第三週目「お兄ちゃんとラジオとへび花火」
第三週目「お兄ちゃんとラジオとへび花火」1
相も変わらず放課後の執行部。
「やっぱり、彼女に話を聞いた方がいいんじゃない?」
ポチは首を縦に振らない。
「それは、全くもって無意味だ」
「どうしてよ」
いつもより強い口調で、明確な否定をする。
「彼女がこの暗号製作者だとして、確認してどうすれば良いの? 『あなたが作ったんですか』『はいそうです』となったところで、この暗号が解けたわけじゃない」
「それはそうだけど、どうして短冊につけたくらいは」
「マイナスにはならないと思うけどね、プラスにもならないと思うよ」
「どうしても伝えたいことがあるかもしれないよ」
「それはないと思う。だったら最初から暗号も使わずに投書でもすればいいんだ。それでも聞きたいっていうなら、杏さんを止めはしないけれど……」
「けれど?」
もっともな意見を言いつつも、歯切れの悪いポチに続きを促す。
「それってつまり、このゲームから降りた、ってことを宣言するようなものじゃないかなあ」
「どういうこと?」
「だからさ、今彼女の出した暗号を順に追っていっているとして、もちろん、彼女が製作者、だと確証があるわけじゃないけどね」
「……いえ、おそらくは絹木先輩で間違いないと思います」
私達の会話に横から、ぽつりと柏木さんが入る。
「足跡があったから?」
彼女は美術部らしい。
校内に部室を持つ文化系である美術部があのロッカー群を使っているとは考えられない。
美術部の部室は三階中央階段を上がった先の吹き抜けの側だ。
柏木さんは否定をする。
「それもありますが、ロッカーについていたメモは彼女の文字に似ていたように思います」
「そう、まあ、彼女が関係していることは間違いないとみていいだろうね。で、それを直接彼女に聞く、ということは、ゲームを降りたことと変わらないんだ。いや、どっちかというと、ゲームの途中で攻略本を見るようなものだよね。少なくとも、『彼女が関与していること』は暗号そのものには存在しないヒントになってしまうわけだからさ」
ま、僕は降りてもいいんだけどね、と投げやりにポチは言った。
「わかった、じゃあ、止めておく」
私は横に座っていた柏木さんを見る。
彼女も小さくうなずいた。
「そう。もう知っちゃった以上、完全にフェアかどうかはわからないけどね。アンフェアついでに言うなら、彼女は一ノ瀬先輩とも面識があるんだよね」
「……そう、だよね」
一ノ瀬先輩と絹木先輩の共通点、それはポチのことを『正義の味方』と呼ぶことだ。
ポチが心底嫌がっているその呼び名を使うのは、どうやら一ノ瀬先輩だけだったらしい。
それを知っているということは、当然絹木先輩は一ノ瀬先輩と知り合いで、そして一ノ瀬先輩がポチのことを話す程度の仲ではある、ということだ。
「もちろん、それだけじゃない」
「えっ?」
私の表情から考えを読み取ったようで、同意しつつ付け足しをする。
「実は一ノ瀬先輩に四月に話を聞いたんだ」
四月の終わり、私とポチは執行部に入部したときに起こった幽霊騒ぎを二人で調査した。
そのとき新聞局員でもある一ノ瀬先輩にも話を聞いていた。
いたからこそ、あんなことになったのだけれど、それはおいておいて、だ。
「杏さんには話さなかったけど、美術部員でも見た人がいたって先輩は言っていたんだ」
「でも、それが彼女だという証拠はどこにもないんじゃない」
「そうでもないよ」
ポチが書類の溜まった棚を指す。
「生徒総会で予算組みしたでしょ。二年生の美術部員は二人しかいなくて、一人は男子なんだ。だから、先輩が言っていた美術部員っていうのは彼女のことのはず」
五月に生徒総会が行われ、そこで各部の予算が承認される。
その予算を決定するために五月一日付の部員名簿が必要になるのだ。
その日付の人数に応じて部費の一部が決定されるだけに、四月の一年生争奪戦と引きとめ作戦は熾烈なものとなる。
私達の執行部も名目は部活動なので、予算を自分達で計算し、自分達で配賦をする。
「良く覚えているねポチ」
「うん、まあ、自分が担当したからね」
確かに、名簿には氏名と学年、クラスが書かれたはずだ。
ときどきポチの記憶力には驚かされる。
それも大体はどうでもいいような隅っこにあるものを覚えている。
私なんか、忘れようにもそもそも憶えていないことばかりだ。
「でも、もう一人の美術部員、だってありえるじゃない?」
「一ノ瀬先輩は男子の話なんか聞かない」
さも当たり前のように先輩の性格を断言する。
ポチほど先輩のことを知っているわけではないので、それが事実なのか、冗談なのかの区別はつかない。
「面識があって、新聞局に投書をしたってこと?」
「たぶん、ね。だとすると、一ノ瀬先輩も彼女が当人だっていうことくらいは気がついていると思う。そんなことも匂わしていたしね。僕達と競う条件がフェアじゃないと思ったから言ったんじゃないかな」
深く溜息をついて渋々といった顔で言う。
私はともかく、一ノ瀬先輩を知らず、あのときその場にいなかった柏木さんに説明するためだろう。
「ホールで会ったとき、彼女は僕のことを『正義の味方』だと言った。そのフレーズを言う人間は、今は一人しかいない」
今は。
ということは、昔は他にもいたのだろうか。
ポチと一ノ瀬先輩の関係性は未だにわからない。
互いに良く思っていないという雰囲気もあるけど、それだけではない繋がりを感じる。
対等な何か、というのが近いのかもしれない。
ポチが腕組みをして首を捻る。
「だとすると余計にわからないんだよな。二人は面識がある。先輩は絹木先輩がやったと思っている。絹木先輩は絹木先輩で、短冊だけじゃなくて新聞局にも投稿している。でもどうやらそのことについては二人が示し合わせているようでもない。もっとも先輩の言葉を信じればだけれど。これは何だ?」
首をぐるんぐるんさせて考えている。
「あの、あの方、新聞局の方ですよね」
柏木さんがおずおずと会話に入ってくる。
「そうだよ」
「そうですか、絹木先輩と一緒にいるのを何度かお見かけしたことがあります」
「やっぱりそうなの? 付き合っているのかな?」
私の台詞にポチが眉をひそめる。
「一ノ瀬先輩に恋人? 利用されているんじゃなくて? どうにも信じがたい」
ここだけ切り取れば随分と酷い言い草に聞こえる。
だけど、私も似たような感想だ。
失礼かもしれないけれど、一ノ瀬先輩に恋愛感情というものが存在しているとは思えない。
「最初はお付き合いをしているのかな、と思っていたのですが、どうも絹木先輩があの方の後ろをついて歩いているだけ、のようで」
「えーっと、絹木先輩が片想いしている、っていうことかな」
「一ノ瀬先輩を好きになる人間がいる、ということも信じがたい」
重ねてポチが疑問を呈する。
「それは自由だと思うけど」
「そうだね、自由だ」
確かに一ノ瀬先輩は、何も言いさえしなければ格好良い方に分類されるので外見で好意を持たれることはあるだろう。
しかし会話をして、それでも好きでいたとしたら絹木先輩もどうかしている。
「絹木さんってどんな人?」
私はぼうっと私達を見ていた柏木さんに声をかける。
彼女は私達を交互に見つめて、ようやく自分に質問されたと理解したようだ。
やや間があって、大きな瞳を真っ直ぐに向かい合っている私とポチの中間地点に向ける。
「絹木さんは、私の先輩です。いえ、でした、といった方が正確でしょうか」
柏木さんは訥々と語る。
「無口で、静かな方です。悪く言う方は、愛想がないとも言っていたと思いますが、あまり他人の評価は気にされていないようでした」
彼女は思い出しながら、中学時代の先輩の話をする。
「一年生のときから、いくつかのコンクールで賞を取っていたと思います。とても緻密で細やかな静物画を、よく一人で黙々と描いていました。学校祭のポスターなども描いていました。これは美術部員全員の役割でもありましたが。そうですね、チェスも何度かお相手いたしましたが、基本に忠実な、定跡を好むタイプでした」
「そうか、彼女もチェスを知っているんだね」
こくん、とうなずく。
「だったら、この暗号を思いついたのも不思議はないね」
「はい」
「そっか、じゃあ柏木さんのことを知っていて、解けるだろうとこの暗号にしたのかな」
「……それは、わかりません。私のことなんて覚えていないかもしれません」
高校生でどれだけの人がチェスのルールを知っているのだろう。
そしてその盤面の読み方を知っているのだろう。
ボードゲーム部以外にそれほど数がいるとは思えなかった。
「私は、先輩に憧れていたのだと思います。目標といってもよかったかもしれません。その基本を忠実に再現する静かな姿勢を見て、いつか、先輩のようになりたい、なれるのではないかと勝手ながら思っていました。先輩が卒業する間近までは……」
「何かあったの?」
「ああ、いえ……」
彼女が言葉を濁す。
沈黙があり、意を決した顔で、続ける。
「先輩が卒業する直前で私は二年生が終わろうとしているところでした。その頃には、私も彼女ほどではないものの、少しは近づいている、と錯覚をするほどでした」
錯覚、という言葉で、彼女は自分を表現する。
「美術室に忘れものをしてしまった私は、そこで先輩が絵を描いているのを見ました。卒業制作も終わっていましたから、ただ自分のために描いていたのだと思います。その光景を見て、私ははっとしてしまったのです」
彼女の語りに私達は何も言えない。
まるで短編集を朗読されているようだった。
「先輩は、私の知っている先輩ではありませんでした。普段の椅子に座り黙って対象物を描いているような姿ではなく、両手を広げたほどのキャンバスに、一心不乱というのが適切なほど全身を使って、自分の制服が汚れるのもかまわず、筆を走らせていました。それは、精密には程遠い一見すると何を描いているのかもわからないような抽象的な色使いでした」
ロッカー群のところで見た彼女の顔を思い出す。
暗い、といっても言い過ぎではない。
神経質そうにも思えた。
柏木さんも、そのときまでは私とそれほど離れていない印象を持っていたのだろう。
「私が美術室に入ったことも気がつかない雰囲気で、色を次々と変え、キャンバスを埋めていました。何を描いているのか全くわかりませんでした。ただ、その絵から目が離せなかったことだけは覚えています。そして、私の中の何かが崩れていくような気がしました。私が憧れ、目指そうとした、目指せると思っていた先輩は、本当はこのような絵を描く人だったのです。力強く、何者にも制限されないような、見る人の内面を鋭く抉るような絵を」
絹木先輩の話というよりは、もはや柏木さんの話だ。
「私は先輩に声をかけることもできず、その場を後にしました。私は怖かったのだと思います。自分が彼女に決して届くはずがないことをどうしようもないくらいに理解してしまって、彼女の一面しか見ていなかった自分がどうしようもないくらいに恥ずかしくなってしまいました。思いあがりも甚だしく、私は特別ではない、と悟ってしまったのです」
誰だって、私だって、心のどこかで自分は特別な人間だと思いがちだ。
そうでも思わなければ、何もできない。
自分にはできると言い聞かせてなんとか問題を乗り越えようとしているばかりだ。
そしてその根幹を、彼女は打ち砕かれてしまった。
「ですから、私は絵筆を置きました。私は先輩のようにはなれなかったのです。今は何かを創ることはできないので、せめてサポートくらいはできるようにと、執行部を選んだのです」
心情を吐露したところで、彼女は悲しそうな笑顔を取り戻す。
「……すみません、こんな話をしてしまって」
「いや、うん、ありがとう」
ポチの言葉に、柏木さんはきょとんとする。
「正直言うと、柏木さんが執行部にいるのが不思議だったんだ。もちろん、他の人もそうだけどね。よほどのことがない限り、こんな地味な部活に入るくらいだったら、他の部活か帰宅部を選ぶと思うからさ。執行部の存在意義は十分に理解しているつもりだけど、普通はそうなんじゃないかな、と思って」
と言い、ポチは私を見る。
ポチを執行部に誘ったのは私だ。
そして私は、かつてお兄ちゃんが所属していたという執行部に興味を持っていた。
今でもポチが部を辞めていない理由は単に自分用のロッカーを使えるということくらいだろう。
「でもさ、僕が言うのもなんだけど、それでいいんじゃないかな。時間が解決してくれるなんて説教じみたことは言わないけれど、もし本当に自分が描きたくなったら、たぶんまた描いているよ。自分しか描けないものはきっとあるはずだから」
柏木さんは、うなずきもせず、ポチを見つめていた。
「まあ、僕は先輩のようなタッチの絵よりも、柏木さんのこの間の、七夕のときの絵の方が好みだよ」
「あ、はい、ありがとうございます」
まったくポチは一言多い。
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