勇気の使い所 5/6
悠が店の掃除を始めた頃だった。救急車のサイレンが近づき、店からそう遠くない場所で止まった。
「何だ? おい悠、ちょっと様子見て来てくれよ」
「はい」
大将に頼まれ、悠は店を出て救急車が見える方へと走った。停まっているのは、あの雑居ビルの前。通行人がちらほらと立ち止まって視線を注いでいる。悠もその中に飛び込んだ。
コンクリートに血の跡。けが人がいたらしい。すでに救急車に運び込まれたらしく、すぐに再びサイレンが鳴り始めた。
悠は、去って行く救急車を見送る女性に声をかけてみた。
「何があったんですか?」
「このビルから飛び降り。中学生か高校生の大きな男の子が」
一瞬でつながった。一目で中学生か高校生だと分かる、つまり学生服を着ている体の大きな男の子。平日の授業がある時間に、こんな雑居ビルに入って行った男の子。
サムソンだ。
仕事に集中できるような心理状態ではなかったが、開店時間はすぐにやって来る。幸いと言うべきか、心がざわついていたせいで時間が早く過ぎ、あっという間に夜になった。
「ロースカツ定食、お待ち遠さまでーす」
料理をカウンターに置いた時だった。
「ナメてんじゃねえぞコラ!」
大声が店の入り口付近で響いた。悠が顔を向けると、サラリーマンと学生がもみ合っている。
「因縁つけてんじゃねえよいい年こいたオヤジが!」
「何が因縁だコラ! てめえが踏んだんだろうが!」
サラリーマンが学生の服をつかみ、押し倒そうとする。学生は腕を振り上げ、拳で叩く。
「ちょっと! 外でやりなさい!」
足を滑らせ、学生が転んだ。サラリーマンはここぞとばかりにカウンターにあったソースのボトルを手に取り、殴り始めた。
「いい加減にしろ!」
悠がサラリーマンに飛びかかってボトルを取り上げようと手を伸ばす。サラリーマンが振り払おうと体を振った拍子にバランスを崩し、二人まとめて店の扉に打ち当たって倒れ込んだ。扉のガラスが割れ、破片が床に散乱。惨事となってしまった。
警察に通報し、サラリーマンと学生の二人は連れて行かれ、ガラスは悠が掃除。閉店後、悠は大将に叱られた。
「あんな時に飛び込むな! ガラスで大けがするところだぞ!」
「すいません」
「お前は勇気があるやつだけどな、勇気の使い所を間違えるなよ」
「はい」
大将が帰り、店に悠一人が残った。悠はカウンターに一人座り、考え事をしていた。
今日は大きな事件が二つも起こった。サムソンの飛び降りと、客の喧嘩。飛び降りに比べれば、客の喧嘩くらいは小さなことかも知れない。その小さなことで、自分は危険を考えずに突っ込んだ。勇気の使い所。なぜ朝、勇気を出してサムソンに一声かけなかったのだろう。
答えは簡単。サムソンの身に何があっても店の利益は損なわれないが、客の喧嘩は利益を損なうからだ。
悠の目に涙がにじんできた。自分はなんて情けない、人情の無い人間なんだろうか。サムソンが店に来た時は、いい人ぶって声をかけたくせに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます