鏡 2/6 ~後輩、護国《ごこく》~
「場所ありそう?」
聞きながら悠自身もあたりを見渡している。昼休みの大食堂は学生で大賑わいだ。美紀とのやり取りで来るのが遅れてしまったため、ひょっとしたらもう場所がないかもしれない。二人は食堂内を歩き始めた。
「全然空いてないな…」
「どうしようか。ねえ、食堂もう一か所あるんだけどさ、そっちに行ってみる?」
「しー坊!」
いそべえの声に二人は振り返った。一列机をはさんで向こう側に、いそべえと、もう一人知らない男の子がいる。食べ終わった食器が二人分置いてあり、どうやら食後のおしゃべりを楽しんでいるようだ。
二人は机の列をまわってそちらへと向かった。
「お疲れ様。黒川君、今日は美術の人達と一緒じゃないんだ」
いそべえがリュックを降ろして空けてくれた席に悠が座った。
「そうですね。今日は彼と待ち合わせて一緒に食べる事になってて」
向かい側に座っている男の子が「ちわっす」と軽く会釈した。
「僕の高校の後輩の
悠と詩織も「こんにちは」とあいさつを交わし、二人ともいそべえに紹介してもらった。
護国君はヘアスプレーでばっちり決めた黒髪にギラギラした目つきで、ヤンキーの啓一とはまた違う意味で、どことなくツンツンした雰囲気だ。その護国君の隣で、詩織はどうしたらいいか分からず立ち尽くしている。
「あ、護国、カバン降ろして座らせてあげて」
護国君はあからさまに眼を大きく開いて、いそべえに「ええ?」と驚いて見せた。
「この人達、お昼買わないんすか?」
すぐに悠が立ち上がった。
「詩織、買ってこよう」
「うん。あのさ、いそべえ一緒に来て」
三人でお昼を買いにいく。悠が買ったのはコールスローと生姜焼きだけ。詩織が買ったのは和風ハンバーグに揚げ豆腐、出汁巻き卵と野菜コロッケ、それにメンチカツ、アメリカンドッグ、さらには鶏の唐揚げ、焼き餃子、チーズ揚げ餃子だ。一つのおぼんには乗らないので、半分はいそべえが運ぶ。テーブルに戻ると、護国君はいそべえの持つおぼんを指さして笑った。
「いそべえさんまだ食うんすか?」
「いや、これは俺のじゃなくてしー坊の」
「ええ? この人これ全部食うんすか?! 嘘でしょそんなの!」
詩織は少しムッとしたらしく、護国君になにも反応を示さずに席に着いた。
「女の人が一人で食べる量じゃないっすよ!」
護国君は詩織の反応には無関心だ。悠はすぐに話題を逸らせた。
「ねえ護国君、この大学見た感じ、どうだったの?」
「え、キャンパスに木とかメッチャ生えてるじゃないっすか。東京にもこんな大学あるんだって感じっすね」
詩織は黙ったまま食べ始めた。護国君と話をする気はなさそうだ。悠はカバンから御飯を入れてきたタッパーを取り出して詩織の脇に置くと、また護国君に話しかけた。
「どこ受けるつもりなの? 美術?」
「そうっす。悠さんとしー坊さんは美術っすか?」
「その子は国語。私は学生じゃないんだ」
「え、じゃ何でこんなとこいるんすか! 怪しい人っすか!」
護国君は悠にも容赦なく笑いを浴びせかけた。
―― 怪しい人って…。
「詩織と仲良しだからたまに来るんだよ。私は岡本食堂っていう定食屋の店員やってるの。今度食べにおいで。護国君、今日は学校は?」
「今日は体育祭の振り替え休日っす」
護国君はその後も大いに笑いながら悠と詩織、たまにいそべえに色々とツッコミを入れて楽しんでいた。きちんと話をしてあげたのはいそべえと悠だけ。詩織は自分の食事にずっと集中し、護国君もそんな詩織を気にもとめなかった。詩織があからさまに発する「気まずい空気」を全く読んでいない。悠からすれば別にかまわないが。
昼休みが終わると、いそべえと護国君はまた学内をまわりに行った。美術棟の設備や研究室を見学させてもらうらしい。悠と詩織は食堂に残ってお喋りを始めた。
「あのさ、あの子ちょっと感じ悪かったね」
詩織は食べる量を笑われた事をまだ根に持っているらしい。
「まだ高校生だもん。みんな大体あんな感じでしょ」
「でもさ、目もなんかこう、ギラギラさせてさ。私はあんなじゃなかったと思うよきっと」
「別にギラギラしてたっていいじゃん。私はどっちかって言うとあんな感じだったな…」
「えー、嘘でしょ?」
その通り。嘘だ。
*
木曜の夜、いそべえが護国君を岡本食堂に連れてきてくれた。注文はいそべえに勧められてチキン南蛮定食だ。
「壁とかテーブルとか、なんか味があっていい店っすね。俺好きっすよこういうの」
護国君がこう言った相手は、いそべえではなく悠だ。相変わらず目をギラギラさせている。
「ありがとね。チキン南蛮のお味はいかが?」
「ウマいっす」
「この前研究室見た感じはどうだったの?」
悠にそう聞かれると、護国君は「うーん」とうなった後、苦笑いとともに口を開いた。
「いや、絵が上手い人とかは一応いますよね。いよかんさんは、結構上手かったっす。でも全体的には、やっぱり『教育学部の美術専攻』って感じで、ムサビとかタマビとかと比べると美術の面では…」
―― そう言ってもいいけど苦笑いはやめようよ。
護国君の口ぶりは逐一失礼だが、悠からするとかわいい「子供」。いそべえも笑っていて、そんなに気にしていない様子だ。
「まあ、基本的にはそういう感じで、俺的には好感持てました。ただあの人は…」
思い当たる節があるらしく、いそべえが先回りした。
「美紀?」
「そっすね。いや、あの人……何なんすかね。もし入学したらあの人の後輩になると思うと…。悠さん、ちょっと聞いてくださいよ」
護国君は遠くから悠を呼びつけた。今はお客さんも少ないし、話を聞ける。悠は二人の近くへ向かった。
「何? 美紀ちゃん、また何かぶっ飛び行動やったの?」
「あ、悠さんあの人知ってんすか? あの人、俺マジドン引きですよ!」
護国君によると、美紀と最初に会ったのは彫刻研究室ではなく、講義棟の階段。美紀は階段の段差に仰向けになり、背中の凝りを段差の角でほぐしながらサンドイッチを食べていたそうだ。「食べる?」と食べかけのサンドイッチを差し出され、「いらないっす」と即答した護国君をかっかと笑う美紀。通りすがりの学生たちの目を引き、護国君はかなり恥ずかしかったそうだ。
「それだけじゃないんすよ!」
その後二人が美術棟を歩いていると、今度は廊下の棚の上に座って片足だけぶらりと下げ、もう片方の足を延ばしている美紀の姿。ストレッチをしていたようなのだが、いそべえに後ろから声をかけられ、振り返りざまに転げ落ちて、飲んでいたジュースを全部こぼしたらしい。急いでモップを持ってきた美紀は、拭くのかと思いきや「薄く延ばせばバレない」と、こぼしたジュースを薄く引き延ばしはじめた。それを止めたいそべえに舌打ちして「じゃもお前がやれ」
「それだけじゃないんすよ!!」
その後、護国君がトイレに行くと、男子トイレ内の鏡の前に美紀がいたらしい。そこで歯磨きをしていたそうだ。しかもマスクをしたまま。護国君を見た美紀は「あれ、やっぱここ男子トイレか」。脇に並ぶ小便器を見れば分かりそうなものだが。
「何なんすかねあの人。常識ないっていうか…頭おかしいんすかね」
いそべえが笑いながら手を横に振った。
「変なとこはあるけど、いい子だよ。美紀は彫刻研究室にいるから、次の日曜にもまた会えるよ」
「マジすか。逆にあの人の作品、超興味あります」
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