言えないことは… 12/12 ~公園にて~
詩織は悠の後ろからついてきている。道を知っているのは詩織だけなのに、悠がリードしている。交差点に来ると悠が「どっち?」と聞き、詩織が方角を指さす。それを繰り返してついに、いそべえの家の近くの公園へと降りていく坂までたどり着いた。
まっすぐ下れば公園。こちらを向いているいそべえの姿も見える。
「あのさ、どうしたらいい?」
詩織が聞いた。
「黒川君の話聞いて、後はありのままの詩織でいればいいの」
「…あのさ、ここで待っててくれない?」
「大丈夫。初めからそのつもり」
詩織はゆっくり坂を下りていく。悠は三歩下がってガードレールにお尻を引っ掛けた。ここなら、公園からは見えない。
「しー坊、来てくれてありがとね」
「うん」
「そこのベンチに…」
「ブランコがいい」
距離が近いのが詩織には何となく怖かった。ブランコならほどよい距離を保てる。
いそべえは何も言わずにブランコに向かって行った。詩織も続き、二人それぞれ腰かける。
「しー坊、俺がいよかんをチヤホヤしてるのを見て、嫌な思いしてたんだよね?」
「…」
詩織はいそべえの方を見ずに話を聞いていた。視線は公園の端のヒマラヤスギに向いている。夜風で細い葉がシャラシャラと音を立てている。
「実はね、それにはちょっと理由があるんだよね」
「…」
「いよかんは、何をやっても他の人より出来ないと気が済まない子なんだよね。本気でやった物が一番になれなかったり、褒めてもらえないと、すっごく不機嫌になっちゃうんだよ。だから俺、ちょっと気を使ってたんだよね」
「でもさ、本当にいよかんの絵はすごくよかったじゃん。いそべえも絵の女の子、かわいいかわいいって」
自然に言葉が出てきた。鍵が開いて、今まで出てこなかった言葉が湧いてきそうだ。
「うん。…あの絵の女の子はかわいかった」
「ほおら」
不思議と詩織の気持ちは軽くなってきた。
「でも、あの表情はいよかんじゃないよ。バックさんも俺と同じで、いよかんを褒めようとしたんだよ。俺が表情がいいって言ったからそれに乗っかって、いよかんの表情だってね。もう、はっきり言って、いよかんはとにかく少しでも…」
「いよかんの悪口言うのやめて」
「あ、うん。俺はいよかんがあんな表情浮かべてるのは見た事ない。しー坊はよくあんな顔してるけど」
「あのさ、悪口の次はウソ?」
「嘘じゃないよ。しー坊の顔を見てる時間は、俺の方が長いよ」
詩織はまだヒマラヤスギの方を向いたままだ。
「俺、しー坊が嫌な思いしてるのに全然気付かなかった。ごめんね」
「……」
「いよかんが泣いてたのは見てたよね? あれはね、実は、授業で自分が不機嫌になって…そんな自分はみんなに嫌われてるって言って泣き出したんだよね。モデルやってる時のしー坊の表情見て、あんな風になりたいけど、自分は絶対になれない。それどころか、しー坊さんにも嫌われてるかもって。俺ははっきり言って、その気持ちも、いきなり泣き出した理由もよく分からなかったんだけど…とにかく、しー坊本人に知られるのは、いよかんからしたら嫌だろうなって思ったから」
「ああ…そうだったんだ」
「展覧会に来てって何度も言ったのは、いよかんの絵のタイトルがよかったから、見てほしかったんだよ。でも、見に行きたくなくても仕方なかったよね」
またしても展覧会の話をされて、思わず詩織は語気を強くした。
「しつっこいな。見に行ったって言ってんじゃん」
「え? じゃあ……あ、うん。あと、空き教室で会った時ひどい言い方してごめん。机まで叩いて。俺ちょっとキツすぎたよね」
詩織の固まっていた体が徐々にほぐれていく。気付かない間に随分力が入っていた。
「俺が悪かったよね。それで謝りたかったから、こんな夜遅くに呼んじゃったんだよね。…ごめんね」
「…」
「…ねえ、しー坊?」
「あのさ、話終わりならさ、私帰る」
詩織はそう言ってさっと立ちあがると、いそべえの方を見ないまま、ヒマラヤスギを横切って公園を出て、坂を登り始めた。
いそべえのそばにいても、何を言ったらいいのか分からないし、怖い。つまり逃げてしまったのだ。「ダメダメ!」と心の中で叫びながらも、怖くて戻れない。
後ろからいそべえの声はしない。聴こえるのはヒマラヤスギのシャラシャラだけだ。
悠は手持無沙汰で適当にスマホをいじっていた。詩織といそべえがどんな話をしているか、ここからでは全然分からない。
詩織が目の前に現れたので、悠は顔をあげた。「終わった?」とか聞くのが普通かもしれないが、悠はあえて聞かずに無言で、無表情で詩織を見つめた。
詩織は悠を見て、何も言わずにぐるりと公園の方に向き直った。「詩織が完全に視界からいなくなるまで見ててあげて」とお願いしておいたから、いそべえはまだ詩織を見ているはずだ。
「く……く…」
何か叫ぼうとしているらしいが、詩織の声は小さいし呼吸も浅い。
―― がんばれ…。
詩織は右手を口元に持っていき、何も言わずに手のひらで唇をポンと弾いた。後ろから見ている悠にも、何をしたかは分かる。
―― 投げキッスじゃん!
一旦固まった後、詩織は顔を赤くして悠のもとに駆け寄ってきた。
「帰ろう早く!」
「ふふふ」と笑って悠は歩き出した。
明日は詩織の誕生日。二人が付き合い始めて、ちょうど三カ月だ。
第一話 言えないことは… - 完
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