勇気の使い所 4/6
夜九時を回った頃だろうか。岡本食堂に、中学生が一人やってきた。身長百八十センチ以上ある、筋肉質の男の子。サムソンと呼ばれていた彼だ。
普通、中学生が来るような時間帯ではない。しかも、サムソンは食べ終わってからもずっと座敷に座っていた。そろそろ十一時になる。
「ありがとうございましたー」
学生二人組が店を出て、お客はサムソン一人に。悠は座敷に上がると、サムソンの前に座った。
「どうしたの?」
にっこり笑ってそう聞くと、サムソンはハッと浮かない顔を上げた。
「こんな時間に一人で。おうちの人心配するんじゃない?」
「……心配なんて、してないですよ」
「何かあったの?」
「いや……ちょっと、まあ、親と喧嘩して」
「うんうん」とうなずきながら話を聞く。
「家飛び出したんです。その後はその辺をフラフラしてました……」
「で、お腹すいてうちに来たの?」
「はい」と苦笑いでサムソン。
「親は絶対、『腹が減ったら帰って来る』って思ってると思うんですよ。だから、帰るのが癪で、ここで食べる事にしました」
「分かるなー。私も親と喧嘩して家飛び出したことあるから。結局帰ったけど、帰るのって勇気いるよね」
「そうですね……」
悠はズボンのポケットをまさぐった。
「あげる」
サムソンの前に置いたのは、一個のミルクキャラメルだ。
「これでも食べて、勇気出して帰りな」
*
岡本食堂が定休日の水曜。悠は詩織達とお昼を食べに大学にやってきた。
「ねえ黒川くん、美紀ちゃん。これ知ってる?」
悠が二人の前に見せたのは、例のアンケート。二人にもやらせようと楽しみにしていたのだ。黒川君は一目見て開口一番「ああ、これですか」
「僕の場合は……」
黒川くんが書き込むのを隣に座る詩織と悠が覗き込む。彼の結果は
体の性 男
心の性 男
好きになる性 女
何の変哲もない男。つまらん。「へえー」と一言で悠は美紀の手元に視線を移した。美紀は、体の性を女に丸を付け、心の性で止まった。
「んー、女……うーん」
美紀は女から少しだけ外れた場所に丸を書きこんだ。きたこれ!
「へえー! 美紀ちゃんは心の性ちょっと女から外れてるんだね!」
何だか嬉しい悠。詩織は「えー?」と何故か納得いかない様子。美紀はまだ「うーん」と悩んでいる。
「何か、周りん女子とはちょっ違うよな気ぃすんだよね」
「そうなんだー!」
何だか嬉しい悠。そして、何故か納得いかない詩織。
「えー? じゃあさ、男寄りってことなの?」
「ん」と美紀。
「男寄り? えー男? ……うーん、あー……」
美紀はバツを書き込み、女の上に丸を書き直してしまった。
―― くそ! 詩織、余計な事を!
つまらん!
*
朝、悠は岡本食堂に出勤するため、道を歩いていた。すると、雑居ビルの前に見覚えのある大きな人影が。
サムソンだ。ビルの入り口で立ち止まって、顔を伏せている。
目の前のビルに入っているのはバーにマッサージ店、産婦人科クリニックなど、サムソンが利用するようにも思えないものばかりだ。授業があるはずの時間にそんな場所で何をしているのだろう。
足音で気付いたのか、サムソンは顔を上げた。二人の視線が合う。悠は何か言おうかと迷った末、何も言わずに通り過ぎた。
よく見知った顔なら、あるいは、お店でなら悠は間違いなく声をかけたはずだ。声をかけなかったのは、仕事中でなくスイッチが切れていたことや、お互い自己紹介もした事がない間柄だったからだろう。だから、何となく勇気がでなかったのだ。
事件はその後すぐに起こった。
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