一番誰かを想える人 5/7 ~ミズプロ、終わる~
あり姐が来なくなってから、ミズプロは様変わりしてしまった。一番大きな要因は、ある人物が様変わりしたからだ。
「俺は殴ってなんかねーよ。春奈の手を引いたら、あいつが無理に振り払って、その後俺のこと突き飛ばして、その反動で、勝手にバランス崩したから転げ落ちたんだよ。事故だよただの。それをあいつ、どこのどいつから聞いたか知らねーけど『殴った』とか。自分で見てもいないくせに、憶測で人の悪口展開して、間違った情報広めるってどうなの?」
こんな饒舌なオーシャンは、いそべえも宮ちゃんも見た事がなかった。そのオーシャンの話を聞いているのは「あり姐軍団」改め「オーシャン軍団」だ。
「前に自分で言ってたよあの子。『憶測の話しても不毛』とか」
「言ってた! 言ってたねそう言えば! しかも、オーシャンが大学に来ないのは逃げだって言ってたよ」
「ええマジ?! 俺、入院してた春奈のお見舞い行ったり、あいつの家族に事情説明したりしてただけだよ! 事故でも大けがだったから。春奈の実家は福岡だし、離婚したお母さんは新潟にいるから、南へ北へ大変だったんだよ! あいつ、俺が大学来てない理由も知らねーくせに、『逃げ』とか言ってたのかよ!」
「それに『おかしい』とかも言ってたよ」
「ハァ?! そんな事言ってたくせに、自分は不倫なんかしやがって」
軍団にのせられるように、オーシャンはどんどん弁舌に熱がこもっていく。
「あいつ自分の事は棚に上げて偉そうに人の事論評して、傲慢だよな。言いたい放題言って、やりたい放題やって、挙句の果てに自分がした悪い事バレたら逃げて引きこもるとか、馬鹿じゃねえのあいつ!」
「自宅で誰かのお見舞いしてるんじゃない?」
大笑いしている。「話し合いしなくていいの?」とは今日は言えない。もう前日で、今やっているのは話し合いではなく、明日の準備だ。作品の展示をする、芸術館一階の一区画に、幕を垂らしたりパーテーションを立てたりしたりしている。
いそべえは宮ちゃんが心配で、ミズプロに今日と明日、参加させてもらう事にしていた。今日の準備も朝から手伝っている。
「ねえ宮ちゃん、明日あり姐来るの?」
小声でそう聞いた。宮ちゃんはダイコクに手渡されるLEDを点灯させてチェックしながら同じく小声で答えた。
「分からないなあ…でもねえ、多分来ないと思うよ。俺がメールしても、何も返信ないからねえ」
「そうなんだ。美紀は何か教えてくれた?」
「岡本食堂で悠さんと話したのは、しー坊が言ってた通り『ここにいつでも来てね』みたいな事だけだったみたいだよ。あり姐の気持ちは美紀もそんなによく分からないって。だから岡本食堂で聞こうと思ったけど、教えてくれなかったんだって。ほとんど何もしゃべらなかったって言ってた」
「じゃあミズプロに来てもらうのは難しいね」
「うん。まあでも、来てくれた時のために、ちゃんとあり姐の味方しなきゃとは思ってるよ」
「そうだね。ねえダイコク、ダイコクも味方でいてあげてくれない?」
ダイコクはあり姐と仲良くないが、オーシャンと「オーシャン軍団」とも少し距離を置いている。
ミズプロをいったん離れた理由も、来年度からの美術科内の所属変更の手続きや面談で忙しかったからで、あり姐が原因ではない事も最近はっきり分かった。
一人でもあり姐の味方がいれば、その方がいいのだが、ダイコクはこう言った。
「あの、オーシャンさん達は、た、確かにその、か、感じ悪いと思いますけど、で、でも、あり姐さんの味方は…で、出来ないです。だ、だって…それは、自業自得だと思います」
もうミズプロは、ただ「こなす」だけ、といった雰囲気だ。オーシャン軍団は何をするにも「あり姐の悪口大会」の片手間だし、ダイコクはダイコクで、そんな彼らに嫌気がさして、やる気を失っている。
オーシャン軍団は、オーシャンの「こんな感じでいいんじゃね?」というセリフを合図に作業を切りあげ、もうあり姐の悪口を仲間内で言うだけ。ダイコクは一人でスマホをいじっている。
宮ちゃんの「明日は頑張ろうね」という感じの話が終わると、みんなダラダラと帰っていった。
*
ミズプロ当日、子供達とその保護者が工作にいそしむ芸術館二階のフリースペースに、やはりあり姐の姿はなかった。
「うわ、それ…すごいね。あ、あのね、私も前に…その、クジラ作ったんだよ」
工作は結局四人ずつの班に分けて行われている。ダイコクは、自身の担当する班の子供が、クジラを作ろうと針金をくねくねいじっているのを見逃さずに声をかけた。
「私はね、えっと、その時、他の人と協力して、あの、こんな大きなクジラ作ったんだよ」
手で大きさを示す。実際に作ったよりずっと小さいサイズだ。
「で、でもね、あの、た、貴大君、すごく器用だから、他の子と、だ、だから、き、協力したら、私のよりもっと大きいクジラ作れるよ。大きいクジラが、あの、光ったら、みんなが作ったね、他の魚も、その、て、照らしてくれるよ」
貴大君は何も言わずに笑うと、近くにいる作るものを決めかねている子を誘い始めた。
水族館は色とりどりの光で満たされた。サンゴに熱帯魚、小魚の群れもいる。ウミガメらしき緑の丸い生き物や、提灯アンコウ、マンボウ等、いろんな生き物が悠々と泳ぎ回る。
その中央に座して水族館全体を美しい光で温めるのは、巨大なクジラだ。一メートルとまではいかないが、六十センチ近くある。紫の毛糸が荒く巻かれた上に、黄色やピンクが荒く巻かれ、絶妙なグラデーションの色に光っている。
水族館はいそべえも宮ちゃんも見とれるほど幻想的で美しかった。
子供たちが作品を持ち帰り、幕や仕切りを片付けて、芸術館一階は蛍光灯の味気ない白い光で満たされた。長い事交換されていないらしく、あちこちチカチカしている。
ほうきやちり取りを使って全員で掃除をする。いそべえと宮ちゃんが黙々とほうきを滑らせる傍ら、オーシャン軍団はおしゃべりしながらタラタラ掃除をしていた。
「クジラすごかったよね」
「すごかった。子供でもあんな大きいの作れるんだね」
「誰かさんが見たらなんて言うかな」
「『びっくりした! ありえないよほんっとに』!」
「あっはは!」
相変わらずあり姐を笑い物にしている。
「ねえダイコク、あのクジラすごかったよね」
オーシャン軍団が、いそべえのそばにいるダイコクに声をかけてきた。ダイコクはあわあわと体を向こうに向ける。
「あの、はい。すごかったです。えっと、し、試作の時、あり姐さんに、えっと、光の事考えろって言われたんで……あの、き、気を付けてたんで、だ、だから、そういうの、た、貴大君とかにも言って、そしたら、その、き、きれいに作ってもらえました」
「偉いよねー。きちんと言われた事考えて次に生かして。それを言った当の先輩はどうよ」
「結局来なかったね」
「途中で投げ出したよなあいつ。無責任だよな。馬鹿だよマジで」
「元々たいしてやる気なかったんでしょ。ちょっと嫌な事あっただけで来なくなっちゃうんだから」
「そうじゃないだろ」
聴きなじみのない大きい声に、全員の視線が一か所に集中した。
「試作の時だって、あり姐は一番色んな事考えて、一番一生懸命話してたよ。一番…リーダーの俺より今日を楽しみにしてたよ。それでもここに来られないくらい、人に自分の姿見せられないくらい傷ついてるから、引きこもってるんだよ。なのに、どうしてそんな捉え方しか出来ないんだよ!」
みんなの中央に立っているのは宮ちゃん。そこからこんな大きな声を出せば、一人残らず全員に、一言一句はっきり聞こえる。全員一旦手が止まり静まり返った後、誰かが誰かに小さな声で、でも宮ちゃんに聞こえないはずがない声で、ボソッとこう言った。
「しかたないよ。あの人あり姐大好きな人だから」
「ブチン」と堪忍袋の緒が切れる音が、いそべえの頭の中に響いた。ダイコクが持っているちり取りをもらって、宮ちゃんがほうきで集めたごみを取りに向かう。
宮ちゃんは顔を真っ赤にしてうつむいている。いそべえは宮ちゃんに小さな声で、でもみんなに聞こえないはずがない声で、はっきり言った。
「大丈夫。宮ちゃんが正しいよ」
誰も何も言わなかった。
宮ちゃんは目を潤ませながら静かに片付けを続けている。いそべえは明らかにみんなに聞こえる音量で宮ちゃんに話しかけている。
「マジでふざけてるよね。その時強い人にすり寄って、自分の意見に何の責任も持たないでこそこそ人の陰口叩くヤツって」
宮ちゃんは、小さくうなずいた。
「俺もあり姐は立派だと思うよ。間違ってたとしても自分の意見に責任もって堂々と言ってたしね。信頼できる他の人にも自分から意見聞くし、自分が間違ってたら潔く謝るし」
やっぱり宮ちゃんはちいさくうなずく。
方やオーシャン軍団は片付けを早く終わらせようと、動きがせわしなくなっていく。
「そのあり姐をさっきみたいなヤツらが偉そうに叩くなんて、本当にふざけてるよね。人を馬鹿にしてる。俺だったら絶対に許さないな。怒りに任せて徹底的にコテンパンにしてやるよ。何週間何ヵ月何年かかってもね。宮ちゃんは最低限言うことだけ言って、あとはグッと我慢して、偉いよ。それは強い人間じゃなきゃ出来ないよね」
宮ちゃんがもう一度うなずいた拍子に、目から涙がひとすじこぼれた。
片付けが全て終わると、オーシャン軍団はそそくさと逃げるように帰り、スマホをいじっていたダイコクも、結局「お疲れ様でした」も言わずに帰ってしまった。
暗くなった空の下、芸術館の前にいそべえと宮ちゃんが座り込んでいる。
「一番一生懸命やってたのにさあ。一番…正々堂々と自分の意見言ってたのにさあ…」
宮ちゃんが言葉を探しながら話す横で、いそべえは黙って聞いている。
「あんなに一生懸命だったのにさあ。ダイコクが前に進めたのだって、あり姐のおかげなのにさあ」
いそべえに言っているというより、自分に言っている。自分が思っている事を自分が信じたい。そんな宮ちゃんの思いが声の抑揚に滲み出ている。
「あり姐、絶対傷ついてるよ。階段の事故の時、オーシャンの事あんなに怒ってたのは、きっとショックだったんだよ…血を流して、意識失ってる人を目の当たりにしたから。すごくショックだったんだよ。それでも頑張って救急車呼んで……涙滲ませながら、オーシャンの事許せない許せないって言って……あり姐、今きっとあれと同じ感情を自分にぶつけてるんだよ」
宮ちゃんは段々泣きだした。
「俺がきちんとしてなかったからだよ…。今までずっとビビって…きちんと、自分が思ってること言わなかったからだよ。だから…」
いそべえが宮ちゃんの背中をさすりながら言った。
「そんなことないよ」
「そうだよ」
突然背中から声が聞こえ、いそべえは仰天して振り返った。
「うちの店に来た時も、宮基君は懸命に何かしようとしてたじゃん」
「それにさ、宮ちゃんのおかげでちゃんとミズプロは本番にこぎつけて、だからダイコクさんも成長出来たんだよきっと」
「お前が自分責めんは筋違いだっつんだよ。ミズプロで一番きちんとしてたんはお前だろが」
悠、詩織、美紀が次々と宮ちゃんのまわりに座った。
「悠さん、なんでこんな所にいるんですか」
驚きながらも安堵の表情を浮かべて、いそべえが聞いた。
「悠さんも詩織もあたしが呼んだんだよ。まず、さっきダイコクからあたしんとこに『宮基さん達助けてあげてください』みたいなれんらっ来て、そっからぶっ飛んできたんだかんな」
美紀が質問をパパッと片付けて、すぐに話を次に進めた。
「宮ちゃん、あたし今日もあり姐んちに行ってみたんだよ。インターホン押したら出て来てくれたけど、『大丈夫だからもう来ないで』って言われちった」
宮ちゃんは鼻をすすりながら聞いている。悠がポケットティッシュを手渡した。美紀はノンストップで話し続ける。
「ずーっと、左腕をお腹に押しつけてた。ひょっとしたらアームカットとかしてっかも。もんすごく傷ついて、苦しんでんは間違いない。あたしまず一つ、お前にやってほしい事あんだよ」
「何?」
ぐしゅぐしゅの鼻声で小さく言った宮ちゃんに、美紀は一枚のメモ用紙を差し出した。
「これ、あり姐ん実家ん電話番号と住所。電話して、お母さんかお父さんに、あり姐が傷ついて家から出らんなくなってっから、様子見てあげっくれって頼め」
宮ちゃんはうなずきながらメモを受け取って、ポケットにしまった。
「みんな私のうちにおいで。一緒に晩ご飯食べよう」
悠がそう言って歩きだし、全員後に続いていった。
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