何かがうまくいかない時に 2

ロドリーゴ

第一話 言えないことは…

言えないことは… 1/12 ~宝洋カレー、テラ盛り~

 悠、詩織、美紀、いそべえの四人は、詩織達の通う大学の近くにあるカレー屋に来ていた。東側の門を抜けてすぐのこの通りは、ラーメン屋が何件も建ち並ぶ激戦区、通称ラーメン通りだ。

 その中に一軒だけ、空気を読まずにぽつんと建っているのが「宝洋軒」という古い中華料理店みたいな名前の、カレー屋だ。

「しー坊、メニューで見るよりデカいから気を付けてね」

「うん」

「詩織、嫌いなもんスゲ多いからな。ちゃんと入ってんもんチェックしろよ?」

「うん」

「無理そうだったら普通に食べたい物頼みな。変に空気読もうとしなくていいから」

「うん」

 詩織は、いそべえ(黒川君)、美紀、悠に一回ずつ丁寧に返事をしながら、メニューを見ている。

 今日この店に来たのは、名物の「宝洋カレー テラ盛り」に挑戦するためだ。三千円もするメニューだが、二十分以内に全部食べればタダな上に表彰状も貰えるし、お店に記念写真を飾ってもらえる。

「うーん、大丈夫だと思うけどなきっと…」

 大丈夫と言いながらも、詩織は眉間にしわを寄せて決めかねている様子だ。悠には理由は想像がつく。

「人参でしょ? 料理に入ってるといつも残してるよね」

 詩織は悠の家で食事をする時も、嫌いなものはいつも容赦なく残している。人参はお残しの常連だ。美紀もそれを知っているようで「あっ!」と詩織を指さした。

「そうだよ! おめ人参嫌いじゃん!」

「いや、大きくなければ食べられる。美味しくないけど」

「ねえしー坊、飲食店で『美味しくない』とかあんまり言わない方が…」

「いけるなきっと。そんなに大きくなさそう。すいませーん!」

 いそべえの忠告をスルーして、詩織は店員さんを呼んだ。

「お決まりですか?」

 店員さんが伝票を構えると、詩織は他の三人に、先に頼むよう手で促した。自分の注文は最後に告げて、驚かせてカッコつける気だ。女の子で体つきも細い詩織があのメニューを注文すれば、店員さんは驚くだろう。

「えっと俺は……野菜カレーを十八穀米で」

「あたしはビーフカレーで白米」

「私はカレーピラフに目玉焼きトッピング」

 三人が注文を告げると、詩織は待ってましたとばかりに、あえてさらっと当たり前のように言った。

「あと宝洋カレー、テラ盛りで」

「かしこまりました。少々お待ちください」

 店員さんにも当たり前のようにそう返されてしまった。カッコつけ、不発。悠がにんまり笑った隣でいそべえも軽く笑っている。詩織は笑顔のまま固まり、何もなかったかのようにメニューに視線を戻した。



 最初に出てきたのはいそべえの野菜カレー、それに続いてすぐにビーフカレーとカレーピラフも出てきた。残すは宝洋カレー、テラ盛りだけだ。

「んめ! 牛肉柔らけえわ。……あっ、でも辛え!」

「あー、目玉焼き完璧な半熟。トッピング正解だった」

 美紀と悠がしゃべりながら舌鼓を打つなか、詩織は侍のように無言で精神統一し、いそべえは同じく無言だが、やけに急いでカレーを食べている。

「いそべえ、野菜カレーどうなんだよ。なんかひとこっくらいコメントしろよ」

 口をむぐむぐ動かしながら美紀にそう言われると、いそべえはやっと顔を挙げた。

「うまいよ。レンコン入ってるけど、それがうまい」

 いそべえにしては投げやりなコメントだ。悠にはこれも、理由は想像がついている。

「宝洋カレー、テラ盛りお待たせいたしましたー」

 全員目を丸くした。運ばれてきたカレーは「親戚一同集まってそうめん」みたいな超大皿の上に、エアーズロックのようにずっしりとそびえたつご飯、さらにそれを押しつぶすほどの勢いでルーがかかって、食べ物というより建造物みたいな迫力だ。

「やっべ…おめマジで食えっか?」

 美紀がらしくない小声で詩織に尋ねると、詩織は気まずそうに「ふっ…」と笑った。

「え、ヤバい? なら…」

「いやいや」と詩織が悠の言葉を遮った。

「量的には平気。でもさ…」

 詩織はスプーンを使って人参をつついた。親指の第一関節分くらいの乱切りだ。

「でかい……これは食べられない…」

「スプーンで砕いて、ルーに浸しながら食べたら?」

 いそべえのアドバイスに合わせて、詩織は人参を砕き始めた。



 十五分間、詩織は「人参でかい」「人参美味しくない」としつこくつぶやきながらカレーを食べ続けた。その間いそべえは自分の野菜カレーをほったらかして、詩織の「美味しくない」発言を繰り返し注意したり、残り時間を伝えたり、顎についたご飯粒や、口からはみ出たルーを指摘したり、食べている詩織をただ眺めていたりしていた。


「なんちょぐー!」(完食ー!)

 詩織がもぐもぐ口を動かしながらスプーンを持ち上げて振った。目の前には、空になった「親戚一同集まってそうめん」みたいな超大皿。「そんなにスプーン振っちゃダメだって!」と注意するいそべえの後ろから、店員さんがやってきた。

「おめでとうございます。完食なさいましたので、こちらの料金は無料にさせて頂きます。記念撮影を…」

 ロボットみたいな雰囲気だ。この店員さんはどうも盛り上げてくれない。



「悠さん、あたしピッタリあるんで、一旦払っときます」

 レジで財布を取り出す美紀に「ありがと」と言い残して悠は店を出た。

「ねえ、『美味しくない』って言いすぎだよ。他のお客さんもいるし、もう少し気を付けないと」

 いそべえが店の前で詩織にお説教をしている。詩織は何にも聞こえないふりをしながら、用もないのに道路のあちこちをきょろきょろ見渡している。

「しー坊、分かってる? 俺たちはしー坊が人参嫌いだって知ってるけど、まわりのお客さんは知らないし、お店の人だって知らないんだからね。印象悪くするよ」

 詩織はまだ不自然なほどに関係ない方をきょろきょろしている。

「スプーンも振り回したよね。しー坊さ、食べるの雑だから、スプーンに残ってるルーとかご飯粒とか飛んじゃうよ。他の人についたら…」

「分かってる」

 あさっての方を見ながら詩織がぶっきらぼうにつぶやいた。

「『分かってる』? でも何回も『美味しくない』って言ってたよね。本当に分かってるなら何で初めて言われた時に…」

「いつまでもるっせぇな!」

 美紀だ。清算が終わって店を飛び出してきた。

「ねちねち言うなっつんだよ。も分かったって」

 納得いかなそうな顔を向けてきたいそべえに、悠は「ふふふ」と笑みを返しておいた。

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