第二週目「先生と箱とねずみ花火」4
翌日。
昨日の夜から今朝にかけて強めの雨が降っていた。
通学する時間にはすでに上がっていて、道路が光を反射していた。
「まだわからないの?」
自分も全くわかっていないことを棚に上げて、首を斜めに曲げたままの姿勢で固定しているポチに声をかける。
右手の指で唇をもてあそんでいた。
放課後、もはや恒例となって三人が集まっている。
何度か先輩達がやってきて、ロッカーから荷物を取っていった。
特に仕事はないようで、二言三言会話を交わすくらいだった。
何をしているか興味を持ちそうな先輩もいたけどそこは何とか誤魔化しておいた。
まだ私達一年生の秘密だ。
「だめだ」
ポチが音を上げてしまって後ろにうなだれる。
ポチにしては珍しい言葉だ。
「うーん、アルファベットと数字の組み合わせで、一つのアルファベットを構成するんじゃないかなあ、とは見当つけてみたんだけど、それ以上の考えが浮かばないんだよなあ。もう一つの暗号と何か関連性があるのかも、とまでは思ったんだけど」
誰に言うでもなくぼそぼそと自分に言い聞かせているみたいだ。
「二人は?」
ポチの振りに示し合わせたように私達は首を横に振る。
「今日もダメ、と。ところで、この期限はいつまでなんだろう。実はもうとっくに期限切れだったりして」
「……そうかもしれません」
投げ出したポチに柏木さんも同意する。
七夕の飾りがかけられたのが七月の一日だ。
この短冊がいつかけられたものかはわからないけれど、執行部が触れることになるのは七日以降の片づけのあとになる、ということは相手も考えているだろう。
最初の短冊ならともかく、一見何も書かれていないように見える短冊をあの沢山の中から見つけられる人はいないはずだ。
そもそも、これが執行部宛ての暗号なのかもはっきりしていない。
別な特定の誰かに向けて作ったものかもしれないし、仕掛けたのが同一人物だという保証すらないのだ。
「何か気分転換でもしようか」
「そーね」
私とポチが部屋の隅に目をやる。
入口からは見えない位置に種々のボードゲームがうずたかく積まれていた。
二年生部員の趣味で置かれたものだが、自由に使っていいことになっている。
私はその隅まで歩き、すでにその積まれ具合がジェンガの様相を呈している一角から何を選ぼうか考える。
「トランプ、はないか」
汎用性の高いトランプはなかった。
誰かが持ち出しているようだ。
それ以外の三人で出来そうなものといえば、人生ゲームかモノポリーくらいだろうか。
後者のルールはちょっと怪しい。
「では、チェスなんてどうでしょうか」
「チェス?」
柏木さんの提案に首を傾げる。
「三人なら三回で終わりますし、そこにチェス盤と駒が二セットあったはずですので、私が同時に相手をしてもかまいません」
あまり自分から意見を言わない彼女の発言に驚く。
盤の数まで把握している。
「実は私、中学のときに部活でチェスをやっていたのです」
「チェス部? 珍しいね」
ポチの感想に彼女がかわいらしく首を小さく振る。
髪が遅れてついてきた。
「いえ、当時は美術部だったのですが休憩時間に始めたチェスに全員が参加するようになったため、一大ムーブメントとなってしまったのです」
「そうなんだ」
むしろ彼女が美術部だったことが気になる。
いつも静かな雰囲気なので美術部にいたということは信じられるが、どうして高校ではわざわざ美術部ではなく執行部を選んだのだろう。
執行部は存在こそメジャーだけど入部する人は滅多にいないし、特別な理由でもなければ入ろうとは思わないだろう。
でもその疑問は口に出さないことにした。
そういうことに立ち入るほどの関係ではまだない。
理由があって、私達に伝えることがあるのであればいつか彼女から話してくれるだろう。
「でも私、ルールは良く知らないよ」
「僕も、だいたいの動き方くらいしか」
「私のロッカーに初心者用のハンドブックがあります。それを見ながらでしたら良いのではないかと思います」
二人の消極的な意見に彼女が返す。
「じゃあ、やってみようかな」
せっかくだし、やってみることにしよう。
新しいことに挑戦するのも悪くない。
それにもしかしたら彼女はチェスをする相手を探していたのではないだろうか。
「それでも僕は勝てる気がしないけれど。できればハンデが欲しいな」
「最初はいくつか駒落ちでやってみましょう」
「それなら」
ハンデあり、という条件でポチも受ける。
私にもハンデをつけてもらおう。
「そうですね、ではルークとビショップ抜きでやって、あ」
「え、どうしたの?」
動きが止まった柏木さんに話しかける。
確認するようにゆっくりと何度かうなずいて、彼女が口を開く。
「あのひょっとしたらなのですが、違うかもしれないのですが、この番号はチェスの盤面を表しているのではないでしょうか」
「どういうこと?」
「今説明します」
私の横のボードゲーム置き場まで行き、薄っぺらいチェス盤を持ってきてそれを机の上に置く。
「チェスは8×8の64マスがあるのですが、その位置を横はアルファベットで縦は数字で表記するのです。たとえば、a1ならここ、b2ならここ、となります」
柏木さんがマスの上に指を置いて説明しながら指をスライドさせていく。
「ですから暗号の通りに置くと」
背の低いコマを、暗号に書いてあったのに従っておいていく。
「このようになります」
暗号の順に、ポチがb4 , b7 , a3 , b3 , a5 , c2と読み上げながらコマの先端に触れる。
「確かに、辻褄は合うね」と言い、「でも」と続ける。
「この配置に、何か意味はあるだろうか」
「そうですね……」
三人が上から盤面をのぞきこむ。
しばらく眺めてみても、誰も何も言わなかった。
「やっぱり違いますね」
落胆した顔で柏木さんが諦める。
「いや、待てよ」
「え? どういう……」
「あながち間違いじゃないかもしれない」
ポチが私の言葉を遮って続ける。
「うんうんうん」
唸りながらポチが白紙を取り出す。
「可能性は考えていたんだけど、ヒントがなかったからしらみつぶしにやろうとは思わなかった」
可能性、といういつもの台詞だ。
「まだやってみないとわからないけど、頭の中で最初の数文字は試してみた」
ポチがペンを走らせる。
「コンピュータで使われる十六進法はやってみたんだけどね。アルファベットと数字のワンセットで一つのアルファベットを表すんだ。そうかそうか、アルファベットが出てくるから十進法以上だと思わせるミスリーディングがあったのか。いやいや深読みして引っ掛かったのは僕だけなのかな」
「ちょっとぶつぶつ言ってないで説明してよ」
「もちろんもちろん」
こういうときだけポチは饒舌になる。
心底楽しそうにサインペンで図形を描いていく。
8×8のチェスのマス目だ。
マスの中に、アルファベットを左下から上へと埋めていく。
「まあ、簡単に言うとね、a1がaで、a2がbとなって、続けてa8をhと置いたら、次はb1がiになる。アルファベットを全部埋め尽くすには、d2まであればいいね」
d2にzを描きこんでから、短冊にあった場所を丸で囲んでいく。
「l,o,c,k,e,r」
一文字ずつ、はっきりと発音する。
「ロッカー」とポチが単語で言い直し、
「ロッカー?」と私が軽い疑問形で聞き、
「ロッカーですね」と柏木さんがうなずく。
「なんだろう、ロッカーって」
ここまで言ってポチは最終的には投げっぱなしだ。
「うーん、何かを入れておくならロッカーっていうのも当たり前かもしれないけど、でもどこのロッカーなのかがわからないと……」
「たぶん、学校にあって、誰にでも触れるところじゃないかな」
私の疑問に、さもまるでずっと前に気付いていたかのように答える。
「どうして誰にでも触れるところってわかるの?」
「だってそうじゃないか、特定の人にしか触れないなら、暗号としてロッカーはおかしい。変な話かもしれないけれど、これはどっちかというと、暗号製作者を信じるしかないわけだね」
「そうですね」
ポチの熱弁に柏木さんが納得する。
「靴箱、教室のロッカー、部室のロッカー、それ以外でロッカーと呼ぶべき場所が、この学校のどこかにある?」
私と柏木さんを見て、ポチが質問する。
「わかりました。例の廃ロッカーですね」
柏木さんの回答にポチが大きく首を縦に振る。
「あっ」
廃ロッカーとは先週の執行部の打ち合わせのときに出ていた言葉だ。
校舎の外、部室棟のひさしに隠れるように置かれているロッカー群で、十年ほど前に置かれたものと言われている。
南京錠やチェーンタイプのカギをつけられるようになっていて、空きがあれば自由に使われている。
問題はこのロッカー群が大分ガタついていて、そろそろ補修をしてほしいと一部の生徒から要望が出ていたことから始まった。
誰がどこを使っているのかもわからない。
補修するにも予算がない。
これを機に撤去すべきなのでは、いやいや現に利用者がいる以上、利便性を考えて正式に管理をすべきだ。
と執行部内でも意見がわかれ、各自来週まで持ち帰りとなったものである。
「調べてみる価値はありそうだね」
もちろん三人の誰もポチが考えたロッカーという言葉が絶対に正解だとはまだ断定していない。
ポチではないがたまたまこの単語になった可能性だってある。
しかし、行ってみる意味はあるだろう。
執行部内の話し合いに参加するためにも一度は行かなければいけないし、無駄足にはならないはずだ。
「そうすると、残る一つの暗号もチェスと関連があるのではないかと思うのですが」
「N、B、Qは」
「Nはナイト、Bはビショップ、Qはクイーンではないでしょうか」
駒の名前くらいなら私も知っている。
「じゃあ、このナイトとビショップが同じ、というのはなんだかわかる?」
「そこまでは……、いえ、ちょっと待ってください」
柏木さんが部室に置かれている自分のロッカーを開けて中から本を取り出す。
チェスの初心者用の本のようだ。
ルールを覚えるために借りてきたのだろうか。
ぺらぺらとめくりながらどこかを探している。
「ありました。『駒にはそれぞれ強さがあり、それを点数化したものがある。それらの合計の差が大きければ大きいほど、有利と判断され、それをマテリアルアドバンテージと呼ぶ』と本にあります」
「うん、それで」
「ナイトとビショップの点数は同じく3で、クイーンは9とするのが一般的である、だそうです」
「つまり」
ポチが、導き出した答えを言うよう柏木さんを促す。
今聞いた中で、私にも、当然ポチにも答えはわかった。
ただ、それを発見した柏木さんが言葉にして言うべきだ、とポチは言わんばかりの仕草だった。
一呼吸置いて、彼女が口を開く。
「3と9、です」
「ロッカーの39番か3の9番か、ということだね」
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