第二話 鏡

鏡 1/6 ~ぶっとび美紀~

 毎週水曜は、悠と詩織は大学で一緒にお昼を食べる。今日も悠は大学に入ってすぐのウッドデッキで、詩織を待っていた。

 講義棟の方から詩織が歩いてくる。手を振ってそっちへ向か嘘して、今日はどこで食べるか話し合う。

「待ってて体冷えちゃった。どこか建物の中で食べたいな。白いご飯だけタッパーに入れて持って来たから、何かおかずだけ買って。国語棟はどう?」

「今日はホルス達がいるから、別の場所にしたい。ATM寄ってもいい? お金下ろすから」

 二人は大学の奥へと向かって行った。ATMがあるのは大食堂の裏だ。講義棟を横切り、サークル棟の前を通り抜ける。そこで、妙な物が二人の目にとまった。

「ねえ詩織…あれ見て」

「うん…何だろ」

 道の脇にはツツジの植え込みが続いているのだが、その切れ間から人の足が見えている。それも靴も靴下も履いていない、完全な素足だ。通る学生がちらりちらりと視線を送りながら通り過ぎていく。

 二人は他の学生と同じように一目だけ見て通り過ぎようとした。しかし、見た瞬間二人とも足を止めた。止めざるを得ない。植え込みの切れ間、芝生の上にうつ伏せで、しかも裸足で寝ている、ツナギの上にジャンパーを着たチリチリパーマの女の子。それは

「…美紀?」

「…」

 詩織が呼んでも眠ったままピクリとも動かない。

「ねえ美紀!」

「美紀ちゃん!」

 二人に呼ばれて美紀はやっと反応した。

「んぁ…あ? 誰?」

 頭を何とか持ち上げている、といった感じでまだ起き上がらない。

「誰じゃないよ。なんでこんなとこで寝てるの?」

 美紀はゆっくり体を起してあぐらをかいた。

「なんだ詩織か……ん? 今何時」

「十二時すぎ。昼休みだよ」

「あそう。…え、きょ火曜?!」

「水曜だよ。悠がいるんだから」

「え悠さん? どこに…あ、おあよざいます」

 詩織の奥の悠にやっと気付いたらしい。美紀は両ひざに手をついて頭を下げると、そのまま仰向けに倒れた。『今日』が『きょ』、『おはようございます』が『おあよざいます』に。相変わらず言葉の発音がいい加減だ。

「ねえ美紀、ここでずっと寝てたの?」

「ん? んん…や、今朝から。昨日は部室で寝た」

「え? なんでわざわざここに来てまた寝たの?」

「んん…ざいすかんーか」

「え?」

「ざいす」

「座椅子? 座椅子が何?」

「んん…けつうんーなよ。なかんほえが」

「え?」

 美紀は畳んだ自分の腕を枕にして横向きになった。まだ眠るつもりらしい。

「美紀ちゃん、体冷えるよ。起きて私達と一緒にご飯食べようよ」

 悠が声をかけると、詩織の時より比較的しっかり返事がきた。

「だいじょぶす。も起きて部室行きます。カップ麺あんで、食べます」

「そう。でも靴は履いときな。…あれ? ねえ美紀ちゃん、靴は?」

「部室れす」

 詩織がしゃがんで美紀をゆすった。

「ねえ美紀、ここで寝るのよくないって。風邪ひくから部室行きなよ」

「だいじょぶ。三限わったらちゃんと起きっから。起きなかったら詩織、モーニングコールして」

「え、三限終わったら? あのさ、今日水曜だって。四限は授業ないよ」

「え、きょ火曜…あそか、悠さんいるから」

 美紀はそう言いながらやっと立ち上がった。伸びをして上半身をひねり、ポキポキ音を立てている。

「美紀、大丈夫? 疲れてそうだけど」

「んん。こん後、ちょっだけやったら休む」

「『やったら』って?」

「んん」と答えると、美紀はのそのそとサークル棟へ向かって行った。

「…美紀ちゃんのぶっ飛び行動、久しぶりに見たな」

 悠がつぶやいた。このところ美紀は彫刻に打ち込んでいて、悠や詩織の前でぶっ飛んだ行動をする事が少なくなっていた。

「そうだね。私も久しぶり」

 二人が最後に見たぶっ飛び行動は数週間前。三人で食事をしていた時だった。美紀は、不注意からお気に入りの服の袖口にごま油を付けてしまった。とたんに「ああこれあぶらあ!」と大声をあげ、すぐさまカバンからハサミを引っ張り出した。二人が「まさか…」と思うが早いか、美紀は袖口をハサミで躊躇なくチョキチョキ切り出したのだ。しかも油が付いた片袖のみ。詩織によると、美紀は片袖だけ短くなった状態のまま、今でもその服を着ているらしい。

 最近は悠も美紀のぶっ飛び具合に慣れてきて、何をやってもだいたい笑って見ていられるようになった。

「ねえ詩織、美紀ちゃんが作ってる作品、見た?」

「ううん、見てない」

 悠は美紀の作品を一つも見た事がない。詩織も、高校時代に美紀が描いた漫画を読んだ事があるが、大学に入ってから始めた彫刻作品はまだ見た事がなかった。

「美紀ちゃんの作品見てみたいな。見に行っちゃダメかな?」

「私も見たいな。授業で会ったら頼んでみる」

 二人は以前、いそべえの描いた絵を見た事がある。クワガタの絵だったが、作者の人間性を反映した、なんとも地味な、ふつーの絵だった。美紀が作る作品は、どんなにぶっ飛んだ作品だろう。

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