言えないことは… 9/12 ~詩織の夕飯、二度目の with 池谷~
「しー坊、いつなら空いてるの?」
夜、いそべえから詩織に電話がかかってきた。第一声がこれだ。
「んー…」
「次の土曜で終わっちゃうんだよ。土曜なら空いてるよね? 俺、一日片付け手伝う事になってるから、一緒に行こうよ。いよかんも来るから、感想聞かせてあげてよ」
「…ごめん。土曜は用事あるから無理」
「え、でも…」
「今週中に時間見つけて一人で行くから」
詩織はそう言うと、いそべえの話を聞かずにすぐ電話を切った。
*
土曜日、詩織はケヤキの根元に立っていた。暇だから美紀に会いにきた。悠は仕事が忙しい日だ。美紀は彫刻研究室にいるだろう。少しここで気持ちを落ち着けてから向かおう。
―― いよかんは悪い事してないのに。…いそべえだって、ただ絵を褒めてるだけなのに。私だけ勝手にこんな気分になって、いそべえの陰口たたいたりしてさ。私、最悪。嫌だな…。
ケヤキはほとんど裸になった枝をざわざわと振い、空を磨いている。だが今日は曇りだ。なかなか綺麗にはならない。
―― 私、何がしたいんだろ。あの絵は素敵なのに…。いや、素敵って思っちゃった事も悔しいんだよな。で、悔しいなんて思ってる自分に頭にくる! …もうわけ分かんないや。
悶々としている詩織の右目の下にポツリときた。見上げると、いつの間にか空が暗くなっている。それに、粉のような雨があたり一面を覆い始めた。ケヤキの枝が雲を削っているらしい。
―― 余計な事して! もう少しいさせてくれたっていいじゃん。…行こうっと。
美術棟に来ると、彫刻研究室の入り口で美紀とあり姐、それに池谷君がおしゃべりをしていた。ちょうど休憩中らしい。
「あ、詩織じゃん。なんしてんの?」
「いや、ただ暇なの。あのさ、美紀この前私に話あるって…」
美紀は「あっ」と口を開けた。
「あれね。そだ。忘れったわ。…じゃ、こん後ご飯行く?」
「うん」
「え、俺も連れてって下さいよ」
池谷君が嬉しそうに会話に入り込んできた。
「あり姐さんも一緒に四人でどうです?」
「無理。私この後バイトなの」
「じゃあ三人で行きましょうよ」
美紀が軽く池谷君を睨みつけた。
「いいけどお前、絶対に余計な事すんなよ?」
「しないすよ余計な事なんて!」
三人は、また池谷君の知ってる店にやってきた。「海星庵」という、和洋折衷の居酒屋だ。個室もあり、少し暗くて上品なムードの、これまたオシャレな店だ。
「なあ詩織、いそべえなんけどさ」
美紀はハイボールを一口飲んでからそう切り出した。
「あいつ超鈍感じゃん?」
「うん…。悠も言ってた」
「マジか! さっすが悠さん、分かってんなー」
「え、『ゆうさん』って誰ですか?」
池谷君が言うと
「せえな。お前ちょっ黙ってろ! 後で相手してやっから」
美紀が一瞬で黙らせた。
「あんさ…詩織、いよかん会ったっしょ?」
芋焼酎を飲みながらうなずいた詩織を見て、美紀はハイボールのジョッキから手を離してしっかりと向き合った。
「詩織、落ち着いて最後まで聞けよ?」
いつもなら「おっついて」といい加減な発音をする美紀が、珍しくゆっくり丁寧にしゃべっている。詩織の気持ちも静まり返った。少し怖い。
「実は、いよかんはいそべえの事好きなんだよ」
これには詩織は驚かなかった。何となくそんな気はしていた。
「入学直後からずっと。初めは彼氏いたんだけど、いそべえに会って『これは!』って思ってすぐに別れたって」
池谷君が「ああ」とこぼした。
「そう言えば俺もそんな事聞きました」
「お前は黙ってろつんだよ! だけど、いそべえは全く気付いてねーんだよ。いよかんがあれだけ好意向けてんのに。鈍感だから」
詩織はグラスをテーブルに置いた。
「いよかんは誰から何を言われても突っ走るヤツだからもう、止まらねんだよ。でも、告白する勇気はないって言うか、いそべえに気付かせようとしてる…みたいな」
詩織も池谷君も、相槌も打たずに黙ってただ聞いている。
「詩織、いよかんと同じ授業あるんでしょ? ここだけの話……あいつ詩織の事、若干なめてると思うよ」
―― !
詩織はドキッとした。思い当たる節があるわけではない。逆に、全然気付いていなかったのだ。でも、美紀にそう言われれば、そうかもしれない。
だが池谷君は疑問を呈した。
「ええ? そうですかねえ。あいつ、あんま人の悪口とか言わないっすよ?」
「るせえな。そゆ事じゃねんだよ。意識ん奥でだよ。自分でも気付いてないっつ事! だから詩織…」
詩織は美紀の目を見つめて頷いた。結論としては…?
「気ぃつけろよ? な?」
―― え、そこで終わり?
詩織の記憶はここで途切れる。
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