第六話 甘え下手

甘え下手 1/5




「俺からも謝るよ。ごめん」

「……」

「ごめんって」

「……」


 年の瀬の絵画研究室。キャンバスに向かって筆を振るういよかんの脇で、パイプいすに座った池谷君が謝っていた。


「黛って、そういうとこあるんだよ。言いたい事言いたい放題言うっていうか。悪かったって」

「池谷が謝ってる意味が分かんない」

 いよかんはパシリとそう言う。


 数週間前、Hohtan展という展覧会で、いよかんの絵をボロクソにけなした黛君。なんと彼は、池谷君の知り合いだったのだ。池谷君は黛君から一連の出来事を聞きつけ、絵画研究室まで謝りに来たらしい。別に、池谷君には何の落ち度もないのに。

 本当は、池谷君は特に申し訳ないと思っているわけではない。いよかんを狙っている彼は、関わる口実を見つけて、こうやって押しかけて来ただけだ。それは、いよかんも分かっている。だからまともに取り合っても何の意味もない。


「いよかんが傷ついたらしいことも伝えたから。謝るようにもう一度言っておく」

「はあ?」とやっと池谷君に顔を向けたいよかん。だが怒り心頭だ。

「そんなこと伝えたの? ペラペラ他人の秘密喋って、信じられないんだけど!」

「え、秘密だったの? ごめん」

「もう、他にすることがないなら帰れば?」


 いよかんにそう言われた池谷君だが、黙ってパイプいすを前後逆にし、背もたれによりかかっていよかんの絵を眺め始めた。隣に来て同じく絵を眺めるのは、絵画研究室の教授。


「うん……よく頑張ってるね」

「はあ」とため息をつくいよかん。

「先生、気休めはいいです。描いても描いてもしっくりこなくて」

「んー……神田さんの絵はねえ。いつも面の取り方やパースが生き生きしていて、自然な躍動感があるけど、この絵はそれが控えめにはなってるね」

「そうなんです……昔の私がどうやって描いてたのか、全然分からなくなっちゃいました」

「まあ、そういう時もあるよ」



 お昼休憩で学食にやってきたいよかん。普段は友達と食べに来るが、ここ最近は一人だ。理由は友達に避けられているから。彼女にとってこれは、わりとよくあることなのだ。


「おいお前!」

 バシン! といよかんの背中を叩いたのは美紀。肉まんを持っていよかんの隣に座る。いよかんは美紀を無視し、仏頂面でラーメンをすすっている。


「まーた最近一人んなってんな。不機嫌んなって八つ当たりばっかすっからそうなんだよ」

 美紀の言う通り。いよかんは嫌なことがあったり気に入らないことがあると、とことん不機嫌になる。挨拶を返さなかったり、相手を無視したり、物に当たったり人に当たったり。

 だから、機嫌が悪かったり調子が悪かったりする間は、友達から距離を置かれてしまうのだ。『そっとしておこう』という事で。


「お前、甘え下手だかんな。もっと普通に素直に甘えりゃいんだよ。当たったりしないで」

 やっぱり無視のいよかん。だが美紀はあまりそれを気にせず話し続ける。

「今度、正月実家に帰ったら、親にでも甘えろ。な」

 肉まんを食べ終え、立ち上がる美紀。いよかんは小さくつぶやいた。


「そんなことできたら苦労しないですよ」


 立ち去ろうとしていた美紀だが、いよかんの言葉を聞いて立ち止まった。

「親と何かあんの?」

 無視するいよかん。美紀は後ろから両肩に手を置き、揉みだした。

「どうなんだよ。先輩が心配してやってんだぞお前」

「痛いです! ……実家には帰りません」

「えマジ? 何で」

 いよかん無視。ラーメンをすするだけだ。


「……ま、そんな嫌ならいいけど」

 そう言って美紀は学食を出て行った。


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