだから」

「条件もわからないのに、うかつに答えられるわけない。ナルなら? 過去の経験を聞かせてよ」

「ふふっ、いいわ」


 含み笑いをして、ナルが答える。

 

「こういうときにはね、偶然を装って、徹底的に揺さぶってみるのよ。好きな人のことを話してみたり、共通の友達で付き合っている人がいればその話題を出してみるのもいいわ。『自分のこと気になっているんじゃないのか?』と思わせると、案外、向こうも気になってくるものなの。そういうことってない?」

「自分ならないけど」


 即答したユーリに、ナルはわざとらしい溜息をつく。

 

「鈍感なユーリには何を言ってもだめだけど、脈があるなら、きっと相手も何かアクションを起こしてくれるはず」

「そういうものなんだ」

「なるべく偶然を装ってね。偶然も重ねれば運命になるわ」

「確かに、一度目は偶然、二度目は奇跡、三度目は運命だ。でもそれ以上は」

「それ以上は?」


 楽しそうに、ナルが聞く。

 

「ただの作為」

「……夢のない話。まあでもそうかもしれないわね。でもね、踊るイチゴさん、いつかなんとかなるのは物語の中だけよ。恋愛は、切なくて苦しいものだけど、打つべき手はいくらでもあるわ、あなたが逃げない限り」


 澄んだ声で、ナルはメールの相手に宣言をする。

 

「ところで、さっきの作戦、成功したの?」

「そこは聞かないで」


 笑いながらナルが言う。

 

「一気に信頼性が落ちた」

「こほん、それでは次のメールを読みます。ハンドルネーム『ミカン祭り』さん」

「今日は果物ばっかりだ」

「コホン、

『私には憧れている先輩がいます。いつも凜々しく、正義感もあり、私みたいな後輩でも名前を覚えてくれて話しかけてくれるし、周りの評判もすごく良い先輩です。いつかその先輩のようになりたいのですが、どうすれば私はなれるでしょうか』

 ですって」

「知るか!」

「どうしていきなり大声なの……」

「こないださ、秋葉原の電器屋に行ったんだけどさ」

「何の話?」


 怒ったかと思うと突然自分から話し始める。

 まったくもって普段のユーリである。

 ナルは慣れているようで戸惑う様子もない。

 

「ついでにメイド喫茶に行ってきたんだけど」

「本当についでなの?」


 いぶかしげな声でナルが聞く。

 

「じゃあ、メイド喫茶のついでに電器屋にも寄ったんだけどさ」

「はい、それで結構」


 言い直したユーリに満足げなナル。

 

「ナルって、メイド服が致命的に似合わないよね」

「それは、どういう意味かしら?」


 ぴきぴきと血管の音がしそうなニュアンスで、ナルがユーリに問いただす。

 

「それはさておき」

「……聞き捨てならない」

「捨て置け捨て置け。欲しいケーブルがあったんだけど」

「でたケーブル」


 ナルが言うのも無理はない。

 何故かユーリは多種多様なケーブルを集める趣味がある。

 ユーリいわく全て必要なものらしいが、いつも買っているのですでに目的を見失っているのではないか、いやケーブルのために機材を集めているのではないかと掲示板やナルに言われだしているのだ。

 

「オーダーで切っていくタイプのものなんだけど、きっかり二メートルが欲しかったのに、残りが二メートルちょっとあったらしくて、切るの面倒だったのかこれでよろしいですか? って言われたんだ」

「長いから良かったんじゃないの?」

「良くない良くない、ちゃんと計算して買っているんだから。長ければいいってものじゃない。しかも、あとでレシートをみたら二メートル分じゃなくて、二メートル二十センチ分の料金だったんだよ」

「それで、ユーリはどうしたの?」

「もちろん、泣き寝入りした」

「ああ、そう……」

「それで、相談だ」

「え、戻れるの」

「結論としては、君がその先輩になることはできない。その先輩はその先輩であって、君ではないからだ。君がその先輩のことをどれだけ知っていても、君がどれだけその先輩の憧れるところを数え上げて寄せ集めても、それは個々の集合体であって、先輩そのものではない。詳しくはゲシュタルト心理学を学びたまえ。それはそうとして、君は君として、誰かに憧れられるようになればいい。以上」

「そうね、恋愛だって同じ。その人のことを好きな理由を一つ一つ挙げてみて、それを全て満たした別な人がいたからって好きにはならないわ。やっぱり、この人と決めたら、決まっちゃったら、他の人じゃダメ、そういうのって、もうどうしようもないのよ」

「けっ、恋愛脳め」

「とーへんぼくにはわかりません」


 それから二人は掲示板の書き込みからいくつかピックアップをして読んだ。

 大抵は今日の会話に対する突っ込みだったようで、ユーリが主に意味不明な論理で返している。

 

 時刻はまもなく十二時だ。

 

「あれ、そういえばユーリ、今日新曲公開スペシャルとか言ってなかった?」

「えっ? そうなの?」

「えっ? 違うの?」


 相変わらずかみ合わない会話だ。

 

「じゃあ、そういうことにしておく。今日は新曲スペシャルだ」

「ユーリ、あと五分しかないの……」


 急に自信満々な物言いになったユーリに、ぼそりとナルが突っ込む。

 

「ダメなのか?」

「ダメじゃないけど……」

「じゃあいいんだ」


 なんだかぐだぐだになっていく。

 

「うーん。そういうことにしておくわ。それでは、新曲を聞いて、おやすみなさい。新曲スペシャルの今週でした。詳しい曲のお話はまた来週。あとでサイトにアップしておくわね。曲名は『僕と彼女と打ち上げ花火』です、どうぞ」


 二人の声が消え、音楽が流れる。

 

 ちょっと前に流行ったポップスのような、ジャズのような、どっちつかずの音だ。

 いつものQQLの電子音はあまりしない。

 

 ソフトを閉じ、QQLのサイトを開く。

 先ほどの新曲がすでにアップされていて、ダウンロードできるようになっていた。

 

 それをダウンロードしウォークマンに取りこむ。

 

 何もやることがなくなる。

 まだ十二時を回ったばかりだけど、なんだかそれ以上起きていられる気もしなかった。

 ベッドにもぐりこみ、目を閉じる。

 まだケータイは開いていない。

 今日は充電しなくても大丈夫のはず。

 

 ゆっくり、優しく、落ちていく。

 眠っている間は、まだ大丈夫。

 充電が必要なのは私の方だ。

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